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  3.   <title>内田樹の研究室</title>
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  8.   <subtitle>みんなまとめて、面倒みよう – Je m&apos;occupe de tout en bloc</subtitle>
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  12.   <title>「内田樹の大市民講座・直感はわりと正しい」文庫版あとがき</title>
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  16.   <published>2017-06-15T22:53:43Z</published>
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  19.   <summary>「文庫版のためのあとがき」 みなさん、こんにちは。内田樹です。『大市民講座』が文...</summary>
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  27.      <![CDATA[<p>「文庫版のためのあとがき」</p>
  28.  
  29. <p>みなさん、こんにちは。内田樹です。『大市民講座』が文庫化されることになりました。手に取ってくださったことについてお礼申し上げます。<br />
  30. 単行本の「あとがき」を読むと、大瀧詠一さんが亡くなった翌年に単行本が出たことがわかります。それから3年経って、今度は文庫化されることになりました。単行本刊行時点で「過去6年半」分を収録したわけですから、現時点から起算すると、一番古いものは9年前に書かれていることになります。<br />
  31. 「まえがき」でも「リーダビリティ」について少し書いていますけれど、それだけ時間が経ってしまった後になお時評がリーダブルでありうるのかどうか、僕にとってもたいへん気になるところです。<br />
  32. 今回ゲラを読み返してみて一番経年変化が激しいのは「政治についての話」だということがわかりました。扱われている事件がどんな出来事だったのか書いた本人にも思い出せないというようなトピックさえ散見されます。それだけ主役の交代がめまぐるしかったということでしょう。この時評を書いていた時期の政局のキープレイヤーだったのは、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、小沢一郎、福田康夫、与謝野馨、安倍晋三、橋下徹、石原慎太郎といった人々でした。いまだに当時と同じくらいの政治的プレゼンスを保持しているのはもうその半数にも及びません。鬼籍に入った方もおられます。それだけでも、政治プロセスの変化がいかにめまぐるしいものかわかります。<br />
  33. そのせいもあって、この時評の中で僕が書いた政治についての未来予測は「これから日本の政治プロセスはますます劣化するだろう」ということ以外はほとんど外れました。政治についての未来予測のむずかしさが改めて身にしみます。<br />
  34. けれども、予測が当たらなかったということをこうやってちゃんと記録しておくことは、けっこう大事だと思います。過去のある時点では「未来は霧の中だった」ということを僕たちはつい忘れがちです。何の根拠もなく、過去から現在まで、歴史は一本道を予定通りに進行してきた・・・という印象を持ってしまう。でも、そんなことはないんです。明日は何が起きるかなんて、ほんとうに誰にもわからない。<br />
  35. 映画『バック・トウ・ザ・フューチャー』で1985年から30年前の過去にタイムスリップしたマーティ(マイケル・J・フォックス)が、タイムマシンの発明者であるドク(クリストファー・ロイド)を探し出して、「未来のあなたによって過去に送り込まれたのだ」という話をなんとか信じさせようと悪戦苦闘する場面があります。そのときに、半信半疑(というより一信九疑くらい)のドクが「じゃあ聞くが、1985年のアメリカ大統領は誰だ?」と尋ねる場面があります。マーティがうれしそうに「ロナルド・レーガン!」と答える、ドクが「俳優の? よくそんな嘘がつけるな。だったら、副大統領はジェリー・ルイスだろう」とせせら笑うのです。たしかに1955年に「あと30年後にロナルド・レーガンがアメリカ大統領になるよ」と予言してとして、信じてくれる人はアメリカ市民の5%には達しなかったでしょう。<br />
  36. 同じようにタイムマシンで今から5年前にタイムスリップして、「あと5年後のアメリカ大統領はドナルド・トランプだよ」と言ったらどうなるでしょう。「『アプレンティス』で『お前は首だ!』っているあいつが? よくそんな嘘がつけるな!」とアメリカ市民の99%が腹を抱えて笑ったでしょう。(たしか『ダークナイト』でも、パーティにブルース・ウェインが遅れて登場したときに誰かが「今までドナルド・トランプがいたのよ」と言うという場面がありました。「そういうにぎやかなパーティには必ず顔を出す人」だったんでしょうね)。<br />
  37. それくらいに先のことはわからないということです。ですから、こういうタイプの時評から得られる教訓の一つは、「なるほど、たしかに未来は霧の中なのだな」と深く得心して頂いて、3年後、5年後どころか1年後半年後に日本社会がどうなっているかでさえ、現段階で適切に予測している人なんかどこにもいないということを改めて思い知ることだと思います。<br />
  38. それからもう一つ。話がくるりと反転しますが、これくらいに長期にわたる時評を読み通すと、細部ではいろいろと「お門違い」なことを書いていますけれど、大筋において変わっていない現実もあるということがわかります。僕はそれを「<strong>強い現実</strong>」というふうに呼んでいます。<br />
  39. 「強い現実」というのは、ある分岐点にさしかかって、右に行くか左に行くか迷ったとき、<strong>どちらの道を選んでも変わらない現実</strong>のことです。<br />
  40. 一連の時評を通じて、僕がまったくぶれずに言い続けていることがあります。それは<strong>日本はアメリカの属国であり、主権国家ではない</strong>、ということです。主権国家でない国でありながら、主権を有していて、すべての政策を自己決定しているような「ふり」をしている。そいせいで、「国家主権の回復」という最優先の国家的課題は隠蔽され、果たされぬままに放置されている。これは集団的な自己欺瞞という他にありません。<br />
  41. 日本人はこの現実から集団的に目を背けています。でも、現実から目を背けることができるのは、「それが現実だ」ということを知っているからです。知らなければ「目を背ける」というような芸当はできません。知らなければ、うっかり目を向けて、現実を知ってしまったということだって起こり得ますから。でも、そういう「事故」は起きません。だから、日本人はみんな知っているんです。自分たちがアメリカの属国民であり、主権国家の国民ではなく、国の運命を自己決定できないでいるということを知っている。<br />
  42. ですからもちろん「主権者」でもありません。<strong>国に主権がないのに、国民が主権者であるはずがないです</strong>。<br />
  43. 学校で憲法について学んだ時に「主権在民」と教えられても今一つぴんと来なかった方は多いと思いますが、それはどう考えても、自分がこの国の主権者だという実感がなかったからです。そして、その実感はたしかに正しいのです。<br />
  44. 日本が主権国家でないことの証拠に、僕はさまざまな媒体を通じて「戦後の日本はアメリカの属国であり、主権国家ではない」と繰り返し書いていますけれど、<strong>かつて一度も反論を受けたことがありません</strong>。<br />
  45. 僕を論駁するのは実に簡単です。「ふざけたことを言うな、日本は主権国家である。現に、アメリカの国益よりも自国益を優先させ、アメリカの要望を退け、アメリカを憤激させ、両国間の関係がいっとき緊張したが、それに屈することなく最後まで要求を貫いたという、これこれこういう歴史的事実があるじゃないか」と、実例を一つでも挙げてくれればよろしい。それ一つだけで、僕の立論は土台からがらがらと崩れます。でも、これまで誰一人そのような歴史的事実を示してはくれませんでした。<br />
  46. 日本人は自分たちが主権国家の国民ではないという事実を意識下に抑圧しています。事実を直視し、それを実践的に補正するという努力を放棄してしまった。<strong>抑圧されたものは症状として回帰する</strong>。まことにフロイト先生の言う通りです。この言葉は日本の現実をみごとに言い表していると思います。<br />
  47. <strong>日本社会が罹患しているさまざまな病は「抑圧されたものの効果」なのです。この点については、表層的な現象がどれほど多様であろうとも、本質は変わることがありません</strong>。僕はそれを日本における「強い現実」だとみなしています。とりあえず、そのことがこの時評を通読することで明らかになるのではないかと思います。<br />
  48. でも、それでもそろそろ日本の病態にも僕は飽きてきました。みなさんもけっこううんざりしてきているんではないでしょうか。そろそろ「新しいもの」が出てきてもいい頃です。「新しいもの」は、つねに思いがけないところから、それまでとはまったく違う文脈の上に登場する。これは大瀧詠一さんが音楽について述べた言葉ですけれども、政治でも、経済でも、社会現象でも、文化的な創造でも、同じことが言えると僕は思います。<br />
  49. 「まさか、こんなものが、こんなところから出てくるとは思わなかったよ」という言葉を(できれば喜びにあふれた)嘆息と共に発することができますように。読者のみなさんと共に祈りたいと思います。</p>]]>
  50.      
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  54.   <title>「愛国的リバタリアン」という怪物</title>
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  56.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1802</id>
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  58.   <published>2017-06-11T23:27:37Z</published>
  59.   <updated>2017-06-11T23:34:55Z</updated>
  60.  
  61.   <summary>金滿里さんが主宰する劇団「態変」の出している『イマージュ』という媒体が「相模原事...</summary>
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  66.  
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  69.      <![CDATA[<p>金滿里さんが主宰する劇団「態変」の出している『イマージュ』という媒体が「相模原事件」を特集した。そこに事件についてのコメントを寄稿した。なかなか手に取ることのない媒体なので、ブログに採録しておく。</p>
  70.  
  71. <p>相模原の大量殺人事件のもたらした最大の衝撃は、植松聖容疑者が事前に安倍晋三首相宛てと大島理森衆院議長宛てに犯行を予告する内容の書簡を届けていたことにある。それは単に権力者を挑発するための犯行予告ではなく、自分の行為が政権と国会多数派には「好ましい」ものとして受け止められ、権力からの同意と保護を得られるだろうという期待をこめたものだった。逮捕後も容疑者は「権力者に守られているので、自分は死刑にはならない」という趣旨の発言をしている。<br />
  72. もちろん、これは容疑者の妄想に過ぎない。けれども、何の現実的根拠もない妄想ではない。彼の妄想形成を強化するような現実が今の日本社会内部にはたしかに存在しているからである。<br />
  73. アナウンサーの長谷川豊は事件の直後の2016年9月に自身のブログに「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」というタイトルの記事を投稿した。これには批判が殺到し、専門医からも事実誤認が指摘されたが、この人物を日本維新の会は千葉一区から衆院の立候補者として擁立するということが先日発表された。<br />
  74. 重篤な病人や障害者に対する公然たる差別発言にはまだ一定の社会的な規制が働いており、有名人の場合には、それなりの批判を受けて、社会的制裁が課されているが、在日コリアン、生活保護受給者やLGBTなどの社会的弱者に対する差別や攻撃の発言はほとんど何のペナルティもないままに垂れ流しされている。<br />
  75. 際立つのが片山さつき議員で、生活保護受給者は「実質年収4百万円」の生活をしているという無根拠な都市伝説の流布に加担して、生活保護叩き発言を繰り返してきたが、最近も捏造投稿に基づいてNHKのニュース内容にクレームをつけて、生活保護受給者が社会福祉の「フリーライダー」だという世論の喚起に励んでいる。もちろん、本人がそう「信じている」という信憑の問題もあるのだろうが、「そういうこと」を公言すると選挙で票が集まるという現実的な打算も同時に働いているはずである。<br />
  76. アメリカではドナルド・トランプ大統領が「弱者叩き」の代表格である。「ラストベルト」のプア・ホワイトたちの輿望を担って登場したはずのトランプだが、就任後実施された政策は富裕層への厚遇措置ばかりで、移民排斥や、海外企業の国内移転への圧力などの「雇用対策」は今ここにいる社会的弱者のためには何の利益ももたらしてはいない。選挙公約だったオバマケアの廃止は、それによって2400万人が医療保険を失うという予測が公表されて、さすがに与党共和党も加担できず、改廃法案を撤回するという騒ぎになった。アメリカの有権者はそのような人物を大統領に選んだのである。<br />
  77. これはおそらく全世界的な傾向である。社会的弱者たちは、自己責任で弱者になったわけであり、いわばそういう生き方を選択したのだから、政府や自治体が、公金を投じて彼らを支援することは「フェアではない」というロジックは目新しいものではない。これはアメリカ社会においては「リバタリアニズム(libertarianism)」というかたちで、建国当初からつねに伏流していた考え方である。アメリカが世界に冠絶する覇権国家となり、その国の作法や価値観が「グローバル化」したことによって、アメリカ的な「リバタリアニズム」もまたグローバル化したということだと私は理解している。<br />
  78. 「セルフメイドマン(self made man)」というのは建国以来、理想とされてきたアメリカ市民像だが、要するに誰にも頼らず独立独行で自己実現を遂げることである。「リバタリアン(libertarian)」というのは、その過激化したかたちである。<br />
  79. リバタリアンは、人間は自分の運命の完全な支配者であるべきであり、他者であれ公共機関であれ、いかなるものも自分の運命に介入する権利はないと考える。だから、リバタリアンは政府による徴税にも、徴兵制にも反対する。当然ながら、社会福祉のための原資の提供にも反対する。<br />
  80. ドナルド・トランプが徴税と社会福祉制度につよい嫌悪感を示すのは、彼がリバタリアンの伝統に連なっていることを示している。トランプは選挙期間中に対立候補から連邦税を納めていないことを指摘されて、「すべてのアメリカ人は納税額を最小化するために日々知恵を絞っている。私が連邦税を払っていないのは私が賢いからである」と述べて支持者の喝采を浴びた。これは別に露悪的な発言をしたわけではなく、ほんとうにそう思っているからそう言ったのである。彼に喝采を送ったプア・ホワイトたちは、自分たちとは桁が違う大富豪であるトランプの「納税したくない」というリバタリアン気質が「自分と同じだ」と思って、その発言に賛意を評したのである。<br />
  81. トランプは軍務の経験も、行政の経験もないはじめての大統領だが、それは軍務に就くことも、公共機関で働くことも、どちらもリバタリアンとしては「やらないにこしたことはない」仕事だからである。アメリカの有権者たちは彼の「公的権力を用いて私利私欲を満たすが、公益のためには何もしない」という態度がたいそう気に入ったのである。<br />
  82. 今の日本で起きている「弱者叩き」はアメリカ原産のリバタリアニズムが日本に漂着し、日本独特の陰湿なしかたで退廃したものだと私は理解している。トランプのリバタリアニズムはこう言ってよければ「あっけらかん」としている。ロシアとの内通疑惑が暴かれたことによって、彼が「愛国者」であるかどうかについてはアメリカ人の多くが疑問を抱いているだろう。けれども、リバタリアンにおいて、愛国者であることは「アメリカ人的であること」のための必要条件ではない。国家や政府などというものは「ない方がいい」というのが正統的なリバタリアンの立場だからである。<br />
  83. けれども、日本では公的立場にある人間は「国よりも自分が大事」というようなことを(心で思っていても)口には出さない。仮に、安倍晋三が所得税を払っていなかったことが発覚したとしても、彼は「私は賢いから税金を払わずに済ませた」という言い訳をしないだろうし、その言い訳に喝采を送る有権者も日本にはいないはずである。日本ではリバタリアンも愛国的なポーズをすることを強いられる。<br />
  84. だから、日本では「リバタリアンでありながら、かつ愛国的」という奇妙な生き物が生まれてくる。現代日本に跋扈しているのは、この「愛国的リバタリアン」という(「肉好きのベジタリアン」とか「気前のいい吝嗇漢」というような)形容矛盾的存在である。<br />
  85. 一方において、彼らは自分が獲得したものはすべて「自己努力によって獲得されたもの」だから、100%自分の所有に属し、誰とも分かち合う気がないと断言する。同じ理屈で、貧困や疾病や障害や不運などによって社会的弱者になった者たちについても「すべて自己責任で失ったもの」であるので、そのための支援を公的機関に求めるのは筋違いであると主張する。<br />
  86. ここまではリバタリアン的主張であるが、日本の「愛国的リバタリアン」はこれに愛国主義(というより排外主義、外国人嫌い(ゼノフォビア))をぱらぱらとまぶして、社会的弱者というのは実は「外国人」であるという奇妙な社会理論を創り出す。ここが日本のリバタリアニズムの独特の歪みである。<br />
  87. 日本型リバタリアンによると、社会的弱者やあるいは社会的弱者を支援する人たちは「外国人」なのである。仮に血統的には日本人であったにせよ、外国渡来のイデオロギーや理説に「感染」したせいで、「外側は日本人だが、中身は外国人」になっているのである。<br />
  88. だから、社会福祉や教育や医療などの活動に公的な支援を求める組織や運動は本質的には「日本の国益よりも、彼らが忠誠を誓っている外国の利益に奉仕するもの」なのだという妄説が出来上がる。生活保護の受給者は多くが在日コリアンであるとか、日教組の背後にはコミンテルンがいるとか、朝日新聞は反日であるとか、沖縄県知事は中国に操られているといった類のネトウヨ的妄説はその典型的なものである。<br />
  89. 語っている本人もさすがにほんとうだと思ってそう言っているわけではいないだろうが、それにもかかわらず、彼らが「反政府的な人間=外国人」というスキームに固執するのは、彼らにリバタリアンに徹底する覚悟がないからである。<br />
  90. リバタリアンであれば、話はすっきりしている。貧乏なのも、病気なのも、障害者であるのも、すべては自己責任である。だから、それについては他者からの同情や公的支援を当てにしてはならない。医療保険制度はいらない(医療は「サービス」なのだから金を出して買え。金がないやつは死ね)。公立学校も要らない(教育は「サービス」なのだから、金を出して買え。金がないやつは働いて学費を稼ぐか、有利子で借りろ)。社会福祉制度はいらない(他人の施しがないと生きていけないやつは死ね)と、ずいぶん非人情ではあるけれど、バケツの底が抜けたように「あっけらかん」としている。<br />
  91. しかし、さすがに日本では(心ではそう思っていても)そこまでは言い切れない。居酒屋のカウンターで酔余の勢いで口走ることはあるだろうが、公的な立場ではなかなか口にはできない。<br />
  92. その不徹底をとりつくろうために、日本的リバタリアンは「排外主義」的イデオロギーを装飾的に身にまとう。そして、貧乏人も、病人も、障害者も、生活保護受給者も、みな本質的には「外国人」であるという摩訶不思議な理説を噛ませることで、話のつじつまを合わせようとするのである。<br />
  93. 相模原事件の植松容疑者はその意味では障害者支援をめぐる問題の本質をよく見抜いていたというべきだろうと思う。彼自身は生活保護の受給者であったが、その事実は「わずかな賃金を得るために、他人に顎で使われて、自分の貴重な人生を空費したくない」という彼のリバタリアン的な気質と齟齬するものではなかった。けれども、自分以外の生活保護受給者や障害者は彼の目には許し難い社会的寄生者に見えた。この矛盾を彼はどう解決したのだろうか。自分には公的支援を受けることを許すが、他人には許さないという身勝手な識別を可能にする境界線として最終的に彼が思いついたのは「私は日本人として日本の国益を優先的に配慮しているが、彼らはしていない」という「日本人/非日本人」スキームであった。<br />
  94. だから、植松容疑者がこれは「日本のために」したのだとか、「社会が賛同するはずだった」とかいう自己弁明を繰り返し、「国益を害するものたち」を「処分」する「官許」を首相や衆院議長に申請したことには論理的には必然性があったのである。彼は自分が「愛国的リバタリアン」という政治的奇形物であり、現在の日本の政界の指導者たちの多くが程度の差はあれ自分の「同類」だと直感していたのである。</p>]]>
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  99.   <title>対米従属テクノクラートの哀しみ</title>
  100.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/06/11_0910.php" />
  101.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1801</id>
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  103.   <published>2017-06-11T00:10:20Z</published>
  104.   <updated>2017-06-11T00:42:33Z</updated>
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  106.   <summary>という標題の文章を「サンデー毎日」に寄稿した。発売日からだいぶ経ったから、ブログ...</summary>
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  111.  
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  113.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  114.      <![CDATA[<p>という標題の文章を「サンデー毎日」に寄稿した。発売日からだいぶ経ったから、ブログにも掲載しておく。</p>
  115.  
  116. <p><br />
  117. 私たちが「問題」と呼んでいるものの多くは長期にわたる私たち自身の努力の成果である。だから、それは「問題」というよりむしろ「答え」なのである。<br />
  118. 私見によれば、現代日本の問題点の多くは、私たちが久しく「ある現実」から必死に目を背けてきた努力の成果である。私たち目を背けてきた「ある現実」とは「日本はアメリカの属国であり、日本は主権国家ではない」という事実である。この事実を直視することを集団的に拒否したことから、今日のわが国の不具合のほとんどすべてが派生している。<br />
  119. 日本は属国だというとすぐに怒り出す人たちがいるので、同じことをそれよりは穏やかな表現に言い換えてみる。<strong>日本国民は憲法制定の主体ではない</strong>。<br />
  120. 日本国憲法は1946年11月3日に公布された。公布時点では「上諭」というものが憲法の「額縁」として付されていた。その主語は「朕」である。<br />
  121. 「朕は日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」。<br />
  122. 憲法改正を裁可し、公布したのは天皇陛下である。だが、当の憲法前文を読むと、その憲法を制定したのは日本国民だと書いてある。<br />
  123. 「日本国民は・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」<br />
  124. これを背理とか没論理と言ってはならない。憲法というのはそもそも「そういうもの」なのである。<br />
  125. <strong>憲法前文が起草された時点で憲法の制定主体となりうるような「日本国民」は存在しなかった</strong>。いなくて当然である。憲法施行の前日まで全日本人は「大日本帝国臣民」だったからである。憲法を確定するほどの政治的実力を有した「日本国民」なるものは、権利上も事実上も、憲法施行時点では日本のどこにも存在しなかった。<br />
  126. もちろんGHQと憲法草案について交渉をした日本人はいた。九条二項を提案したのが幣原喜重郎だったというのもおそらく歴史的事実であろう。けれども、そのことと「日本国民は・・この憲法を確定する」という条文の間には千里の径庭がある。<br />
  127. <strong>憲法の制定主体は憲法内部的に明文的に規定されない</strong>。現に、憲法の裁可主体が「朕」であり、大日本帝国議会が憲法改正を議決したという事実は日本国憲法の本文のどこにも書かれていない。同じように、憲法を制定したのは日本国民であるはずなのだが、その「日本国民」が何者であるかについては憲法内部には規定が存在しない(10条に「法律で定める」としてあるだけだ)。<br />
  128. でも、もう一度言うが、憲法というのは「そういうもの」なのだ。<br />
  129. 憲法の事実上の制定主体は、いかなる合法的根拠もなしに憲法を強制できるほどの圧倒的な政治的実力を有しているものでなければならない。<strong>憲法を制定するのは超憲法的主体である</strong>。ふつうは戦争か革命かあるいはそれに準じる壊乱的事態を収拾した政治主体がその任を担う。日本国憲法の場合はダグラス・マッカーサーである。<br />
  130. 米国務長官だったジョン・フォスター・ダレスは1956年に、日米安保体制とは「アメリカが、日本国内の好きな場所に、必要な規模で、いつでも、そして必要な期間基地を置くことができる」ことだと語った。これは「アメリカは超憲法的存在だ」ということを軍事用語に言い換えたものである。この言明は今に至るまで撤回されていない。<br />
  131. 私たち日本国民は憲法制定の主体であったことはない。だから、正直に言って、<strong>私たちは自分たちがこの国の主権者であるという実感を持ったことがない</strong>。教科書では「主権在民」と教えられたけれど、ほんとうの主権者は太平洋の向こうにいるということを私たちはずっと知っていた。<strong>国に主権がないのに国民が主権者でありうるわけがない</strong>。<br />
  132. けれども、日本がいつかアメリカから国家主権を奪還する日が来る、日本国民がいつか晴れて日本の主権者になれる日が来るのではないかということについては日本人は漠然とした期待だけは抱き続けていた。それが「対米従属を通じての対米自立」という国家戦略の意味である。<br />
  133. 対米従属は敗戦国にとってはそれ以外に選択肢のない必至の選択であり、また十分に合理的なものであった。そのおかげで日本は1951年にサンフランシスコ講和条約で国際法上の主権を回復し、1972年には沖縄施政権を回復した。これはまさに対米従属の「成果」と呼ぶべきものである。このペースでこのまま主権回復・国土回復(レコンキスタ)が続けばいずれ日本が主権を回復する日が来る、日本人はそう希望することができた。<br />
  134. そのうちに思いがけなく高度成長期が到来して、「経済戦争でアメリカに勝つ」という途方もない希望がいきなり現実性を持ってきた。「エコノミックアニマル」と国際社会では蔑まれたが、あれは「もしかすると国家主権を金で買えるかも知れない」という敗戦国民の脳裏に一瞬浮かんだ夢がもたらしたものだったのである。<br />
  135. バブル当時に「今の日本の地価を合計すると、アメリカが二つ買える」という言い方がよくなされた。それを口にするときのビジネスマンたちの満足げな顔を私は今でも覚えている。それは「アメリカの頬を札びらで叩いて主権を買い戻す」という想像がその時期の日本人にそれなりのリアリティを持っていたことを教えてくれる。しかし、91年のバブル崩壊でその夢はついえた。<br />
  136. アジアで地政学的な存在感を増して、その外交的実力を背景にアメリカに国家主権を認めさせるというプランは2005年の国連常任理事国入りの失敗によって消えた。<br />
  137. このとき日本の常任理事国入りの共同提案国になってくれたアジアの国はブルネイ、アフガニスタン、モルジブの三か国のみだった。中国も韓国もASEAN諸国も日本の大国化を非とした。日本が常任理事国になってもそれは「アメリカの票が一つ増えるだけ」という指摘に日本の外交当局は反論できなかった。「日本がアメリカの忠実な属国であるのは、それによってアメリカからの自立を果たし、アメリカとは違う外交的ふるまいをするためなのだ」という、日本人にとっては自明に思えるのだが、非日本人にはまったく理解不能の国家戦略を日本はアジアの隣国に説明する努力を怠ってきた。その「つけ」を払ったのである。2005年時点で、「大国化を通じての対米自立」というプランは現実性を失った。<br />
  138. 政治経済で打つ手がない以上、他に手があるはずがない。指南力のある未来像を提示して国際社会を牽引するとか、文化的発信力で世界を領導するなどという大仕事を、戦後ずっと「金儲け」と「対米従属」しか念頭になかった国に誰が望むことができよう。<br />
  139. だから、2005年時点で「対米従属を通じての対米自立」という戦後60年間続いた国家戦略は事実上終焉したのである。そして、それからあとは「<strong>対米自立抜きの対米従属</strong>」という国家の漂流と政治的退廃が日本を覆うことになった。<br />
  140. 2012年のアーミテージ・ナイ報告書は「日本は一流国家であり続けたいのか、それとも二流国家に成り下がって構わないのか? 日本の国民と政府が二流のステータスに甘んじるなら、この報告書は不要であろう」という恫喝から始まる。日本政府はこの恫喝に縮み上がって「一流国でありたいです」と答えて、報告書のすべての要求に応じた(原発再稼働、TPP交渉参加、掃海艇ホルムズ海峡派遣、特定秘密保護法の立法、PKOの法的権限の拡大、集団的自衛権の行使容認、武器輸出の解禁などなど)。「一流国でありたければ、言うことを聞け」というような剥き出しの恫喝に叩頭する国を他国は決して「一流国」とも「主権国家」とも見なさないだろうということが頭に浮かばないほどに日本人はいつの間にか「従属慣れ」してしまっていた。<br />
  141. この急激な「腰砕け」は一つには世代交代のせいだと私は思っている。1980年代まで、政官財の主要なプレイヤーは戦前生まれであり、「日本が主権国家であった時代」を記憶していた。彼らが生まれた時に祖国は主権国家であった。そして、自国の運命にかかわる政策を(それが亡国的なものであってさえ)他国の許諾を求めることなく自己決定することができた。それが「ふつうの国」であり、敗戦国日本はそこに回帰すべきだという「帰巣本能」のようなものをこの世代までの人々は持っていた。<br />
  142. けれども、21世紀に入ってしばらくすると「主権国家の国民であった記憶」を持った人たちが国の要路にはいなくなった。今の日本の指導層を形成するのは「主権を知らない子どもたち」である。この世代(私もそこに含まれる)にとって「アメリカの属国民であること」は自明の歴史的与件であり、それ以外の国のかたちがありうるということ自体もううまく想像することができなくなっている。<br />
  143. 敗戦国が戦勝国の属国になるというのは歴史上珍しいことではない。敗戦国がそのあと主権を回復することも同じく珍しいことではない。それができたのは、「われわれは属国という屈辱的な状況のうちにある。いつの日か主権を奪還しなければならない」という臥薪嘗胆・捲土重来という気概を人々が長期的に保持していたからである。<br />
  144. 現代日本の危機は<strong>その気概そのものが失われた</strong>ことにある。<br />
  145. 今わが国の要路にある人々はおしなべて対米従属技術に長けた「対米従属テクノクラート」である。彼らはアメリカの大学で学位を取り、アメリカに知友を持ち、アメリカの内情に通じ、アメリカ政府や財界の意向をいち早く忖度できる。そういう人たちがわが政官財学術メディアの指導層を形成している。彼らは「対米従属」技術を洗練させることでそのキャリア形成を果してきた。そして、21世紀のはじめに「対米従属は対米自立のための戦術的迂回である」ということを知っていた世代が退場したあと、取り残されたエリートたちは自分たちが何のために対米従属技術を磨いてきたのか、その理由がわからなくなった。<br />
  146. もちろん彼らが対米従属技術に熟達したのは、たかだか個人的な「出世」のために過ぎなかった。だから、「対米自立」という大義名分が失われたとき、<strong>彼らは本能的に「対米従属こそが日本の国益を最大化する道だ」という新しい大義名分を発明し、それにしがみついたのである</strong>。これは宗教的信憑に類するものであった。<br />
  147. だが、「対米従属テクノクラート」たちのこの信憑を揺るがすものたちがいる。それは「アメリカから国家主権を奪還したい」という素朴な願いを今も持ち続けている人たちである。この「素朴な」人々は日本の国益とアメリカの国益はときに相反することを現実的経験として知っており、その場合には日本の国益を優先させるべきだと思っている。この人々の「常識」が開示されることを対米従属テクノクラートたちは何よりも恐れている。<br />
  148. それゆえ、「日本はすでに主権国家であるので、主権奪還を願うというのは無意味かつ有害なことである」というイデオロギーを国民に刷り込むことが対米従属テクノクラートにとっての急務となるのである。ここまで書けば、安倍政権に領導される極右の政治運動が沖縄の基地問題や日米地位協定や首都上空の空域主権の問題(つまり主権回復・国土回復の問題)が前景化しないようにあらゆる手立てを尽くしていること、「国民主権の廃絶」そのものをめざしている改憲運動が当の国民たちから一定の支持を受けているという不条理の意味が少し理解できるはずである。<br />
  149. 先に書いたとおり、私たちは「日本には国家主権がないこと」を知っている。それは「日本国民は主権者ではない」ということを意味する。むろん国家主権がないがゆえに私たちは主権の回復を願っているわけだけれど、極右の政治思想はそこを痛撃してくるのである。「主権の回復を願うお前たちは権利上何ものなのだ?」と。<br />
  150. お前たちは主権者ではないし、かつて主権者であったこともない。アメリカによって「主権者」と指名されただけの空疎な観念に過ぎない。お前たちがいつ憲法制定の主体となるほどの政治的実力を持ったことがあるか? <br />
  151. こう言い立てられると、私たちはたじろいでしまう。まさにその通りだからである。<br />
  152. 彼らはこう続ける。お前たちはその実状にふさわしい地位と名を与えられなくてはならない。それは「<strong>非主権者</strong>」である。だから、<strong>これから憲法を改定し、基本的人権を廃し、日本国民は日本国の主権者ではないという現実を明文化する</strong>。<br />
  153. 極右の「廃憲」論の本質は約めて言えばそういうものである。空疎な理念を捨てて痛苦な現実を受け入れろと彼らは命じているのである。曲芸的な理路なのだが、なぜか妙な説得力がある。もちろん「日本の国益とアメリカの国益は完全に一致している」という命題そのものが偽なので、論理は土台から崩壊しているのだが、それでも<strong>「お前たちは主権者ではないのだからその無権力にふさわしい従属状態を甘受せよ」という決めつけには尋常ならざるリアリティがある</strong>。というのは、それがまさに対米従属テクノクラートたちがアメリカとのフロントラインで日々聞かされている言葉だからである。「お前たちは属国民だ。その地位にふさわしい従属状態を甘受せよ」と。それを言われると彼らも深く傷つくのだ。でも、ほんとうのことなので反論できない。そのフラストレーションを解消するために、対米従属テクノクラートたちは彼ら自身を傷つける言葉をそのままに日本国民にぶつけているのである。<br />
  154. 日本人が国家主権の回復をめざす対米自立の道をもう一度たどり直すまで、この自傷行為は続くだろう。<br />
  155. 病は深い。<br />
  156. </p>]]>
  157.      
  158.   </content>
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  161.   <title>教養教育とは何か</title>
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  165.   <published>2017-06-08T07:06:21Z</published>
  166.   <updated>2017-06-08T07:10:05Z</updated>
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  168.   <summary>『大学ランキング』に教養教育について寄稿した。もう本が出てずいぶん経つから、ブロ...</summary>
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  176.      <![CDATA[<p>『大学ランキング』に教養教育について寄稿した。もう本が出てずいぶん経つから、ブログで公開してもいいだろうと思う。いつもの話ですけど。<br />
  177. <strong>教養教育とは何か</strong></p>
  178.  
  179. <p>教養教育の目的は第一に「自分自身をマップすること」にある。それは、図書館のどの書棚にどんな本が配架されているかを示す案内板や、山歩きするときの地図の働きに似ている。案内板が教えてくれるのは、「自分が知っていること」よりはむしろ「自分が知らないこと」である。地図は「自分のいる場所」よりはるかに多くの情報を「自分がいない場所」について伝えてくれる。それが教養教育の本来の姿だと私は思う。<br />
  180. 大学設置基準大綱化のあと、多くの大学が教養教育を止めた。1年生から4年間フルに専門教育を行えば卒業時点で社会が求める「即戦力」が出来上がると信じたのである。でも、しばらくして「即戦力」をうるさく求めた当の産業界から「教養教育をちゃんとやってほしい。教養のない専門家は使い物にならない」という泣訴が届いた。<br />
  181. 当然だと思う。専門家というのは他の専門家との協働作業ではじめてその力を発揮する。協働するためには、自分には何ができて、何ができないのか、自分は何を提供できて、何を欠いているのかを言葉にできなければならない。<strong>非専門家に自分の専門について手際よく説明することができる人間のことを専門家と呼ぶのである</strong>。<br />
  182. それができない人間は特定領域での知識や技術がどれほどあっても他の専門家との協働作業にかかわることができない。専門性とは自分が「地図上のどこにいるのか」を指示できることである。地図の見方を知らない人間にはそれができない。「地図を見る力」を養うこと、それが教養教育である。専門的な知識や技術を身につけることとは別の次元の仕事なのである。</p>
  183.  
  184. <p>日本の教育史上最も成功した教養教育は旧制高校だと私は思う。そこでは若者たちが起居をともにし、文字通り「同じ釜の飯を食う」生活をした。彼らはその生活を通じて、集団内部での自分の果たすべき役割を学んでいった。のちに大きな仕事をした人たちが高校時代を回顧して、「・・・に出会って、この分野ではこいつには歯が立たないとわかったので、自分は・・・を専門にすることにした」と述懐する言葉を私は何度も読んだことがある。<br />
  185. 旧制高校が教育機関として成功したのは、それが同学齢集団の中でどういうふうに「ばらける」と集団としての知的パフォーマンスが最高になるかを十代の頃から熟慮させる仕組みだったからだと私は思っている。</p>
  186.  
  187. <p>今の学校教育では、学生たちを単一のある「ものさし」を使って格付けして、上位者を優遇し、下位者を処罰するという競争原理が幅をきかせている。けれども、<strong>精度の高い格付けを行うためには、それに先立って、できるだけ学生たちを均質化する必要がある</strong>。「それ以外の条件をすべて同じにする」ことでしか「ものさし」は当てられないからである。<br />
  188. <strong>精度の高い格付けと多様性は共存できない</strong>。どちらかをあきらめるしかない。日本の大学は格付けを優先して、多様性を捨てた。21世紀に入ってからの日本の大学の学術的アウトカムの劇的な劣化はそれが原因で起きたと私は思っている。</p>
  189.  
  190. <p>学生ひとりひとりの「学力」を査定して、点数化して格付けすることにはそれなりの意味はあるが、「それなりの意味」以上のものはない。むしろそれがいま私たちの社会と学校教育の場に及ぼしている害毒についてもっと自覚的でなければならないと私は思う。<strong>教育の成果は最終的には個人ではなく、集団単位で考量すべきものだからである。</strong><br />
  191. 私たちは学校教育を通じて、私たちの共同体の未来を担うことのできる次世代の成員たちを育てている。彼らの知性的・感性的な成熟を支援することによって、私たちの共同体が存続できるようにすることが学校教育の第一目的である。それ以外のことはどれも副次的なことに過ぎない。</p>
  192.  
  193. <p>『七人の侍』でも『スパイ大作戦』でも『ナバロンの要塞』でも(たとえが古くて申し訳ないが)、プロたちははそれぞれの「余人を以ては代えがたい」異能の持ち主である。あるものは変装の、あるものは外国語の、あるものは戦闘技術の才によって集団に参加し、彼らの貢献によって集団は爆発的なパフォーマンスを達成する。そういう英雄譚はおそらく古代から繰り返し語られてきたのだと思う。それは<strong>専門分化と協働が集団の存続にとって死活的に重要だ</strong>ということを人々に教えるために物語られてきたのである。<br />
  194. 気づいている人もいるはずだが、20年ほど前から日本では「似たような能力を持っている若者たちを一堂に集めて、その優劣を格付けして、それに基づいて資源分配をする」という後味の悪い物語を人々は娯楽として大量に消費するようになった。おそらくは社会の実相をそのまま映し出しているのである。もう一度アカデミアは「多士済々」の場とならねばならない。それが果たせなければ日本に未来はない。<br />
  195. </p>]]>
  196.      
  197.   </content>
  198. </entry>
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  200.   <title>ル・モンドの記事から「共謀罪」について</title>
  201.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/05/29_1044.php" />
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  203.  
  204.   <published>2017-05-29T01:44:50Z</published>
  205.   <updated>2017-05-29T05:43:39Z</updated>
  206.  
  207.   <summary>ル・モンド、5月27日 テロリズムと組織犯罪を防止するためという口実の下に、日本...</summary>
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  214.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  215.      <![CDATA[<p><strong>ル・モンド、5月27日</strong></p>
  216.  
  217. <p>テロリズムと組織犯罪を防止するためという口実の下に、日本政府はきわめて問題の多い法律的な利器を準備している。あらゆる形態の「謀略」に対するこの法案についての採決が5月23日に衆院で行われ、参院では法案は6月中旬に採決される予定である。<br />
  218. この法律が施行されると、テロリスト的あるいは犯罪的な活動の準備または実現に関与した個人あるいは集団は捜査の対象となる。<br />
  219. 安倍晋三首相によれば、2020年の東京五輪に向かってテロリズムとの闘いの枠組みを作りあげることは彼の「責任」だということである。この法案を通すことは、彼の説明によれば、2000年に国連で採択された国際的な組織犯罪に対する協定の批准のために不可欠だという。<br />
  220. 同趣旨の法案は2003年と2005年にも提案されたが廃案となった。日本は世界で最も安全な国の一つであり、2002年以降犯罪発生率は減り続けている。なぜこの法案が急に出て来たのかは国民の間に大きな不安を掻き立てている。採否についての国論は二分されており、法案の説明が欠けていることには不満が高まっている。国会前では何百人もの人々が抗議行動をしている。<br />
  221. 人権擁護のための諸団体、弁護士、ジャーナリスト、学者たちの組織は、現行の法律で国連の協定批准には十分であるとしている。彼らはこの法律が反政府的な活動にかかわるすべての市民に対する恣意的な監視を合法化するという隠された目的のためのものであることを懸念している。この分野については、警察はすでに十分な裁量権を享受している。<br />
  222. 憲法学者飯島滋明はこの法案のうちに「憲法の三大原則、人権の尊重、平和主義、国民主権」に対する脅威を見ている。<br />
  223. 法案は1925年の治安維持法を想起させる、と飯島氏は指摘する。<br />
  224. 治安維持法採択の前にも政府はこの法律は共産主義者だけを対象にするものだと言明した。しかし、1930~40年代において治安維持法は全国民に対して厳格な監視を行い、軍国主義の勃興に反対する人々を沈黙させるために活用された。この軍国主義のキーパーソンの一人が戦犯となったのちに1957年に首相となった岸信介(安倍晋三の祖父)である。この祖父を安倍首相は尊敬している。<br />
  225. 安倍首相が提出した法案は訴追できる277の犯罪リストを含んでいる。その多くは知的財産権侵害や許可なしの競艇参加とか国有林での植物伐採のようなテロリズムとの関係が見出し難いものである。法務大臣金田勝年は地図と双眼鏡を携行して公園を訪れた人間もテロ準備の容疑者となりうるとまで述べた。<br />
  226. この法案については国連も不安を感じている。5月18日付の書簡において、国連のプライバシーについての特別報告者Joseph Cannataciは「『計画』と『準備行動』を構成するものの定義の曖昧さゆえに、法案が恣意的に適用されるリスクに対する懸念」を明らかにした。氏はまた「テロリズムとも犯罪ともいかなる関係も見られない」犯罪のリストが含まれていることに疑義を呈し、「プライバシーと表現の自由の保護に対する不適切な抑圧」のリスクを指摘している。<br />
  227. しかし、菅官房長官はこの書簡は「まったく不適切であり、われわれは厳重に抗議する」と反論している。驚くべき反応である。というのは、日本は他のことについては国際法の順守をこれまで強く訴えてきていたからである。<br />
  228. </p>]]>
  229.      
  230.   </content>
  231. </entry>
  232. <entry>
  233.   <title>天皇制についてのインタビュー</title>
  234.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/05/16_0612.php" />
  235.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1794</id>
  236.  
  237.   <published>2017-05-15T21:12:16Z</published>
  238.   <updated>2017-05-15T21:25:36Z</updated>
  239.  
  240.   <summary>『月刊日本』今月号に天皇制についてのインタビューが掲載された。このトピックについ...</summary>
  241.   <author>
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  243.      
  244.   </author>
  245.  
  246.  
  247.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  248.      <![CDATA[<p>『月刊日本』今月号に天皇制についてのインタビューが掲載された。このトピックについて長い話をしたのはこれがはじめてなので、ここに再録しておく。</p>
  249.  
  250. <p><strong>―― 昨年8月8日の「お言葉」以来、天皇の在り方が問われています。死者という切り口から天皇を論じる内田さんにお話を伺いたい。</strong></p>
  251.  
  252. <p>昨年のお言葉は天皇制の歴史の中でも画期的なものだったと思います。日本国憲法の公布から70年が経ちましたが、今の陛下は皇太子時代から日本国憲法下の象徴天皇とはいかなる存在で、何を果たすべきかについて考え続けてきました。その年来の思索をにじませた重い「お言葉」だったと私は受け止めています。<br />
  253. 「お言葉」の中では、「象徴」という言葉が8回使われました。特に印象的だったのは、「象徴的行為」という言葉です。よく考えると、これは論理的には矛盾した言葉です。象徴とは記号的にそこにあるだけで機能するものであって、それを裏付ける実践は要求されない。しかし、陛下は形容矛盾をあえて犯すことで、象徴天皇にはそのために果たすべき「象徴的行為」があるという新しい天皇制解釈に踏み込んだ。その象徴的行為とは「鎮魂」と「慰藉」です。<br />
  254. ここでの「鎮魂」とは先の大戦で斃れた人々の霊を鎮めるための祈りのことです。陛下は実際に死者がそこで息絶えた現場まで足を運び、その土に膝をついて祈りを捧げてきました。もう一つの慰藉とは「時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うこと」と「お言葉」では表現されていますが、さまざまな災害の被災者を訪れ、同じように床に膝をついて、傷ついた生者たちに慰めの言葉をかけることを指しています。<br />
  255. 死者たち、傷ついた人たちのかたわらにあること、つまり「共苦すること(コンパッション)」を陛下は象徴天皇の果たすべき「象徴的行為」と定義したわけです。<br />
  256. 憲法第七条には、天皇の国事行為として、法律の公布、国会の召集、大臣や大使の認証、外国大使公使の接受などが列挙されており、最後に「儀式を行うこと」とあります。陛下はこの「儀式」が何であるかについての新しい解釈を示されたのです。それは宮中で行う宗教的な儀礼のことに限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り添うことである、と。<br />
  257. 憲法第1条は天皇は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」であると定義していますが、この「象徴」という言葉が何を意味するのか、日本国民はそれほど深く考えてきませんでした。天皇は存在するだけで、象徴の機能は果たせる。それ以上何か特別なことを天皇に期待すべきではないと思っていた。けれど、陛下は「お言葉」を通じて、「儀式」の新たな解釈を提示することで、そのような因習的な天皇制理解を刷新された。天皇制は「いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくか」という陛下の久しい宿題への、これが回答だったと私は思っています。<br />
  258. 「象徴的行為」という表現を通じて、陛下は「象徴天皇には果たすべき具体的な行為があり、それは死者と苦しむもののかたわらに寄り添う鎮魂と慰藉の旅のことである」という「儀式」の新たな解釈を採られた。そして、それが飛行機に乗り、電車に乗って移動する具体的な旅である以上、それなりの身体的な負荷がかかる。だからこそ、高齢となった陛下には「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくこと」が困難になったという実感があった。<br />
  259. 「お言葉」についてのコメントを求められた識者の中には、国事行為を軽減すればいいというようなお門違いなことを言った者がおりましたけれど、「お言葉」をきちんと読んだ上の発言とはとても思えない。国会の召集や大臣の認証や大使の接受について「全身全霊をもって」というような言葉を使うはずがないでしょう。「全身全霊をもって」というのは「自分の命を削っても」という意味です。それは鎮魂と慰藉の旅のこと以外ではありえません。<br />
  260. 天皇の第一義的な役割が祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること、これは古代から変わりません。陛下はその伝統に則った上でさらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と苦しむものの慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。これを明言したのは天皇制史上初めてのことです。現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。何より天皇陛下ご自身が天皇制の果たすべき本質的な役割について明確な定義を行ったというのは、前代未聞のことです。私が「画期的」と言うのはそのような意味においてです。</p>
  261.  
  262. <p><strong>―― 天皇は非人称的な「象徴」(機関)であると同時に、人間的な生身の「個人」でもあります。象徴的行為では、天皇の象徴性(記号性)と人間性(個人性)という二つの側面が問題になると思います。</strong></p>
  263.  
  264. <p>昭和天皇もそのような葛藤に苦しまれたと思います。大日本帝国憲法下の天皇はあまりに巨大な権限を賦与されていたために、人間的な感情の発露を許されなかった。だから、昭和天皇には余人の計り知れない、底知れないところがありました。開戦のとき、終戦のとき、天皇がほんとうは何を考え、何を望んでおられたのか、誰にも決定的なことは知らない。けれども、日本国憲法下での象徴天皇制70年間の経験は、今の陛下に「自分の気持ち」をある程度はっきりと告げることが必要だという確信をもたらした。<br />
  265. 天皇は自分の個人的な気持ちを表すべきではないという考え方もあると思います。そういう考え方にも合理性があることを私は認めます。けれども、政治に関与することない象徴天皇制であっても、その時々の天皇の人間性が大きな社会的影響力を持つことは誰にも止められない。そうであるならば、私たち国民は天皇がどういう人柄で、どういう考えをする方であるかを知る必要がある。「国民の安寧と幸福」に資するために天皇制をどのようなものであるべきかは天皇陛下と共に、私たち国民も考え続ける義務があります。法的に一つの決定的なかたちを選んで、その制度の中に皇室を封じ込めて、それで「けりをつける」というような硬直的な構えは採るべきではない。<br />
  266. 日本国憲法下における立憲デモクラシーと天皇制の併存という制度は、出発時点ではどういうものになるのか、想像もつかなかった。その制度が今こうしてはっきりとした輪郭を持ち、日本の社会的な安定の土台になるに至ったのには、皇室のご努力が与って大きかったと私は思います。天皇制がどうあるべきかについての踏み込んだ議論を私たち国民は怠ってきたわけですから。<br />
  267. しかし、国民が議論を怠っている間にも、陛下は天皇制がどういうものであるべきかについて熟考されてきた。「お言葉」にある「即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました」というのは、陛下の偽らざる実感だと思います。そして、その模索の結論が「象徴的行為を果すのが象徴天皇である」という新しい天皇制解釈でした。私はこの解釈を支持します。これを非とする人もいるでしょう。それでもいいと思います。天皇制の望ましいあり方について戦後70年ではじめて、それも天皇ご自身から示された新しい解釈なのですから、この当否について議論を深めてゆくのは私たち日本国民の権利であり、また義務であると思います。</p>
  268.  
  269. <p><strong>―― 象徴的行為は死者と自然に関わる霊的行為です。これはシャーマニズム的だと思います。</strong></p>
  270.  
  271. <p>どのような共同体にもそれを基礎づける霊的な物語があります。近代国家も例外ではありません。どの国も、その国が存在することの必然性と歴史的意味を語る「物語」を必要としている。天皇は伝統的に「シャーマン」としての機能を担ってきた。その本質的機能は今も変わりません。「日本国民統合の象徴」という言葉が意味しているのはそのことです。しかし、鎮魂慰霊すべき「死者」をどう設定するか、これが非常に難しい問題となります。<br />
  272. 伝統的に、死者の鎮魂において政治的な対立や敵味方の区分は問題になりません。「死んだら誰もが仏になる」というのは、死者を識別してはならないという私たちの中に深く根付いた死生観を表す言葉です。「こちらの死者は鎮魂するが、こちらの死者については朽ちるに任せる」というような賢しらなことはしてはならない。<br />
  273. かといって、「四海同胞」なのだから人類誕生以来の死者全てを同時に平等に鎮魂慰霊すればいいという話にはならない。それでは「国民統合」の働きは果たせない。象徴的行為の目的はあくまでも国民の霊的統合ですから。どこかで、ここからここまでくらいが「私たちの『死者』」という、範囲について国民的合意を形成する必要がある。<br />
  274. だからこそ、陛下は戦地を訪れておられるのだと思います。宮中にとどまったまま祈ることももちろんできます。けれども、それでは誰を慰霊しているのか判然としなくなる。戦地にまで足を運び、敵も味方も現地の非戦闘員も亡くなった現場に立つのは、「ここで亡くなった人たち」というかたちで慰霊の対象を限定するためです。日本人死者たちのためだけに祈るわけではもちろんありません。アメリカ兵のためにも、フィリピン市民のためにも祈るけれど、「人類全体」のために祈っているわけでもない。そのような無限定性は祈りの霊的な意味をむしろ損なってしまう。死者はただの記号になってしまう。だから、「敵味方の区別なく」であり、かつ「まったく無限定ではない」という条件を満たすためには、どうしても「現場」に立つしかない。それが鎮魂慰霊のために各地を旅してきた陛下の経験的実感だと私は思います。<br />
  275. 鎮魂は日本に限ったことではありません。他国には他国の霊的な物語がある。たとえば慰安婦問題がそうです。日韓合意は日本との経済関係や軍事的連携を優先するという合理的な考え方に基づくものだったけど、慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に」解決するには至らなかった。韓国の人たちが「このような謝罪では、死者が許してくれない」という死者の切迫を感じているからです。南京大虐殺もそうです。<br />
  276. 鎮魂慰霊というのは生きている人間の実利にはかかわりがありません。そんなことをしてもらっても生きている人間たちの現実には何一つ「いいこと」があるわけではない。けれども、恨みを抱えて死んだ同胞の慰霊を十分に果たさなければ「何か悪いこと」が起きるということは世界のどの国でも、人々は実感しています。死者の切迫とは「これでは死者が浮かばれない」という焦燥のことです。そして、その感覚が現に外交や内政に強い影響を及ぼしている。「成仏できない死者たち」が現実の政治過程に強い影響を及ぼしているという点では、実は古代も現代も変わらない。その意味では私たちは今もまだ「シャーマニズムの時代」と地続きなのです。<br />
  277. ですから、「死者をして安らかに眠らせる」ということが近代国家にとってもきわめて重要な政治的行為となりうるのです。死者のことなんかどうでもいいじゃないかと思っていると、死者は蘇って、「祟り」をなす。死者の切迫をつねに身近に感じて、その怒りや恨みや悲しみを鎮めようと必死で祈り続ければ、死者はしだいに遠ざかり、その影響力も消えてゆく。そういう仕組みなんです。そのことはわれわれ現代人も実際には熟知している。だからこそ、陛下は旅を止めることができないのです。</p>
  278.  
  279. <p><strong>― しかし安倍政権の対応は冷ややかでした。</strong></p>
  280.  
  281. <p>官邸の人たちには鎮魂や慰藉ということが統治者の本務だという意識がないからでしょう。天皇は権力者にとって「玉」、「御輿」でいいと、そう思っている。僕は安倍政権の人々からは天皇に対する素朴な崇敬の念を感じません。彼らはただ国民の感情的なエネルギーを動員するための「ツール」として天皇制をどう利用するかしか考えていない。そのためには天皇を御簾の奥に幽閉しておく必要がある。国事行為だけやっていればいい、個人的な「お言葉」など語ってくれるなというのが政権の本音でしょう。それに、今回、陛下が天皇制の「あり方」についてはっきりしたステートメントを発表された背景には、安倍政権が国のかたちを変えようとしていることに対する危機感が伏流していると私は思っています。<br />
  282. 正面切っては言われませんけれど、僕は感じます。</p>
  283.  
  284. <p><strong>―― 天皇陛下のお言葉は、そもそも日本にとって天皇とは何か、という問題を提起していると思います。</strong></p>
  285.  
  286. <p>この70年間、私も含めて日本人はほとんど「天皇制はいかにあるべきか」について真剣な議論をしてこなかった。私が記憶する限り、戦後間もない時期が最も天皇制に対する関心は低かったと思います。「天皇制廃止」を主張する人が周りにいくらもいたし、冷笑的に「天ちゃん」と呼ぶ人もいた。それだけ戦時中に「天皇の名において」バカな連中がなしたことに対する不快感と嫌悪感が強かったのだと思います。東京育ちの私の周囲には、天皇に対する素朴な崇敬の念を表す人はほとんどいませんでした。私もそういう環境の中で育ちましたから、当然のように「現代社会に太古の遺物みたいな天皇制があるのは不自然だ。何より立憲デモクラシーと天皇制は原理的に両立するはずがない」と思っていました。その頃に天皇制の存否についてアンケートを受けたら、たぶん「廃止した方がいい」と答えたと思います。<br />
  287. しかし、それからだんだん大きくなって、他国々の統治システムについて知り、自分自身も政治的なことにかかわるようになって、話はそれほど簡単ではないと思うようになりました。ソ連や中国のような国家は、たしかに単一の政治的原理に基づいて統治されているわけですけれども、どうも息苦しい。そういう国では権力者たちはほとんど不可避的に腐敗してゆく。アメリカやフランスの場合は、それとは逆に頻繁に政権交代が行われ、対立する二つの統治原理が矛盾葛藤しているけれど、どうもこちらの方が住みやすそうに見える。そういう国の方が統治者が間違った政策を採択したあとの補正や復元の力が強い。どうやら「楕円的」というか、二つの統治原理が拮抗している政体の方が「一枚岩」の政体よりも健全らしい、そう思うようになりました。<br />
  288. 翻って日本を見た場合には、天皇制と立憲デモクラシーという「氷炭相容れざるもの」が拮抗しつつ共存している。でも、考えてみたら、日本列島では、卑弥呼の時代のヒメヒコ制から、摂関政治、征夷大将軍による幕府政治に至るまで、祭祀にかかわる天皇と軍事にかかわる世俗権力者という「二つの焦点」を持つ楕円形の統治システムが続いてきたわけです。この二つの原理が拮抗し、葛藤している間は、システムは比較的安定的で風通しのよい状態にあり、拮抗関係が崩れて、一方が他方を併呑すると、社会が硬直化し、息苦しくなり、ついにはシステムクラッシュに至る。<br />
  289. 大日本帝国の最大の失敗は、「統帥権」という天皇に属し、世俗政治とは隔離されているはずの力を帷幄奏上権を持つ一握りの軍人が占有したことにあります。「統帥権」というアイディアそのものは天皇の力を不安定な政党政治から隔離しておくための工夫だったのでしょうが、「統帥権干犯」というトリッキーなロジックを軍部が「発見」したせいで、いかなる国内的な力にも制約を受けない巨大な権力機構が出来てしまった。拮抗すべき祭祀的な原理と軍事的な原理を一つにしてしまうという日本の政治文化における最大の「タブー」を犯したせいで、日本は敗戦という巨大な災厄を呼び込んだ。私はそう理解しています。<br />
  290. だから今は、昔の私みたいに「立憲デモクラシーと天皇制は原理的に両立しない」と言う人には、「両立しがたい二つの原理が併存している国の方が住みやすいのだ」と言いた。単一原理で統治される「一枚岩」の政体は、二原理が拮抗している政体よりもむしろ脆弱で息苦しい。それよりは中心が二つの政体の方が生命力が強い。日本の場合は、その一つの焦点として天皇制がある。これは一つの政治的発明だ。そう考えるようになってから僕は天皇主義者に変わったのです。<br />
  291. <strong>―― 「國體護持」ですね(笑)</strong></p>
  292.  
  293. <p>「國體」というのは、この二つの中心の間で推力と斥力が働き合い、微妙なバランスを保つプロセスそのものことだと私は理解しています。「國體」というものを単一の政治原理のことでもないし、単一の政体のことでもない、一種の均衡状態、運動過程として理解したい。祭祀的原理と軍事的・政治的的原理が拮抗し合い、葛藤し合い、干渉し合い、決して単一の政治綱領として教条化したり、制度として惰性化しないこと、それこそが日本の伝統的な「国柄」でしょう。<br />
  294. 安倍内閣の大臣たちが言う「国柄」というのは固定的なイデオロギーや強権的な政治支配のことですけれど、僕はそういう硬直化した思考ほど日本のあるべき「国柄」の実現を妨げるものはないと思います。<br />
  295. そう考えるようになった一因は、何年か前に韓国のリベラルな知識人と話したときに、「日本は天皇制があって羨ましい」と言われたことです。あまりに意外な言葉だったので、理由を尋ねるとこう答えてくれました。<br />
  296. 「韓国の国家元首は大統領です。でも、大統領は世俗的な権力者にすぎず、いかなる霊的価値も担わないし、倫理の体現者でもない。だから、大統領自身もその一党もつい権威をかさに不道徳なふるまいを行う。そして、離職後に、元大統領が逮捕され、裁判にかけられるという場面が繰り返される。ついこの間まで自分たちが戴いていた統治者が実は不道徳な人物であったという事実は、韓国民の国民統合や社会道徳の形成を深く傷つけています。それに比べると、日本には天皇がいる。総理大臣がどれほど不道徳な人物であっても、無能な人物であっても、天皇が体現している道徳的なインテグリティ(高潔性)は傷つかない。そうやって天皇は国民統合と倫理の中心として社会的安定に寄与している。それに類する仕組みがわが国にはないのです」という話を聞きました。<br />
  297. 言われてみれば確かにそうだと思いました。日本でも総理大臣が国家元首で、国民統合の象徴であり、人としての模範であるとされたら、たちまち国中が道徳的な無規範状態に陥ってしまうでしょう。<br />
  298. 18世紀の近代市民社会論では、「自分さえよければそれでいい」という考え方を全員がすると社会は「万人の万人に対する戦い」となり、かえって自己利益を安定的に確保できない。だから、私権の制限を受け入れ、私利の追求を自制して、「公共の福利」を配慮した方が確実に私権・私利を守れるのだ、という説明がなされます。「自己利益の追求を第一に考える人間は、その利己心ゆえに、自己利益の追求を控えて、公的権力に私権を委譲することに同意する」というロジックです。「真に利己的な人間は非利己的にふるまう」というわけです。<br />
  299. でも、私はこの近代市民社会論のロジックはもう現代日本においては破綻していると思います。「このまま利己的にふるまい続けると、自己利益の安定的な確保さえむずかしくなる」ということに気づくためには、それなりの論理的思考力と想像力が要るわけですけれど、現代日本人にはもうそれが期待できない。<br />
  300. しかし、それでもまだわが国には「非利己的にふるまうこと」を自分の責務だと思っている人がいる。それだけをおのれの存在理由としている人がいる。それが天皇です。<br />
  301. 1億2700万人の日本国民の安寧をただ祈る。列島に暮らすすべての人々、人種や宗教や言語やイデオロギーにかかわらず、この土地に住むすべての人々の安寧と幸福を祈ること、それを本務とする人がいる。そういう人だけが国民統合の象徴たりうる。<br />
  302. 私は天皇制がなければ、今の日本社会はもっと手の付けられない不道徳、無秩序状態に陥っているだろうと思っています。</p>
  303.  
  304. <p><strong>―― 確かに東日本大震災の時、菅直人総理大臣しかいなかったら、もっと悲惨な状況になっていたと思います。</strong></p>
  305.  
  306. <p>震災の直後に、総理大臣と天皇陛下のメッセージが並んで新聞に載っていました。全く手触りが違っていた。総理大臣のメッセージは可もなく不可もない、何の感情もこもっていない官僚的作文でしたけれど、天皇陛下のメッセージは行間から被災者への惻隠の情が溢れていた。その二つを読み比べて、「国家的危機に際してこんな言葉しか出しえない政治家は国民統合の中心軸にはなれない。でも天皇陛下なら国民を一つにまとめられるだろう」と思いました。</p>
  307.  
  308. <p><strong>―― 内田さんは天皇の役割について「権威」ではなく「霊的権力」「道徳的中心」という言葉を使っています。</strong></p>
  309.  
  310. <p>道徳というのは別に「こういうふうにふるまうことが道徳的です」というリストがあって、それに従うことではありません。そう考えている人がほとんどですけれど、まったく違います。道徳というのは、何十年、何百年という長い時間のスパンの中にわが身を置いて、自分がなすべきことを考えるという思考習慣のことです。ある行為の良し悪しの判断というのは、リストと照合して決められることではありません。「私がこれをしたら、死者たちはどう思うだろう」「私がこれをしたら未来の世代はどう評価するだろう」というふうに考える習慣のことを「道徳的」と言うのです。<br />
  311. 道徳心がない人間のことを「今だけ、金だけ、自分だけ」とよく言いますけれど、言い得て妙だと思います。不道徳的であることの最大の条件は「今だけ」という考え方をすることです。四半期ベースでものごとの当否を決めるような態度のことを「不道徳的」と言うのです。<br />
  312. ですから、次の選挙まで一時的に権力を付託されているに過ぎない総理大臣と悠久の歴史の中で自分の言動の適否を判断しなければならない天皇では、そもそも採用している「時間的スパン」が違います。安倍政権は赤字国債の発行でも、官製相場の維持でも、原発再稼働でも、要するに「今の支持率」を維持するためには何でもします。死者たちはどう思うか、未来の世代はどう評価するかというようなことは考えていない。自分の任期が終わったあとの日本についてはほとんど何も考えていない。<br />
  313. 天皇の道徳性というのは、そのときに天皇の地位にある個人の資質に担保されるわけではありません。1500年という時間的スパンの中に自分を置いて、「今何をなすべきか」を考えなければいけない。そのためには「もうここにはいない」死者たちを身近に感じ、「まだここにはいない」未来世代をも身近に感じるという感受性が必要です。私が「霊的」というのはそのことです。天皇が霊的な存在であり、道徳的中心だというのは、そういう意味です。</p>
  314.  
  315. <p><strong>―― 古来、天皇は霊的役割を担ってきました。しかし、そもそも近代天皇制国家とは矛盾ではないか、天皇と近代は両立するのか、という問題があります。<br />
  316. </strong></p>
  317.  
  318. <p>現に両立しているじゃないですか。むしろ非常によく機能している。象徴天皇制は日本国憲法下において、昭和天皇と今上陛下の思索と実践によって作り上げられた独特の政治的装置です。長い天皇制の歴史の中でも稀有な成功を収めたモデルとして評価してよいと私は思います。国民の間に、特定の政治イデオロギーとかかわらず、天皇に対する自然な崇敬の念が静かに定着したということは近世以後にはないんじゃないですか。江戸時代には天皇はほとんど社会的プレゼンスがなかったし、戦前の天皇崇拝はあまりにファナティックでした。肩の力が抜けた状態で、安らかに天皇を仰ぎ見ることができる時代はここ数百年で初めてなんじゃないですか。</p>
  319.  
  320. <p><strong>―― 最後に、これから我々はいかに天皇を戴いていくべきか伺いたいと思います。</strong></p>
  321.  
  322. <p>それについては、私にはまだよく分からないです。世界中で日本だけが近代国民国家、近代市民社会の形態をとりながら古来の天皇制を存続させている。霊的権力と世俗権力の二重構造が統治システムとして機能し、天皇が象徴的行為を通じて日本統合を果たしている。こんな国は見回すと世界で日本しかない。どこかよそに「成功事例」があれば、それを参照にできますけれど、とりあえず参照できるのは、過去の天皇制が「うまく行っていた時代」しかない。けれども、それを採用するわけにはゆかない。社会の仕組みが違い過ぎます。<br />
  323. かつてレヴィ=ストロースは人間にとって真に重要な社会制度はその起源が「闇」の中に消えていて、たどることができないと書いていました。親族や言語や交換は「人間がそれなしでは生きてゆけない制度」ですけれども、その起源は知られていない。天皇制もまた日本人にとっては「その起源が闇の中に消えている」ほどに太古的な制度だと思います。けれども、21世紀まで生き残り、現にこうして順調に機能して、社会的安定の基盤になっている。いずれ天皇制をめぐる議論で国論が二分されて、社会不安が醸成されるリスクを予想した人はかつておりましたが、天皇制が健全に機能して、政治の暴走を抑止する働きをするなんて、50年前には誰一人予測していなかった。そのことに現代日本人はもっと「驚いて」いいんじゃないですか。<br />
  324. </p>]]>
  325.      
  326.   </content>
  327. </entry>
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  329.   <title>村上春樹の系譜と構造</title>
  330.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/05/14_1806.php" />
  331.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1793</id>
  332.  
  333.   <published>2017-05-14T09:06:23Z</published>
  334.   <updated>2017-05-15T01:39:43Z</updated>
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  341.  
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  344.      <![CDATA[<p>最初にお断りしておきますけれど、僕は村上春樹の研究者ではありません。批評家でもない。一読者です。僕の関心事はもっぱら「村上春樹の作品からいかに多くの快楽を引き出すか」にあります。ですから、僕が村上春樹の作品を解釈し、あれこれと仮説を立てるのは、そうした方が読んでいてより愉しいからです。どういうふうに解釈すると「もっと愉しくなるか」を基準に僕の仮説は立てられています。ですから、そこに学術的厳密性のようなものをあまり期待されても困ります。とはいえ、学術的厳密性がまったくない「でたらめ」ですと、それはそれで解釈のもたらす愉悦は減じる。このあたりのさじ加減が難しいです。どの程度の厳密性が読解のもたらす愉悦を最大化するか。ふつうの研究者はそんなことに頭を使いませんけれど、僕の場合は、そこが力の入れどころです。<br />
  345. いずれにせよ、僕が仮説を提示するのは、みなさんからの「真偽」や「正否」の判断を求めてではありません。自分の「思いついたこと」をみなさんにお話しして、それに触発されて、「今の話を聞いて、私も『こんなこと』を思いついた」という人が一人でもいれば、僕はそれで十分です。<br />
  346. 今回は二つのトピックを巡ってお話しします。一つは村上文学の「系譜」についてです。この「系譜」には「横の系譜」と「縦の系譜」の二つがあると僕は考えています。それについてお話しします。もう一つは「構造」についてです。村上文学の構造は、系譜と絡み合っています。系譜と構造は村上文学に取りかかる時の二つの「登山口」のようなものです。たぶんどちらから登っても結局は「同じところ」に行き着くはずです。まずは分かりやすい「系譜」の話からいたします。</p>
  347.  
  348. <p>村上春樹は『風の歌を聴け』(1979年)、『1973年のピンボール』(1980年)という初期の2作品を書いた時は「兼業作家」でした。20代の7年間をジャズバーを経営し、作家自身の言葉を借りれば「肉体労働」をして過ごしていた。29歳の時に、神宮球場でヤクルトスワローズの開幕戦を外野席で冷たいビールを飲みながら観戦していたときに、天啓のように「そうだ、小説を書こう」という気分になった、とご本人が回想しています。<br />
  349. 初期の2作品は深夜に仕事が終わったあと、台所のテーブルの上で書かれました。1日の肉体労働が終わったあとに、クールダウンをするような感じで原稿用紙を文字で埋めていった。寝る時間を削って書いているわけですから、それほど長時間集中することはできない。せいぜい2〜3時間でしょう。ですから、この2作は細かいセグメントの組み合わせになりました。アフォリズム的な作品といってもいい。短いエピソードや断片的な描写が繋ぎ合わされている。それが独特のドライでクールな味わいをこの2作品に与えています。それを「スマート」とか「都会的」というふうに感じた読者もいたと思います。でも、それは作家の選んだスタイルであったというだけではなく、たぶんに執筆事情が要請したものでした。<br />
  350. 村上春樹が自分のスタイルを「発見」したのは第三作の『羊をめぐる冒険』(1982年)においてです。この前にジャズバーの経営を譲って、専業作家になった。これまでとは違って、長時間にわたって集中的に書く環境が整った。それによってスタイルが変わります。「深く掘る」ことができるようになった。そのあたりの事情を作家自身はこう回想しています。<br />
  351. 「この小説を書き上げたとき、自分なりの小説スタイルを作りあげることができたという手応えがあった。また時間を気にせずに好きなだけ机に向かい、毎日集中して物語を書けるというのがどれくらい素晴らしいことなのか(そして大変なことなのか)、身体全体で会得できた。自分の中にまだ手つかずの鉱脈のようなものが眠っているという感触も得たし、『これなら、この先も小説家としてやっていけるだろう』という見通しも生まれた。」(『走ることについて語るときに僕の語ること』、文藝春秋、2007年、51頁)<br />
  352. ここに出て来た「鉱脈」という言葉にご注意ください。村上春樹は書くという行為をつねに「坑夫が穴を掘る」というメタファーで語ります。これは書いている時の彼の身体的実感なんだろうと思います。もし「創造する」ということを比喩的に言いたいのなら、他にもいくつも言い方はあるはずです。「家を建てる」でも「橋を架ける」でも「野菜を育てる」でもいい。でも、そういうメタファーを村上春樹は一度も使ったことがない。つねに「穴を掘る」です。<br />
  353. 作家は毎日日課として小説を書きます。小説制作の現場に「出勤」し、そこで一定時間、「穴を掘る」。金脈を探す鉱夫と同じです。日々穴は掘った分だけ深くなるけれど、鉱脈にはなかなか堀り当たらない。でも、いつか鉱脈に当たると信じて掘り続ける。<br />
  354. このスタイルを村上春樹はレイモンド・チャンドラーに学んだと書いています。チャンドラーのルールは次のようなものでした。1日決まった時間だけデスクのタイプライターの前に座る。そこで物語を書く。それ以外のことはしてはいけない。手紙を書いたり、本を読んだりしてはいけない。ただ、書く。書くことが思いつかなくても、そのままじっとタイプライターの前に座っている。一定時間が経ったら、切り上げる。続きはまた明日。<br />
  355. 同じことを作曲家の久石譲さんからも聴いたことがあります。作曲家の場合は毎日まずピアノの前に座る。そして決まった練習曲を何度か弾いて、指の訓練をする。それが終わったら「曲想が降りてくる」のを待つ。降りて来たらそれを記譜する。降りてこない日はそのままじっと待っていて、決められた時間が来たら、ピアノの蓋をして立ち去る。そういうもののようです。<br />
  356. 村上春樹はこの聖務日課的な作業についてこう書いています。<br />
  357. 「生まれつき才能に恵まれた小説家は、何をしなくても(あるいは何をしても)自由自在に小説を書くことができる。泉から水がこんこんと湧き出すように、文章が自然に湧き出し、作品ができあがっていく。努力する必要なんてない。そういう人がたまにいる。しかし残念ながら僕はそういうタイプではない。自慢するわけではないが、まわりをどれだけ見わたしても、泉なんて見あたらない。鑿(のみ)を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがっていかないと、創作の水源にたどり着くことができない。小説を書くためには、体力を酷使し、時間と手間をかけなくてはならない。作品を書こうとするたびに、いちいち新たに深い穴をあけていかなくてはならない。しかしそのような生活を長い歳月にわたって続けているうちに、新たな水脈を探り当て、固い岩盤に穴をあけていくことが、技術的にも体力的にもけっこう効率よくできるようになっていく。」(同書、64-65頁)<br />
  358. 「穴を深くうがって」ゆくと、作家は「創作の水源」にたどり着く。村上春樹はそう書いています。さて、ここで言う「創作の水源」とはどのようなもののことなのでしょうか。長時間集中的に「物語を書く」という行為に没頭しているうちに鑿が「固い岩盤」を突き抜けて穴を穿った。いったい、そのときに作家は何に触れたのでしょう。それを村上春樹は「ある種の基層」と言い表しています。<br />
  359. 「書くことによって、多数の地層からなる地面を掘り下げているんです。僕はいつでももっと深くまで行きたい。ある人たちは、それはあまりに個人的な試みだと言います。僕はそうは思いません。この深みに達することができれば、<strong>みんなと共通の基層に触れ</strong>、読者と交流することができるんですから。つながりが生まれるんです。もし十分遠くまで行かないとしたら、何も起こらないでしょう。」(「夢を見るために毎朝僕はめざめるのです」文藝春秋、2010年、155頁、強調は内田)<br />
  360. 『羊めぐる冒険』を書いた時に、村上春樹はある「共通の基層」に触れた。それは世界文学の水脈のようなものだったのではないかと僕は思います。時代を超え、国境を越えて、滔々と流れている地下水流がある。それがさまざまな時代の、さまざまな作家たちを駆り立てて、物語を書かせてきた。それと同じ「水脈」を『羊をめぐる冒険』を書きつつある作家の鑿は掘り当てた。<br />
  361. というのは、『羊をめぐる冒険』を書かせた水脈は、それより前に、別の国で、別の作家に、別の物語を書かせていたからです。日本の文学の用語では「本歌取り」と言う技法があります。営みとしてはあるいはそれに似ているのかも知れません。でも、和歌の場合と違うのは、作家は意識して「本歌取り」をしたわけではないということです。水脈に身を委ねて書いているうちにいつのまにか「そういう物語」を書いてしまっていた。『羊をめぐる冒険』の直前に同じ水脈から生まれた物語とは何か。直近の「本歌」はレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ(The Long Goodbye)』(1953年)です。<br />
  362. 私立探偵フィリップ・マーロウがミステリアスでチャーミングな飲み友達であるテリー・レノックスが彼の前にから消えたときに託された「依頼」を果たすためにさまざまな危険を冒し、それを果たし終えたときに、テリー・レノックスとの決定的な別離が訪れる。そういう物語です。<br />
  363. 話型の構造で言えば、マーロウは「僕」で、レノックスは「鼠」です。レノックスと「鼠」は主人公の分身、アルターエゴです。このアルターエゴの特徴は、弱さ、無垢、邪悪なものに対する無防備、それらの複合的な効果としての不思議な魅力です。それはこう言ってよければ、主人公が「今のような自分」になるために切り捨ててきたものです。主人公たちを特徴づける資質は、自己規律、節度、邪悪なものに対する非寛容といった資質です。タフでハードな世界を、誰にも頼らずに生き抜くためには、それなしではいられないような資質です。<br />
  364. 対照的な二人ですけれど、主人公とアルターエゴには共通する資質もあります。それは、無私と礼儀正しさです。女性に対するある種の魅力も主人公には備わっていますが、それはアルターエゴのそれほど劇的なものではありません。特に「礼儀正しさ」(decency)は二人を結びつける決定的な共通点です。絶妙な距離感といったらよいのでしょうか。親しみ深く接してくれるし、必要な時には必ず手を貸してくれることはわかっているけれど、決してある境界線を超えて接近して来ない。そういう両者の距離が二人を結びつけています。決して必要以上に近づいてこないことがわかっているので、安心して近くにいることができる。そういう関係です。ですから、適切な距離を取ることができなくなったとき、つまり一方が他方に依存したり、何かを依頼したとき、彼らの関係は終わります。『ロング・グッドバイ』では、テリー・レノックスがマーロウに殺人事件の事後従犯となりかねない危険な仕事を依頼し、マーロウがそれを引き受けることで二人の友情は事実上終わります。『羊をめぐる冒険』では「鼠」が最後に主人公にある仕事を依頼して、主人公がそれを果したときにふたりの友情は終わります。<br />
  365. 『羊をめぐる冒険』の「本歌」は『ロング・グッドバイ』です。勘違いして欲しくないのですが、それは村上春樹がレイモンド・チャンドラーを「模倣した」ということではありません。物語を書いているうちに、登場人物たちがそのつどの状況で語るべき言葉を語り、なすべきことをなすという物語の必然性に従っていたら「そういう話」になってしまった。それだけこの物語構造は強い指南力を持っていたということです。<br />
  366. 村上春樹は物語を書くときに、どういう話にするのか、何も決めずに書き始めると語っています。この言明はそのまま信じてよいと思います。物語には必然的な流れがある。ある「ピース」が次の「ピース」を呼び出す。そうやってピースとピースを繋いでいるうちに、形状記憶が再生されるように、ひとまとまりの物語が立ち上がってくる。書いている時には「次に何が起こるか、書く前には決してわからないのですか?」というインタビュアーの問いに村上春樹はこう答えています。<br />
  367. 「わかりませんね。僕は即興性を大事にします。もし、物語の結末がわかっているなら、わざわざ書くには及びませんね。僕が知りたいのはまさに、あとにつづくことであり、これから起こるできごとなんです。ある種の物語は、ページをめくるたびごとにたえず進化しつづけるものですが、そんな本を僕は書きたいんです。」(同書、159頁)<br />
  368. 作家が知りたいのは「あとにつづくこと」であり、「これから起こるできごと」である。作家はあらかじめ物語の結末を知っているわけではありません。作家はそれを知らないけれど、物語はそれを知っている。作家は物語に導かれるのです。そうしたら、『羊をめぐる冒険』は『ロング・グッドバイ』と「同じ話」になった。<br />
  369. でも、僕が知る限り、小説の発表時点で、そのことを指摘した人はいませんでした。もちろん、「同じ」なのは、二つの物語が結びつく、ある「基層」においてだけのことであって、それ以外のすべての層において二つはまるで別の物語です。でも、この「基層」において、『羊をめぐる冒険』は世界文学の「水源」に触れたのでした。というのは、『ザ・ロング・グッドバイ』にもまた「本歌」があったからです。それはスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby, 1925)です。<br />
  370. 『ギャツビイ』の語り手ニック・キャラウェイとジェイ・ギャツビーの関係はフィリップ・マーロウとテリー・レノックスの関係と同じです。マーロウに比べて、ニックがあまりに弱々しく凡庸なので、この二つの「ペア」の相同性は見落とされがちですが、ニックはギャツビーの無垢、純粋さ、密やかな邪悪さ、自己規律の弱さを際立たせるために配されています。不実な恋人の犯した殺人の罪をかぶって「死ぬ」という奇妙な役どころをテリー・レノックスとジェイ・ギャツビーは共有しています。これほどの相似が偶然のものであるはずがありません。ただ、チャンドラーがフィッツジェラルドを意識的に模倣したのかどうか、それは僕にはわかりません。たぶん違うだろうと思います。この物語原型には作家たちを呼び寄せるそれだけの力があるのだという解釈の方を僕は選びたいと思います。<br />
  371. なぜ「この種の物語」は「複製」を生み出す力を持つのか。その問いに答える前に、もう一つ『グレート・ギャツビー』にも「本歌」があったということを指摘しておかなければなりません。それはアラン・フルニエの『グラン・モーヌ』です。<br />
  372. 語り手のフランソワ・スレルは15歳、彼を魅了するオギュスタン・モーヌは17歳。オギュスタンはフランソワのアルターエゴです。純粋で、無謀で、情熱的で、破滅的な弱さを隠し持っている魅力的な少年です。彼は一瞬の恋に燃え上がって、そのまま燃え尽きるようにフランソワの前から姿を消してしまいます。Le grand Meaulnesを英語で表記すれば The great Meaulnes となります。タイトルの相似からだけでも、二つの作品の関係を想定することができます。『グラン・モーヌ』がフランスでベストセラーになっていた時期にフィッツジェラルドはパリに滞在していました。フィッツジェラルドがフルニエのこの小説について何も知らなかったということはありえません。<br />
  373. 『グラン・モーヌ』が1913年、『グレート・ギャツビー』が1925年、『ロング・グッドバイ』が1953年、そして『羊をめぐる冒険』が1982年。70年の間に「世界文学の傑作」に数えられる作品が4つ書かれました。ご存知の通り、村上春樹は『ロング・グッドバイ』と『グレート・ギャツビー』は自分でのちに翻訳を出しています。『グレート・ギャツビー』の「訳者あとがき」に村上春樹はこう書いています。<br />
  374. 「もし『これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ』と言われたら、考えるまでもなく答えは決まっている。この『グレート・ギャツビー』と、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』と、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』である。」(スコット・フィッツジェラルド、『グレート・ギャッビー』、村上春樹訳、中央公論新社、2006年、333頁)<br />
  375. 『ロング・グッドバイ』の「訳者あとがき」では、この二作品の相似について村上春樹は言及しています。<br />
  376. 「僕はある時期から、この『ロング・グッドバイ』という作品は、ひょっとしてスコット・フィッツジェラルドの『グレード・ギャッビー』を下敷きにしているのではあるまいかという考えを抱き始めた。」(レイモンド・チャンドラー、『ロング・グッドバイ』、村上春樹訳、早川書房、2007年、547頁)<br />
  377. 村上はこの二人の作家の共通点として、アイルランド系であること、アルコールの問題を抱えていたこと、生計を立てるために映画ビジネスにかかわったこと、「どちらも自らの確かな文体を持った、優れた文章家だった。何はなくとも文章を書かずにはいられないというタイプの、生来の文筆家だった。いくぶん破滅的で、いくぶん感傷的な、そしてある場合には自己愛に向かいがちな傾向も持ち合わせており、どちらもやたらたくさん手紙を書き残した。そして何よりも、彼らはロマンスというものの力を信じていた。」(同書、547-548頁)といった気質的なものを列挙していますが、もちろんそれだけのはずがない。二つの物語には共通の構造があることも指摘しています。<br />
  378. 「そのような仮説を頭に置いて『ロング・グッドバイ』を読んでいくと、その小説には『グレート・ギャツビー』と重なり合う部分が少なからず認められる。テリー・レノックスをジェイ・ギャッビーとすれば、マーロウは言うまでもな語り手のニック・キャラウェイに相当する。(…)ギャッビーもレノックスも、どちらもすでに生命をなくした美しい純粋な夢を(それらの死は結果的に、大きな血なまぐさい戦争によってもたらされたものだ)自らの中に抱え込んでいる。彼らの人生はその重い喪失感によって支配され、本来の流れを変えられてしまっている。そして結局は女の身代わりとなって死んでいくことになる。あるいは疑似的な死を迎えることになる。<br />
  379.  マーロウはテリー・レノックスの人格的な弱さを、その奥にある闇と、徳義的退廃をじゅうぶん承知の上で、それでも彼と友情を結ぶ。そして知らず知らずのうちに、彼の心はテリー・レノックスの心と深いところで結びついてしまう。」(同書、550-551頁)<br />
  380. 「主人公(語り手)はとくに求めもしないまま、一種の偶然の蓄積によって、いやおうなく宿命的にその深みにからめとられていくのだ。それではなぜ彼らはそのような深い思いに行き着くことになったのだろう? 言うまでもなく、彼ら(語り手たち)はそれぞれの対象(ギャツビーとテリー・レノックス)の中に、自らの分身を見出しているからだ。まるで微妙に歪んだ鏡の中に映った自分の像を見つめるように。そこには身をねじられるような種類の同一化があり、激しい嫌悪があり、そしてまた抗しがたい憧憬がある。」(同書、553頁)<br />
  381. この解釈に僕は付け加えることはありません。でも、村上春樹はこの「語り手」と「対象」の鏡像関係がそのまま『羊をめぐる冒険』の「僕」と「鼠」のそれであることについては言及していません。故意の言い落としなのか、それとも気づいていないのか。たぶん、気づいていないのだと思います。でも、どちらであれ、それは『羊をめぐる冒険』という作品が世界文学の鉱脈に連なるものであるという文学史的事実を揺がすことではありません。<br />
  382. むしろ重要なのは、なぜこの物語的原型がさまざまな作家たちに「同じ物語」を書かせるのかというより本質的な問いの方です。<br />
  383. これについての僕の解釈は、これらはどれも「少年期との訣別」を扱っているというものです。<br />
  384. 男たちは誰も人生のある時点で少年期との訣別を経験します。「通過儀礼」と呼ばれるそのプロセスを通り過ぎたあとに、男たちは自分がもう「少年」ではないこと、自分の中にかつてあった無垢で純良なもの、傷つきやすさ、信じやすさ、優しさ、無思慮といった資質が決定的に失われたことを知ります。それを切り捨てないと「大人の男」になれない。そういう決まりなのです。けれども、それは確かに自分の中にあった自分の生命の一部分です。それを切除した傷口からは血が流れ続け、傷跡の痛みは長く消えることがありません。ですから、男子の通過儀礼を持つ社会集団は「アドレッセンスの喪失」がもたらす苦痛を癒すための物語を用意しなければならない。それは「もう一人の自分」との訣別の物語です。弱く、透明で、はかなく、無垢で、傷つきやすい「もう一人の自分」と過ごした短く、輝かしく、心ときめく「夏休み」の後に、不意に永遠の訣別のときが到来する。それは外形的には友情とその終わりの物語ですけれど、本質的にはおのれ自身の穏やかで満ち足りた少年期と訣別し、成熟への階梯を登り始めた「元少年」たちの悔いと喪失感を癒すための<strong>自分自身との訣別の物語</strong>なのです。<br />
  385. もちろんすべての男たちがそのような物語を切望しているわけではありません。そのような物語をとくに必要としない男たちもいます。「成熟しなければならない」という断固たる決意を持つことのなかった男たちはおのれの幼児性をそのままにひきずって外形的にだけ大人になります。私たちのまわりにもたくさんいます。外側は脂ぎった中年男であったり、不機嫌そうな老人であったりするけれど、中身は幼児のままという男はいくらでもいます。彼らは「アドレッセンスの喪失」を経験していないので、その喪失感を癒すための物語を別に必要とはしていません。<br />
  386. たぶん現代の世界ではもうどこの国でも「男は成熟しなければならない」という成熟への加圧は十分には働いていないのでしょう。ですから、このような物語に対する社会的需要がいつまで持続するかは予測がつきません。あるいはもうこの先このような物語は書かれないかも知れません。少なくとも日本語で書かれたものを徴する限りでは、『羊をめぐる冒険』からあと、これを「本歌」とする物語が書かれたことを僕は寡聞にして知りません。</p>
  387.  
  388. <p>系譜の話は以上です。次に構造の話をします。そして、先ほども申し上げたように、この二つは実は同じことを別のアプローチで述べるものです。<br />
  389. 村上春樹は小説を書くという行為についてほとんど排他的に「穴を掘る」という比喩を使うとさきほど申し上げました。でも、別の比喩も使います。それは「地下二階」あるいは「井戸の底」におりるという比喩です。地下室の下に別の地下室がある。<br />
  390. 「人間の存在というのは、二階建ての家だと僕は思っているわけです。一階は人がみんなで集まってごはん食べたり、テレビ見たり、話したりするところです。二階は個室や寝室があって、そこに行って一人になって本を読んだり、一人で音楽聴いたりする。そして、地下室というのがあって、ここは特別な場所でいろんなものが置いてある。(…)その地下室の下にはまた別の地下室があるというのが僕の意見なんんです。それは非常に特殊な扉があってわかりにくいので普通はなかなか入れないし、入らないで終わってしまう人もいる。ただ何か拍子にフッと入ってしまうと、そこには暗がりがあるんです。(・・・)その中入っていって、暗闇の中をめぐって、普通の家の中では見られないものを人は体験するんです。それは自分の過去と結びついていたりする、それは自分の魂の中に入っていくことだから。でも、そこからまた帰ってくるわけですね。あっちに行っちゃったままだと現実に復帰できないです。」(『夢を見るために・・・』、98頁)<br />
  391. 作家とは地下二階に降りて、そこからまた帰ってくることのできる特殊な技能を具えた職能民であるというのが村上春樹の考え方です。「そういうこと」ができるのは別に物語を書く人に限られません。「自分の過去」に遡り、「自分の魂の中に」入り、そこで見聞きしたことを物語ることを本務とした人はたくさんいます。すべてのシャーマンたちがそうです。稗田阿礼のように口碑を口伝する人たちもそうですし、ホメロスのように叙事詩を暗誦する吟遊詩人たちもそうですし、「民族精神(フォルクスガイスト)」を称揚する作家たちもそうです。彼らがしていることは一言で言えば、死者たちと出会うことです。死者たちからの「贈り物」を受け取ることです。それは必ずしも心安らぐ経験ではありません。<br />
  392. 「たとえば、『海辺のカフカ』における悪というものは、やはり、地下二階の部分。彼が父親から遺伝子として血として引き継いできた地下二階の部分、これは引き継ぐものだと僕は思うんです。多かれ少なかれ子どもというのは親からそういうものを引き継いでいくものです。呪いであれ、祝福であれ、それはもう血の中に入っているものだし、それは古代まで遡っていけるものだというふうに僕は考えているわけです。(…)そこには古代の闇みたいなものがあり、そこで人が感じた恐怖とか、怒りとか、悲しみとかいうものは綿々と続いているものだと思うんです。(…)根源的な記憶として。カフカ君が引き継いでいるのもそれなんです。それを引き継ぎたくなくても、彼には選べないんです。」(同書、115頁)<br />
  393. 地下二階に降りた人々はそこで「古代の闇」のうちに踏み入ることになります。そして、それを「引き継ぐ」。その闇から戻ってきて、それを物語る。そこでの経験は学術的な説明を受け付けるものではありませんし、主題的に論じることもできません。ただ物語るしかない。「そこで人々が感じた恐怖とか、怒りとか、悲しみとかいうもの」は、いまも連綿と引き継がれて、現に私たちの感情生活を形成し、私たちのコスモロジーの梁をかたちづくり、私が世界を見る仕方そのものを規定しているからです。「古代の闇」はそのまままっすぐ「現代の闇」に繋がっています。闇の中に踏み入った者はそこで何を見ることになるのか。<br />
  394. 「暗闇に侵入したあなたはそのとき恐ろしくなるでしょうが、また別のときにはとても心地よく感じるでしょう。そこでは、奇妙なものをたくさん目撃できます。目の前に形而上学的な記号やイメージがつぎつぎに現れるんですから。それはちょうど夢のようなものです。無意識の世界の形態のようなね。けれどもいつか、あなたは現実世界に帰らなければならない。そのときは部屋から出て、扉を閉じ、階段を昇るんです。(…)僕にとって、この空間の中にいるのはとても自然なことで、それらのものはむしろ自然なものとして目に映ります。こうした要素が物語をかくのをたすけてくれます。作家にとって書くことは、ちょうど目覚めながら夢を見るようなものです。それは、論理をいつ介入させられるとはかぎらない。法外な経験なんです。夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです。」(同書、156-157頁)<br />
  395. この箇所を読んだときに、多くの読者は『騎士団長殺し』の後半で「私」が雨田具彦のいる老人養護施設の床に穿たれた穴から潜り込んでいった「メタファー通路」での経験を思い出すことでしょう。あるいは『海辺のカフカ』でカフカ少年が踏み込んでゆく「森の中核」での経験を。そこに描かれている一連の説明不能のものは、作家が文学的効果を狙って技巧的にしつらえた装飾的なミスティフィケーションではなく、おそらく作家「目覚めながら見た夢」なのだと思います。それが何を意味するのかは書いている作家自身わからない。それが何を意味するのかを知りたいからこそ作家は書いている。そういうことだと思います。<br />
  396. この闇の中に下ってゆき、また戻ってくる物語、「冥界下り」という物語もまた、人類の歴史と同じだけ長い系譜を有するものです。でも、ここでは日本の近世文学以降に時代を限って、その系譜をたどってみたいと思います。<br />
  397. 先の引用中で「古代の闇」と言われたものを別のところで村上春樹は「前近代の闇」と言い換えています。日本の近代文学が否定し去ったものです。そして、自分自身はその闇を語るという点で上田秋成の直系に連なるということを認めています。<br />
  398. 「『雨月物語』なんかにあるように、現実と非現実がぴたりときびすを接するように存在している。そしてその境界を超えることに人はそれほどの違和感を持たない。これは日本人の一種のメンタリティーの中に元来あったことじゃないかと思うんですよ。それをいわゆる近代小説が、自然主義リアリズムということで、近代的自我の独立に向けてむりやり引っぱがしちゃったわけです。個別的なものとして、『精神的総合風景』とでもいうべきものから抜き取ってしまった。」(同書、93-94頁)<br />
  399. 近現代の文学においてももちろん「非現実」は描かれます。けれどもそれはあくまで現実から切り離された、一種の文学的意匠であり、作中で登場人物が見る夢とか幻想とかあるいは劇中劇とか誰かが書いたファンタジーというような「額縁」がつけられており、現実と非現実が境界を越えて、同じ次元で混ざり合うことには厳重な方法的抑制が課されています。しかし、村上春樹は自由にこの境界線を行き来することこそが日本文学の骨法ではないかという大胆な仮説を語ります。<br />
  400. 『海辺のカフカ』の中の「非現実的」な登場人物について村上春樹はそれは「存在する」と書いています。<br />
  401. 「僕が読者に伝えたかったのは、カーネル・サンダースみたいなものは実在するんだということなんです。彼は必要に応じて、どこからともなくあなたの前にすっと出て来るんだ、ということ。それこそタンジブルなものとして、そこにあるんです。手を延ばせば届くんです。僕は彼を立ち上げて、彼について書くことを通して、そういう事実を読者に伝えたいわけです。」(同書、127―8頁)<br />
  402. 「僕の場合は、(…)そういう現実と非現実の境界のあり方みたいなところにいちばん惹かれるわけです。日本の近代というか明治以前の世界ですね。(…)日本の場合は自然にすっと、こっち行ったりあっち行ったり、場合に応じて通り抜けができるんだけれど、ギリシャ神話なんかの場合は、本当に自分の考え方とか存在の在り方の組成をガラッと変換させないと向こう側の世界に行けない。」(同書、94頁)<br />
  403. 東洋と西洋では現実と非現実を隔てる「壁の厚さ」が違う。このことに村上春樹の自らの文学的的立場についての自覚が現れます。<br />
  404. 「日本や中国では、並行する二つの世界があって、そのあいだにある架け橋が、一方の世界から他方の世界への移動を難しくしすぎないようにしている、と考えられています。西洋ではそんなわけにはいきませんよね。この世界はこの世界、あの世界はあの世界、といった具合になっています。分離は厳格です。乗り越えるにしては、壁はあまりにも高すぎ、あまりにもしっかりしています。しかしアジア文化は違うんです。僕が思うに、〈もののあわれ〉が描いているのは、こうした状況です。」(同書、157-158頁)<br />
  405. 村上春樹はここで唐突に「もののあはれ」という古典文学の美的概念を持ち出してきました。僕はこれは直接には『源氏物語』のことを指しているのだと思います。『源氏物語』というのは「こうした状況」、つまり二つの世界の間にかなり自由な行き来がなされる状況の物語ではないか。そして、それこそが日本文学の正系につらなる物語ではないのか。<br />
  406. 村上春樹はかつて河合隼雄にこんな質問を向けたことがありました。<br />
  407. 「村上 あの源氏物語の中にある超自然性というのは、現実の一部として存在したものなんでしょうかね。<br />
  408. 河合 どういう超自然性ですか?<br />
  409. 村上 つまり怨霊とか…<br />
  410. 河合 あんなのはまったく現実だとぼくは思います。<br />
  411. 村上 物語の装置としてではなく、もう完全に現実の一部としてあった?<br />
  412. 河合 ええ、もう全部あったことだと思いますね。だから、装置として書いたのではないと思います。」(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』、岩波書店、1996年、123-124頁)<br />
  413. この対談があった時点(1995年)では村上春樹は自分の作品の中で、境界を越えて非現実が侵入してくることは、一種の「装置」、一種の文学的技巧ではないのか(でも、そんなはずはない)という揺らぎのうちにあったことが言葉づかいからは窺えます。でも、このときの「あんなのはまったく現実だとぼくは思います」という河合隼雄の断定でふっきれた。<br />
  414. それは『源氏物語』の中の怨霊の物語が、それからのちに村上春樹のいくつかの作品に意匠を換えて繰り返し登場してくることからも知れます。六条の御息所の生霊が葵上を祟り殺すというのは『源氏物語』の中で最もカラフルな怨霊物語ですけれど、これは六条の御息所という高貴な女性が「嫉妬」という筋目の悪い感情を抱くことを拒絶したことから起こる惨劇です。<br />
  415. これに物語的にもっとも近いのは短編集『女のいない男たち』に収録されている「木野」です。<br />
  416. 木野は「会社でいちばん親しくしていた同僚と妻が関係を持っていたことがわかった」ときにひとり家を出て、会社も辞めます。そして伯母から青山の小さな喫茶店を譲り受けて、オーディオ装置に凝ったジャズバーを始めます。<br />
  417. 「別れた妻や、彼女と寝ていたかつての同僚に対する怒りや恨みの気持ちはなぜか湧いてこなかった。もちろん最初のうちは強い衝撃を受けたし、うまくものが考えられないような状態がしばらく続いたが、やがて『これもまあ仕方ないことだろう』と思うようになった。結局のところ、そんな目に遭うようにできていたのだ。」(「木野」、『女のいない男たち』、文藝春秋、2014年、221頁)<br />
  418. 木野は「怒りや恨み」を感じません。「痛みとか怒りとか、失望とか諦観とか、そういう感覚も今ひとつ明瞭に知覚できない」(同書、221頁)まま日を過ごすうちに、木野のまわりに異変が起こり始めます。客同士の陰惨なトラブルがあり、体中に煙草の焼け跡のある女と交わり、開店のときに「良い流れ」を運んできてくれたように思えた猫が姿を消し、邪気を帯びた蛇たちが姿を見せ始めます。そして、ある日店の「守護者」の役割を果たしていたカミタという客から店を閉めるように忠告されます。木野はその忠告をこう解釈します。<br />
  419. 「カミタさんが言うのは、私が何か正しくないことをしたからではなく、正しいことを<strong>しなかった</strong>から、重大な問題が生じたということなのでしょうか? この店に関して、あるいは私自身に関して」(同書、248頁、強調は村上)<br />
  420. 木野はカミタの忠告に従って旅に出ますが、「カミタに固く禁じられていた」私信をしたためるという禁忌を犯したせいで深夜のホテルの部屋に執拗なノックの音を呼び寄せてしまいます。そのとき木野は自分が何を招き寄せたのかを知ります。<br />
  421. 「『傷ついたんでしょう、少しくらいは?』と妻は僕に尋ねた。『僕もやはり人間だから、傷つくことは傷つく』と木野は答えた。でもそれは本当ではない。少なくとも半分は嘘だ。<strong>おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ</strong>、と木野は認めた。本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった。」(同書、256-257頁、強調は村上)<br />
  422. 物語は木野が「そう、おれは傷ついている、それもとても深く」(同書、261頁)と認めたところで救いの予感のうちに終わります。<br />
  423. 傷つくべきときに十分に傷つき、痛切なものを引き受けること。それが怨霊を解き放たないためには必要なことだったのでした。六条の御息所がその引き受けを拒絶した「妬心」は人一人を殺すほどの現実的な力を持ちました。木野がその引き受けを拒絶した「妬心」は彼自身に戻ってきます。<br />
  424. この物語を書きながら村上春樹は自分が『源氏物語』の世界と地続きの文学的風土のうちにいることに十分に自覚的だったと僕は思います。<br />
  425. 村上春樹が過去の日本人作家としてはっきりとした「地続き」感を持っているのは上田秋成です。そのことは作家自身がいくどか書いています。<br />
  426. そして、まったく別の文脈においてですが、江藤淳は、上田秋成の文学の本質は「闇」のうちにあるという指摘をしています。<br />
  427. 秋成もまた現実と非現実の境界を行き来する経験を書き続けた作家でした。秋成は現実にはそこに存在しないにもかかわらず、濃密な実在感をたたえ、人間の生き死ににかかわるもののことをかつて「狐」と呼びました。狐憑きの狐、人をたぶらかす妖獣です。そういうものが秋成の時代の人々の日常生活のうちにはたしかなリアリティを持って存在していた。けれども、当時でも、知識人たちは妖怪狐狸についての物語を荒唐無稽と一蹴しました。彼らの見るところ「狐憑き」はただの精神病に過ぎません。その中にあって、秋成はあえて「狐」を擁護する立場を貫きました。その秋成の立ち位置について江藤淳はこう書いています。<br />
  428. 「儒者の眼に見えるのは、病気という概念であって、『狐』という非現実の現存がもたらす圧力ではない。しかし、いったんアカデミイの門を出てみれば、『うきよ』に顔をのぞかせるのはつねに概念ではなくて、『狐』に憑かれた人間の奇怪な、しかし秩序の拘束のなかにいる『精神(ココロモチ)平常』なときにはたえてみられないほど濃い実在感に満ちた姿態である。あるいはまた、どうしても認めざるを得ない非現実の世界からのさまざまな信号である。」(江藤淳、『近代以前』、文藝春秋、1985年、238頁)<br />
  429. 秋成自身はありありと「狐」の実在を感じました。学者や常識人がどれほど否定しても、市井の人々が現にその切迫を感じ、「非実在の現存がもたらす圧力」を受け止めたり、それから身をかわしながら現に日々の生活を送っているという事実は揺るぎません。<br />
  430. 「誰の眼にも見えぬこの動物ほど濃い実在感をあたえるものを、秋成は外界の現実のなかにひとつもみとめることができなかった。」(同書、240頁) <br />
  431. 「狐」は秋成が彼の地下二階で出会った「奇妙なもの」の別称です。その地下の「闇」のうちで「人が感じた恐怖とか、怒りとか、悲しみ」、その「根源的な記憶」を作品に写し出したときに『雨月物語』という作品が生まれました。それはもしかすると東洋人の作家にしかうまく書くことのできない物語だったのかもしれません。その「闇」には太古からこの地で生き死にした無数の人々の記憶が埋蔵されているからです。<br />
  432. そして、江藤淳は日本語について、こう書いています。<br />
  433. 「それは、現在までのところ沖縄方言以外に証明可能な同族語を持たぬとされている特異な孤立言語であり、時代によって、あるいは外来文化の影響をうけてかなりの変化を蒙って来てはいるが、なお一貫した連続性を保って来たものである。しかもそれは虚体であって実体ではない。ということは、私はそれを自分の呼吸のようなものとして、あたかも呼吸が自分の生存と存在の芯に結びついているように自分の存在の核心にあるものとして、信じるほかないということだ。」(同書、23〜24頁)<br />
  434. たしかに私たちは外国語によって対話することはできますし、ある程度リーダブルな文章を書くこともできます。でも、よほど例外的な才能を除いては、外国語によって文学的な「創造」をすることはできません。それは母語によってしかできない。私たちは母語を糧として生きています。<strong>その無尽蔵のアーカイブから、私たちは死者たちの脳裏にかつて一度も浮かんだことのない思念や、死者たちの舌にかつて一度も乗ったことのない言葉を掘り起こしてくることができます</strong>。母語のアーカイブの深みのうちで、私たちは(レヴィナスの言葉を借りて言えば)「一度も現在になったことのない過去」に出会うのです。<br />
  435. 私たちが「新語」を作ることができるのは母語においてだけです。「新語」とはただの新しい単語のことではありません。それを口にしたときに、他の母語話者たちが、はじめて聞くその新しい語の新しい意味とそのニュアンスを瞬時に了解できるという条件を満たさなければなりません。そのような曲芸的なことを私たちは母語においてしか実行できません。どれほど流暢に話せても、外国語で新語を作ったり、その場で思いついた文法的な破格や意図的な誤用や新しい音韻のニュアンスを周囲の人たちに瞬時に理解させることはできません。それは母語においてのみ可能なわざだからです。それが可能なのは、現に用いている言語の基層に、その何万倍もの奥行きと深みを持つ「死者たちと共有する言語」のアーカイブが存在しており、私たちはそれを利用することが許されているからです。こう言ってよければ、<strong>死者たちと言語を共有しているからこそ言語による創造が可能になる</strong>のです。<br />
  436. 村上春樹は長く海外で生活をしており、執筆も海外でしていました。けれども『ねじまき鳥クロニクル』を書き上げたときに日本に帰ることを決意します。<br />
  437. 「どうしてだかわからないけれど、『そろそろ日本に帰らなくちゃなあ』と思ったんです。最後はほんとうに帰りたくなりました。とくに何が懐かしいというのでもないし、文化的な日本回帰というのでもないのですが、やっぱり小説家としての自分のあるべき場所は日本なんだな、と思った。<br />
  438. というのは、日本語でものを書くというのは、結局思考システムとしては日本語なんです。日本語自体は日本で生み出されたものだから、日本というものと分離不可能なんですね。そして、どう転んでも、やはり僕は英語では小説は、物語は書けない。それが実感としてひしひしとわかってきた、ということですね。」(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』、37—38頁)<br />
  439. 江藤淳はプリンストン大学で日本文学を講じた時期がありました。アメリカでの生活を通じて、英語で話し、英語で書き、英語で考えることに慣れたあとに、江藤は日本語という「沈黙の言語」の外では自分は創造ができないということに気づきます。<br />
  440. 「<strong>思考が形をなす前の淵に澱むものは、私の場合あくまでも日本語でしかない</strong>。語学力は習慣と努力によってより完全なものに近づけられるかも知れない。(…)しかし、言葉は、いったんこの『沈黙』から切りはなされてしまえば、厳密には文学の用をなさない。なぜなら、<strong>この『沈黙』とは結局、私がそれを通じて現に共生している死者たちの世界-日本語がつくりあげて来た文化の堆積につながる回路だからである</strong>。このような言葉の世界に『近代』と『近代以前』の人為的な仕切りを設けることは不可能である。私はむしろ連続を問題にしなければならない。」(江藤淳、前掲書、29-30頁、強調は内田)<br />
  441. この文章を書いたときの江藤淳はその五十年後に「近代と前近代の人為的な仕切り」を軽々と越境する作家が登場して、全世界に読者を獲得することをまだ知りません。でも、まさに「地下二階」の闇のうちに踏み込むことを自らの文学的方法として自覚した作家の登場によって、江藤の文学的直感の正しさは論証されることになったのでした。</p>
  442.  
  443. <p>以上、村上春樹文学の系譜と構造について、僕自身のアイディアのいくばくかをお話ししました。最初に申し上げた通り、これらのアイディアはとくに学術的に厳密なものではありません。ですから、僕はこれを「定説」として頂きたいというような無法なことを願っているわけではありません。僕の願いは、こういうアイディアを耳にした人たちがそれに触発されて、村上春樹作品の「新しい読み」を思いついてくれること、それによってこの作家の書く物語からできるだけ多くの愉悦と、そしてできることならいくばくかの癒しを引き出すことに尽くされます。<br />
  444. (これは2017年4月14日、淡江大学村上春樹研究センターにおいての講演に大幅な加筆をしたものです)</p>]]>
  445.      
  446.   </content>
  447. </entry>
  448. <entry>
  449.   <title>朝日新聞のロングインタビュー</title>
  450.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/05/06_0755.php" />
  451.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1791</id>
  452.  
  453.   <published>2017-05-05T22:55:22Z</published>
  454.   <updated>2017-05-05T23:21:51Z</updated>
  455.  
  456.   <summary>朝日新聞の東北版にロングインタビューが掲載された。 そのロングヴァージョンを採録...</summary>
  457.   <author>
  458.      <name></name>
  459.      
  460.   </author>
  461.  
  462.  
  463.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  464.      <![CDATA[<p>朝日新聞の東北版にロングインタビューが掲載された。<br />
  465. そのロングヴァージョンを採録しておく。</p>
  466.  
  467. <p><strong>施行70年を迎えた日本国憲法が岐路に立っている。「不戦」という歯止めを問い直す改憲の流れ。「共謀罪」という基本的人権を制限する可能性を持つ法律の整備。憲法をめぐる政治の動きと、私たちの暮らしの変化について、東北・山形にルーツを持つ思想家、内田樹さん(66)に聞いた。</strong></p>
  468.  
  469. <p><strong>ー朝日新聞の4月の世論調査でも、安倍政権は50%の支持率を維持しています。どうして、今回の共謀罪の制定などで基本的人権が制限される可能性がある有権者たちが、安倍政権を支持するのでしょうか。</strong></p>
  470.  
  471. <p>戦後の日本の国家戦略は「対米従属を通じての対米自立」というものでした。敗戦国にはそれ以外に選択肢がなかったのです。アメリカへの徹底的な従属を通じて、同盟国として信頼を獲得し、段階的に国土を回復し、国家主権を回復してゆくという戦略は72年の沖縄施政権返還まではたしかに一定の成果をあげていました。けれども、それ以後、対米従属がアメリカから自立するための一時的、迂回的な手段であることを日本人は忘れてしまった。とりわけ高度成長期の経済的成功は日本人の自己評価を肥大させました。日本人は自分たちは「ふつうの主権国家」だと思い上がって、「対米自立=主権回復」という国家目標を忘れてしまったのです。今の日本は「対米従属を通じての対米従属」という不条理なループの中にはまり込んでいます。</p>
  472.  
  473. <p><strong>ーでも、安倍政権は米国が制定を主導した現憲法の改正、自衛隊の海外派兵、さらには西洋で生まれた民主主義の根幹である基本的人権を制限する可能性のある共謀罪の導入など、米国の神経を逆なでするようなナショナリストとしての動きも見せています。</strong></p>
  474.  
  475. <p>属国であることのフラストレーションをどこかで癒す必要があるからです。現実には日本は重要政策についてはアメリカの許諾を得ることなしには何一つ自己決定できない。沖縄の米軍基地は返還されないし、地位協定は改定されないし、首都の上空には主権の及ばない横田空域が広がっています。この屈辱感と不能感をどうやって癒すか。日本人が選んだのは「アメリカが怒らない範囲で、反米的にふるまう」というひねこびた解でした。それが安倍政権の極右政治路線であり、そこに相当数の日本人が共感している。<br />
  476. アメリカはつねに自国益を最大化するように行動します。日本がアメリカの世界戦略のすべてに賛同する「顎で使える同盟国」である限り、その国の統治理念がアメリカのそれと一致しようとしまいと、アメリカにとってはどうでもいいのです。これまで韓国でもフィリピンでもインドネシアでもベトナムでも、アメリカは非民主的で残酷な独裁政権を親米的である限り堂々と支援してきました。日本人もそれを熟知している。だから、徹底的に対米従属する限り、日本国内でアメリカの統治理念を否定しても、それは「アメリカを怒らせない」ということがわかっている。<br />
  477. 安倍政権が進めている改憲も、基本的人権の否定も、安保法制による平和主義の否定も、共謀罪による市民的自由の制約も、それが「アメリカの統治理念を否定するもの」であるがゆえに選好されており、日本人の多くがそれに喝采を送っているのです。アメリカにとって日本は切り捨てるにはあまりに惜しい属国ですから、内治におけるアメリカ的価値観の否定を受容せざるを得ない。安倍首相の過剰な対米従属は、内治において「反米的」であることによって相殺されているのです。</p>
  478.  
  479. <p><strong>ー共謀罪について、どう考えられますか。4月の朝日新聞の世論調査では、法案に「賛成」35%、「反対」33%と拮抗していました。国民は、「ひどいことは起こることはない」と思っているのでしょうか。</strong></p>
  480.  
  481. <p>18世紀からの近代市民社会の歴史は、個人の権利を広く認め、国家の介入を制限する方向で進化してきました。近代市民社会が獲得したこの成果をいまの日本は自ら手放そうとしている。これは世界史上でも例外的な出来事です。捜査当局にこれほどの自由裁量権を与えることに市民が進んで同意するというのは論理的にはあり得ないことです。これも「属国であることを否認する」自己欺瞞の病態のひとつとしてなら理解できます。<br />
  482. アメリカに対して主権的にふるまうことができない政府が、憲法上の主権者である国民に対して抑圧的にふるまい、国民主権を否定することによって、日本が主権国家でないことのフラストレーションを解消しようとしているのだと僕は解釈しています。会社で上司にどなりつけられて、作り笑いしているサラリーマンが家に帰って妻や子を殴って自尊心を奪還しようとするのと同じ心理機制です。</p>
  483.  
  484. <p><strong>ー戦前の治安維持法のように、市民の個人的な思想までは対象となっていく可能性はありますか。</strong></p>
  485.  
  486. <p>治安維持法の時代には特高や憲兵隊などの弾圧のための専門機関があり、背後には圧倒的な武力を持った軍隊がいました。いまの自衛隊や警察が、一般市民の思想統制や監視を本務とする秘密警察的な組織をすぐに持つようになるとは思いません。それよりもむしろ「隣人を密告するマインド」の養成を政府は進めるでしょう。<br />
  487. ゲシュタポでも、思想犯検挙の大半は隣人による密告によるものだったそうです。思想統制は中央集権的に行うとたいへんなコストがかかる。隣国の中国はネット上の反政府的書き込みを網羅的に監視していますが、その膨大なコストが国家財政を圧迫し始めている。それだけの監視コストを担う覚悟は今の政府にはないと思います。ですから、「市民が市民を監視し、市民が隣人を密告する」仕組みをなんとか作り出そうとするでしょう。でも、そう思い通りにはならないと思います。</p>
  488.  
  489. <p><strong>施行70周年を迎えた日本国憲法のもとで成熟した市民は、それほど単純に共謀罪を受け入れることはないということですか。<br />
  490. </strong></p>
  491.  
  492. <p>市民の成熟もありますけれど、警察官たちも、市民を統制する思想警察化することには抵抗すると思います。今でもテレビでは相変わらず刑事ドラマ、医学ドラマ、学園ドラマが繰り返し放送されていますが、刑事ドラマの話はどれも同型的です。組織になじまない自立的なキャラクターと独特の正義感をもった主人公が、定型的な捜査に反抗して、難事件を解決するという話がほとんどです。戦時中の日本に「そんなドラマ」が存在したはずがない。この執拗な物語原型の反復には戦後日本人の警察に対する期待がこめられているのだと思います。そして、そのようなドラマを見て警察官を志望した若者たちもたくさんいるはずです。そう簡単に「いつか来た道」にはならないと信じています。</p>
  493.  
  494. <p><strong>ー内田さんのルーツは東北・山形にあります。安倍政権にとって、「東北」とはどう位置づけされているのでしょうか。</strong></p>
  495.  
  496. <p>復興大臣が東日本大震災について、「東北でよかった」と発言したことでもわかるように、公言されないけれど、「地方切り捨て」は政権の既定方針です。東日本大震災のあとの復興工事、原発事故処理、除染、住民の帰還政策、どれを見ても政府には国民的急務であるという真剣さが見られません。<br />
  497. かつて地方は自民党の金城湯池でしたけれど、急速な人口減・高齢化と経済活動の萎縮によって、もう守るだけの「うまみ」がなくなった。いまの自民党は国民政党ではなく、富裕層のための新国家主義政党です。経済成長のために無駄なものは次々切り捨てていく。地方はその「無駄なもの」の一つです。</p>
  498.  
  499. <p><strong>具体的にどんな動きが出てくるのでしょうか。</strong></p>
  500.  
  501. <p>国民資源の一極化です。「コンパクトシティー」が適例ですけれど、地方に中核都市を作り、郊外の住民をそこに集住させ、医療、教育、消費活動をそこに集中させる。里山の住民たちを「快適な暮らしが欲しければ、都市部へ移住しなさい」というかたちで誘導して、里山を実質的に無人化してゆく。<br />
  502. すでに各地で鉄道の廃線が各地で進んでいますけれど、「費用対効果が悪い」という理由で交通や通信や上下水道やライフラインなどのインフラを撤去することに市民が同意すれば、いずれ学校や病院や警察、防などの基本的サービスが受けられない地域が広がります。そういう地域は事実上「居住不能」になる。<br />
  503. そのようにして「居住不能地区」を全国に拡大して、「住めるところ」だけに資源を集中すれば、たしかに行政コストは劇的に軽減される。いずれ地方自治体の統廃合が行われ、地方選出の国会議員定数も減らされ、地方の声は国政に反映しないという時代になるでしょう。<br />
  504. 2100年の人口は中位推計で5千万人です。その5千万人も半数近くが高齢者ですから、人口を都市に集めて機能的、効率的に税金を使うしかないという説明には反論がむずかしい。そのためには人口減社会においてどういう社会を構築するのかについての新しいヴィジョンを提示する必要があります。</p>
  505.  
  506. <p><strong>ー東北の「生きる道」は、どこにありますか。</strong></p>
  507.  
  508. <p>東北の人々は、東日本大震災と原発事故で政府の無策とシステムの脆弱さを思い知ったはずです。国をあてにせず、自力で生き延びる方法を模索しているだろうと思います。<br />
  509. 僕が最近注目しているのは、若者たちの地方移住傾向です。東北にはまだ山河という豊かな国民資源があります。帰農する若者たちと豊かな山河の出会いのうちに、経済成長至上主義者たちが考えている「地方創生」とは別の地方の未来が開けるのではないかと僕は思っています。</p>
  510.  
  511. <p>                    </p>]]>
  512.      
  513.   </content>
  514. </entry>
  515. <entry>
  516.   <title>神奈川新聞のインタビュー</title>
  517.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/05/03_2034.php" />
  518.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1790</id>
  519.  
  520.   <published>2017-05-03T11:34:33Z</published>
  521.   <updated>2017-05-03T11:41:01Z</updated>
  522.  
  523.   <summary>憲法記念日に神奈川新聞にロングインタビューが掲載された。いつもの話ではあるけれど...</summary>
  524.   <author>
  525.      <name></name>
  526.      
  527.   </author>
  528.  
  529.  
  530.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  531.      <![CDATA[<p>憲法記念日に神奈川新聞にロングインタビューが掲載された。いつもの話ではあるけれど、これを愚直に繰り返す以外に悪政を食い止める方途を思いつかない。</p>
  532.  
  533. <p><strong>反骨は立ち上がる</strong></p>
  534.  
  535. <p>いま日本で起きている絶望的なまでの「公人の劣化」は何に由来するのか。結論から言ってしまえば「日本はアメリカの属国でありながら、日本人がその事実を否認している」という事実に由来する。日本社会に蔓延している「異常な事態」の多くはそれによって説明可能である。</p>
  536.  
  537. <p>ニーチェによれば、弱者であるがゆえに欲望の実現を阻まれた者が、その不能と断念を、あたかもおのれの意思に基づく主体的な決断であるかのようにふるまうとき、人は「奴隷」になる。「主人の眼でものを見るようになった奴隷」が真の奴隷である。彼には自由人になるチャンスが訪れないからである。日本はアメリカの属国であり、国家主権を損なわれているが、その事実を他国による強制ではなく、「おのれの意思に基づく主体的な決断」であるかのように思いなすことでみずからを「真の属国」という地位に釘付けにしている。<br />
  538. 日本が属国なのだと明確に認識したのは、鳩山由紀夫元首相が2009年に米軍普天間飛行場の移設を巡り「最低でも県外」と発言した際の政治と社会の反応を見たときだ。<br />
  539. 鳩山氏は軍略上の重要性を失った日本国内の米軍基地を移転し、日本固有の国土の回復を求めただけである。首相として当然の主張をしたに過ぎない。だが、これに対して外務省も防衛省もメディアも猛然たる攻撃を加えた。その理由は「アメリカの『信頼』を損なうような人間に日本は委ねられない」というものだった。ニーチェの「奴隷」定義を援用するならば、宗主国の利益を優先的に配慮することが自国の国益を最大化する道だと信じる人々のことを「属国民」と呼ぶのである。</p>
  540.  
  541. <p>北朝鮮を巡る情勢が緊迫している。米国が北朝鮮に対し先制攻撃した場合、日本国内にミサイルが飛来して国民が死傷するリスクはある。だが、これを「アメリカがする戦争になぜ日本が巻き込まれなければならないのか」と憤る声はほとんど聞かれない。主権国家であれば、国土と国民を守ることをまず第一に考えるはずだが、日本政府は北東アジアの危機を高めているアメリカに一方的な支持を与えて、米国に軍事的挑発の自制を求めるという主権国家なら当然なすべきことをしていない。</p>
  542.  
  543. <p>「対米従属を通じて対米自立を達成する」という国家戦略は敗戦後の日本にとってそれ以外に選択肢のないものだった。ことの適否を争う余裕はないほど日本はひどい負け方をしたのである。そして、この国家戦略はその時点では合理的なものだった。徹底的な対米従属の成果として、日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で国際法上の戦争状態を終わらせ、国家主権を回復した。68年には小笠原諸島、そして72年には沖縄の施政権が返還された。戦後27年間は「対米従属」は「対米自立」の果実を定期的にもたらしたのである。<br />
  544. だが、この成功体験に居ついたせいで、日本の政官は以後対米従属を自己目的化し、それがどのような成果をもたらすかを吟味する習慣を失ってしまった。沖縄返還以後45年で対米自立の成果はゼロである。米軍基地はそのまま国土を占拠し続け、基地を「治外法権」とする地位協定も改定されず、首都上空には米軍が管轄する横田空域が広がったままである。主権回復・国土回復という基本的な要求を日本は忘れたようである。<br />
  545. それどころか、対米自立が果たされないのは「対米従属が足りない」からだという倒錯的な思考にはまり込んで、「年次要望改革書」や日米合同委員会を通じて、アメリカから通告されるすべての要求を丸のみすることが国策「そのもの」になった。郵政民営化、労働者派遣法の改定、原発再稼働、TPP、防衛機密法の制定、PKOでの武器使用制限の見直しなど、国論を二分した政策は全部アメリカの要求が実現された。そして、わが国の国益よりもアメリカの指示の実現を優先する政権にアメリカは「同盟者」として高い評価を与え、それが属国政権の安定をもたらしている。</p>
  546.  
  547. <p>日本人は心のどこかで「属国であること」を深く恥じ、「主権の回復」を願っている。けれども、それは口に出されることがない。だから、その抑圧された屈辱感は病的な症候として現れる。安倍政権とその支持者たちの「かつて主権国家であった大日本帝国」に対する激しいノスタルジーは「主権のない戦後日本国」に対する屈辱感の裏返しである。けれども主権回復のための戦いを始めるためには、まず「日本は主権国家でなく、属国だ」という事実を受け入れるところから始めなければならないが、それはできない。痛苦な現実から目をそらしながら少しでも屈辱感を解除したいと思えば、「大日本帝国」の主権的なふるまいのうち「今でもアメリカが許諾してくれそうなもの」だけを選り出して、政策的に実現することくらいしかできることがない。それが対外的には韓国や中国に対する敵意や軽侮の表明であり、国内における人権の抑圧、言論の自由や集会結社の自由の制約である。だが、日本が隣国との敵対関係を加熱させることには宗主国アメリカから「いい加減にしろ」という制止が入った。米日中韓の連携強化は、トランプ政権のアメリカにとっても東アジア戦略上の急務だからである。やむなく、<strong>日本の指導層の抱え込んでいる「主権国家でないことの抑圧された屈辱感」は日本国民に「主権者でないことの屈辱感」を与えるというかたちで病的に解消されることになった</strong>。<br />
  548. それが特定秘密保護法、集団的自衛権行使の閣議決定、安保法制、共謀罪と続く、一連の「人権剥奪」政策を駆動している心理である。</p>
  549.  
  550. <p>安倍政権の改憲への熱情もそれによって理解できる。憲法に底流する国民主権のアイディアはアメリカの統治理念そのものである。それを否定することで、対米屈辱は部分的に解消できる。そして政権担当者は「国民に対してだけは主権的にふるまう」ことで国家主権を持たない国の統治者であるストレスを部分的に解消できる。<br />
  551. 自民党改憲草案は近代市民社会原理を全否定し、剥き出しの独裁政権を志向する病的な政治文書だが、それが全篇を通じて「決してアメリカを怒らせないような仕方で対米屈辱感を解消する」というねじれた政治目標に奉仕しているのだと思えば、理解できないことはない。</p>
  552.  
  553. <p>日本人に対して、私から言いたいことは「現実を直視しよう」ということに尽きる。国防についても、外交についても、エネルギーについても、食糧についても、基幹的な政策について日本は自己決定権を持ってないこと、国土を外国の軍隊に占拠されており、この状態がおそらく永久に続くこと、明治維新以来の悲願であったはずの「不平等条約の解消」という主権国家の基礎的目標を政治家たちが忘れたふりをしていること、海外の政治学者たちは特段の悪意もなく、日常的に「日本はアメリカの属国である」という前提で国際関係を論じていること、そういう事実を直視するところからしか話は始まらない。<br />
  554. この否定的現実をまず受け入れる。その上で、どうやって国家主権を回復するのか、衆知を集めてその手立てを考えてゆく。鳩山一郎や石橋湛山や吉田茂が国家的急務としていた問題をもう一度取り上げるということである。</p>
  555.  
  556. <p>日本が属国であることも、その事実を否定するために異常な人権抑圧が行われていることは沖縄や福島へ行けばわかる。現場に行けば政治家や官僚やメディアがどのように隠蔽しようとも痛ましい現実が露呈する。まずそこに立つこと。幻想から目を覚ますこと。それが日本国民のしなければならないことである。</p>
  557.  
  558. <p>日本ははっきり末期的局面にある。これから急激な人口減を迎え、生産年齢人口が激減し、経済活動は活気を失い、国際社会におけるプレゼンスも衰える。日本はこれから長期にわたる「後退戦」を戦わなければならない。<br />
  559. 後退戦の要諦は、ひとりも脱落させず、仲間を守り、手持ちの有限の資源をできるだけ温存して、次世代に手渡すことにある。後退戦局面で、「起死回生の突撃」のような無謀な作戦を言い立てる人たちについてゆくことは自殺行為である。残念ながら、今の日本の政治指導層はこの「起死回生・一発大逆転」の夢を見ている。五輪だの万博だのカジノだのリニアだのというのは「家財一式を質に入れて賭場に向かう」ようなものである。後退戦において絶対に採用してはならないプランである。けれども、今の日本にはこの「起死回生の大ばくち」以外にはプランBもCもない。国として生き残るための代替案の案出のために知恵を絞ろうというひとが政官財の要路のどこにもいない。<br />
  560. だがそうした危機的現状にあって、冷静なまなざしで現実を眺め、自分たちが生き残るために、自分たちが受け継ぐはずの国民資源を今ここで食い散らすことに対して「ノー」を告げる人たちが若い世代からきっと出てくると私は思っている。<br />
  561. 日本の人口はまだ1億2千万人ある。人口減は止められないが、それでもフランスやドイツよりははるかに多い人口をしばらくは維持できる。指導層の劣化は目を覆わんばかりだけれど、医療や教育や司法や行政の現場では、いまも多くの専門家が、専門家としての矜持を保って、私たちの集団を支えるために日々命を削るような働きをしている。彼らを支えなければならない。</p>
  562.  
  563. <p>後退戦の戦い方を私たちは知らない。経験がないからだ。けれども、困難な状況を生き延び、手持ちの資源を少しでも損なうことなく次世代の日本人に伝えるという仕事について私たちは好き嫌いを言える立場にはない。それは国民国家のメンバーの逃れることのできぬ義務だからである。<br />
  564. </p>]]>
  565.      
  566.   </content>
  567. </entry>
  568. <entry>
  569.   <title>BFM TV の記事から</title>
  570.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/04/25_1341.php" />
  571.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1786</id>
  572.  
  573.   <published>2017-04-25T04:41:12Z</published>
  574.   <updated>2017-04-25T04:45:49Z</updated>
  575.  
  576.   <summary>昨日のフランスのBMFTVの記事から。 なんだか物騒な話になっている。 「北朝鮮...</summary>
  577.   <author>
  578.      <name></name>
  579.      
  580.   </author>
  581.  
  582.  
  583.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  584.      <![CDATA[<p>昨日のフランスのBMFTVの記事から。<br />
  585. なんだか物騒な話になっている。<br />
  586. <strong>「北朝鮮、アメリカを『地図上から抹殺する』と恫喝</strong><br />
  587. 2017年4月24日<br />
  588. 米朝両国間の緊張が高まる中、北朝鮮の公式サイトはアメリカが半島を攻撃したときにアメリカは「地図上から抹殺されるであろう」と述べた。アメリカがピョンヤンに対する威嚇的な態度を強めるにつれて、北朝鮮はその核攻撃プログラム開発を進めている。<br />
  589. 北朝鮮公式サイトは、ワシントンが北朝鮮に宣戦布告した場合、アメリカ合衆国は「地上から消滅するであろう」と警告した。北東アジアにおける緊張を高めている威嚇の応酬についてのこれが最新の情報である。<br />
  590. 土曜日に、アメリカの副大統領マイク・ペンスはアメリカの空母カール・ヴィンソンとその艦隊は「数日中に」日本海に到着するだろうと述べた。その一方で、北朝鮮による六回目の核実験の可能性についての噂が広まっている。<br />
  591. ピョンヤンはアメリカ大陸に核攻撃できるミサイルの建設を夢見ている。この自閉した国家は扇動的な発言を繰り返し、今月はじめからのわずかな期間に二度のミサイル実験を実行した。<br />
  592. 政府広報誌である「労働新聞」は一連の社説において、北朝鮮軍は「剥き出しの軍事的恫喝」である空母の接近によって少しも動揺していないと言う。<br />
  593. 「かかる恫喝はクラゲを驚かすことはできるかも知れないが、朝鮮民主主義人民共和国に影響を及ぼすことはない」と労働新聞は断言している。北朝鮮軍は「一撃でアメリカの原子力空母を撃沈する」用意がある、と。<br />
  594. プロパガンダサイトであるウリミンゾッキリはカール・ヴィンソンの派遣は宣戦布告であるとみなしている。「これは北朝鮮への侵入がつねに切迫していることの証拠である」。<br />
  595. 軍の一将校の署名のある社説を通じて、サイトはアメリカの攻撃の後に「ただちに反撃」することのできないシリアと北朝鮮を同一視することは「重大な過誤」であるとワシントンに警告を発している。さらに、攻撃がなされた場合、「世界は、ワシントンが無思慮にも送り出した原子力空母は鉄くずに粉砕され、船底をさらし、アメリカと呼ばれた国が地上から消えるさまを見ることになるだろう」と書いている。<br />
  596. 地域の巡回を終えたマイク・ペンスは、他のアメリカの高官たちと同じく、北朝鮮の核の野心に対する軍事的オプションを含む「すべての選択肢はテーブルの上にある」と語っている。<br />
  597. </p>]]>
  598.      
  599.   </content>
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  602.   <title>役に立つ学問</title>
  603.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/03/30_1305.php" />
  604.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1781</id>
  605.  
  606.   <published>2017-03-30T04:05:36Z</published>
  607.   <updated>2017-03-30T04:34:53Z</updated>
  608.  
  609.   <summary>『大学出版』という媒体の「役に立つ学問?」という特集に寄稿した。わりと特殊なメデ...</summary>
  610.   <author>
  611.      <name></name>
  612.      
  613.   </author>
  614.  
  615.  
  616.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  617.      <![CDATA[<p>『大学出版』という媒体の「役に立つ学問?」という特集に寄稿した。わりと特殊なメディアなので、ブログでも紹介しておく。</p>
  618.  
  619. <p><strong>役に立つ学問とは何か。</strong><br />
  620.     <br />
  621. 「役に立つ学問」とは何のことなのだろう。<br />
  622. そもそも学問は役に立つとか立たないとかいう言葉づかいで語れるものなのか。<br />
  623. 正直に申し上げて、私はこういう問いにまともに取り合う気になれない。というのは、こういう設問形式で問う人は、一般解を求めているようなふりをしているけれど、実際には「その学問は私の自己利益の増大に役に立つのか?」を問うているからである。<br />
  624. だから、にべもない答えを許してもらえるなら、私の答えは「そんなの知るかよ」である。何を学ぶかは自分で判断して、判断の正否についての全責任は自分で取るしかない。「役に立つ」ということには原理的に一般性がないからである。</p>
  625.  
  626. <p>すべての学問やテクノロジーの有用性は地域限定的・期間限定的である。ある空間的閉域を離れれば、あるいはある歴史的環境を離れたら、それはもう有用ではなくなる。空間の広狭、期間の長短に多少の差はあるけれど、結局は「程度問題」である。<br />
  627. それどころか、ある人にとっての「有用」はしばしば別の人にとっての「無用」や「有害」でさえある。例えば、兵器産業は有用か。この問いに即答できる人がどれだけいるだろうか。兵器を開発し、市場に投じ、それによって大きな収益を上げた企業や、その会社の株を買って儲けた投資家や、その企業から法人税を徴収して国庫に収めた国家や、その企業で雇用された従業員にとって兵器産業はたしかに有用であるだろう。けれども、そうやって兵器の機能が向上し、手際のよい営業活動によって、廉価で高性能の兵器が世界中に広くゆきわたったせいで「殺されやすくなった」人たちが他方にはいる。家を焼かれ、家族を殺された人に向かって「兵器産業は有用でしょうか」と訊いても肯定的な答えは得られないだろう。<br />
  628. 原子力発電事業は有用か。これも難問だ。この先日本列島でまったく地震も津波もテロもなく、早い段階で放射性廃棄物の完全な処理技術が確立し、かつ電力需要がこのまま高い水準で推移するという条件がすべて満たされた場合、原子力発電事業は有用であるだろう。けれども、そのどれか一つの条件でも満たされない場合、この事業は「無用」から「非常に有害」の間のどこかに位置づけられることになる。現段階では予測できない条件によって有用物がいきなり有害物に転化するようなものについて現段階でその「有用性」や「価値」を論じることにはたぶん意味がない。<br />
  629. もっと穏当な喩えでもよい。英語教育は有用か。簡単そうだが、これも即答することはむずかしい。外国語教育の有用性もまた歴史的条件の関数だからである。<br />
  630. 現在、英語教育が有用であるのは過去2世紀以上にわたって英米という英語話者の国が世界の覇権国家だったからである。それ以外の理由はない。現代の世界で生き延びる上で重要かつ有用なテクストの多くが英語で書かれているのは事実だが、それは英語圏に例外的に優秀な人々が生まれたからではなく、英語が覇権国家の言語だからである。<br />
  631. アメリカはこれからもしばらくは軍事的にも経済的にも大国であり続けるだろう。だが、「パクス・アメリカーナ」の時代もいずれ終わる。その後にどの国が指導的な地位を占めることになるのかは誰にも予想がつかない。ロシアかも知れない。中国かも知れない。ドイツかも知れない。その場合、私たちはどれかの強国の国語を新たな「リンガフランカ」として学ぶことをたぶん強いられる。<br />
  632. 私が学生だった頃、理系の学生たちの多くが第二外国語にロシア語を履修していた。それは1960年代まで、自然科学のいくつかの分野ではソ連が欧米に拮抗ないし凌駕していたからである。しばらくして、ソ連の学術的没落とともにロシア語履修者は地を払った。そういうときの学生たちの見限り方の非情ぶりに私は少し感動した。同じことが英語について起こるかも知れないと私は思っている。いずれロシア語や中国語やドイツ語やアラビア語に熟達している人たちがその「希少価値」ゆえに英語話者より重用されるという日が来るかも知れない。その可能性は高い。現にもうすでに、一部の若者たちの間ではアラビア語やトルコ語学習が静かなブームになっている。彼らは独自の嗅覚で手持ち資源を効果的に投ずべき先を手探りしているのである。そして、彼らの予測が外れたとしても、彼らは失った時間と手間の返還を誰に対しても求めることはできない。<br />
  633. そもそも私たち日本人こそ「リンガ・フランカ」の脆さを骨身にしみて経験しているはずである。漢文の読み書きができることは古代から日本人の知識人にとって大陸渡来の新しい学問を学ぶための必須の知的ツールであった。それは遣隋使小野妹子の時代から、朝鮮通信使を対馬に迎えた雨森芳州の時代まで変わらない。漢文は日本ばかりか、東アジア全域において基礎的なコミュニケーション・ツールであった。だから、どこの国を旅しても、知識人同士は、懐から矢立てと懐紙を取り出して、さらさらと文を認めれば互いに意を通じることができたのである。漢文運用能力はとりわけ近代以降にその威力を発揮した。中江兆民はルソーの『民約論』を日本語訳すると同時に漢訳もした。だから、多くの中国人知識人は兆民を介してフランスの啓蒙思想に触れることができた。樽井藤吉は日本と朝鮮の対等合併を説いた『大東合邦論』を漢語で書いたが、それは彼が日本・朝鮮二国のみならず広く東アジア全域の読者を想定していたからである。宮﨑滔天も北一輝も内田良平もかの「アジア主義者」たちは、中国・朝鮮の政治闘争に直接コミットしていったが、おそらく彼らの多くはオーラル・コミュニケーションではなく「筆談」によってそれぞれの国での組織や運動にかかわったはずである。こういう姿勢のことをこそ私は「グローバル」と呼びたいと思う。<br />
  634. 近代まで漢文は東アジア地域限定・知識人限定の「リンガフランカ」であった。それを最初に棄てたのは日本人である。こつこつ国際共通語を学ぶよりも、占領地人民に日本語を勉強させるほうがコミュニケーション上効率的だと考えた「知恵者」が出てきたせいである。自国語の使用を占領地住民に強要するのは世界中どこの国でもしていることだから日本だけを責めることはできないが、いずれにせよ自国語を他者に押し付けることの利便性を優先させたことによって、それまで東アジア全域のコミュニケーション・ツールであった漢文はその地位を失った。日本人は自分の手で、有史以来変わることなく「有用」であった学問を自らの手で「無用」なものに変えてしまったのである。<br />
  635. 戦後日本の学校教育も戦前と同じく「コミュニケーション・ツールとしての漢文リテラシーの涵養」に何の関心も示さなかった。さらに韓国が(日本の占領期に日本語を強要されたことへの反発もあって)漢字使用を廃してハングルに一元化し、さらに中国が簡体字を導入するに及んで、漢文はその国際共通性を失ってしまった。千年以上にわたって「有用」とされた学問がいくつかの歴史的条件(そのうちいくつかはイデオロギー的な)によって、短期間のうちにその有用性を失った好個の適例として私は「漢文の無用化」を挙げたいと思う。<br />
  636. 私が言いたいのは、ある学問が有用であるかどうかを決するのは、学問そのものの内在的価値ではなく、またその経験的に確証された有用性でもなく、多くの場合、パワーゲームにおいて、その時点で力を持っているプレイヤーの利害だということである。それ以外の要素はおしなべて副次的なものに過ぎない。</p>
  637.  
  638. <p>もうこれで結論は出ているので、これ以上書くことは特にない。でも紙数が大幅に残ったので、あとは余計なことを書く。<br />
  639. 現代は世界どこでも英会話能力が「役に立つ学問」の最たるものとされているが、これを果たして「実学」と呼んでいいのかということを論じてみたい。先に述べた通り、英語がリンガフランカであるのは、いくつかの歴史的条件によってそうなっているだけのことであって、いずれそうではなくなる。それがいつかはわからないけれど、いずれ英語はローカルな一言語になる。<br />
  640. そもそも、現在日本で暮している人たちの多くにとって英会話能力はとくに緊急性の高いものではない。ふつうの生活者に英語で話す機会はほとんどない。ときどき、「外国人に道を聞かれたときに、教えられるように」というようなことを言う人がいるが、「外国人に道を聞かれる」というようなことがどの程度の頻度で起きるのか。思い返しても、私が外国人に道を聞かれたことは過去に一度しかない。十年ほど前、芦屋駅の近くで「駅はどこか」と聞かれた。おまけにそれはフランス語であった。私は「その角を右に曲がる」と初級フランス語の三頁目くらいに出てくる文型を以て答えたが、「アシヤ」が聴き取れれば、無言で手を引っ張ってゆけば済んだ話である。<br />
  641. 異郷で困惑している人に手を差し出すというのはたいせつなことである。でも、そのためにまず必要なのは「人として」の惻隠の情であって、外国語運用能力ではない。けれども、まことに不思議なことだが、本邦では「困っている人に手を差し伸べること」の重要性を学校で厳しく教えるということはない。人としてのまっとうな態度を社会的格付けに適用するということもない。圧倒的な重要性が付与されているのは英会話能力に対してなのである。<br />
  642. はっきりと英会話能力が求められているのは経済活動の領域においてである。インバウンドの観光客を接待するホテルやレストランや店舗において、あるいは海外市場でセールスを行うビジネスマンや、海外の生産拠点で経営や労務管理を担当する人たちにとって英語は必須のツールであろう。その必要性を私は十分に理解している。けれども、どれほどの能力を持った人間がどれほどの人数必要なのか、その数値目標にどれほどの積算根拠があるのか、私は説得力のある話を聞いたことがない。<br />
  643. 文科省が2013年に発表した「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」は小学校三年からの英語教育開始を指示したことで話題になったが、この計画によると中学では英語の授業は英語で行うことを基本とする。高校では「幅広い話題について抽象的な内容を理解できる、英語話者とある程度流暢にやりとりができる能力を養う。授業を英語で行うとともに、言語活動を高度化(発表、討論、交渉等)」することがめざされ、達成目標として「高校卒業段階で英検2級~準1級、TOEFL57点程度以上等」が掲げられている。<br />
  644. 日本中の高校生に高校卒業時点で「英検2級から準1級」というのは正直に言ってありえない数値目標だと思う。それがどの程度の英語学力を要するものかを知りたい人はネットで検索すれば過去問がすぐに読めるので、自分で解答を試みられたい。ご覧頂ければわかるが、日常的に英語を浴びるように読み、聴く、理解できない点についてはこまめに辞書を引き、疑問点は先生に質問し・・・という生活をしていないと、ふつうの高校生がこのレベルには達することはできない。<br />
  645. 他の教科の場合、そのような真摯な学習態度で高校の授業に臨んでいる生徒はほとんどいないという現実を知った上で、英語についてだけこのような要求をすることを「異常」だと思わないとしたら、その人の方がよほど「異常」である。<br />
  646. 「計画」には高校卒業時点での達成として「幅広い話題について抽象的な内容を理解できる、英語話者とある程度流暢にやりとりができる能力を養う」とあるが、そもそも日本語によってでさえ「幅広い話題について抽象的な内容を理解できる」高校生がどれだけいるのか。2016年の調査によれば、10代の新聞閲読率(閲読とは「一日15分以上、チラシや電子版を含めて新聞を読むことをいう)は4%である。わずか4%である。マスメディアに対する不信感が募っている時代にあって、この数字はこの先さらに減少することはあっても、V字回復するとは思われない。<br />
  647. たしかに高校生たちは終日スマホに見入っているが、それは別に電子版のニュースで国際情勢や国会審議を注視しているわけではないし、ツイッターやラインで政治的意見を交換したり、日本経済のゆくえについての懸念を語り合っているわけでもない。日本語でさえ「幅広い話題について抽象的な内容を理解」することに困難を覚えている人たちが外国語でそれができるはずがない。そんなことは誰でもわかる。ではなぜ、日本語での読解能力・対話能力の低下が深刻な問題となっている状況下で、英語で「幅広い話題について抽象的な内容を理解」するというような目標を掲げることに優先性があり、かつその目標が達成可能だと信じられるのか。そういう計画を立てることのできる人々の頭の中身が私にはどうしても理解できない。<br />
  648. 私に分かるのは、この計画の起案者たちが高校卒業までに子どもたちが使える教育資源の多くを英会話に投じることの必要性について<strong>自分の頭を使って考えたことがない</strong>ということである。すでに現場から悲鳴が上がっているように、小学校への英語教育の導入・必修化によっては教員の業務が量的にも質的にも増大する。「バーンアウト」寸前の教育現場にさらなる負荷を課し、教員たちも児童たちも疲れ切った状態に追い込んでまでなぜ英語教育を重視するのか。なぜ達成できるはずのない到達目標を掲げてみせるのか。この「実学」への過剰な教育資源の分配の合理的理由を語ってくれる人に私はまだ会ったことがない。<br />
  649. 英語運用能力については、その有用性について誰一人異論を口にしない。けれども、その期待される有用性とその学習努力のために投じられる手間暇を「ベネフィット」と「コスト」で計算した場合、帳尻は合うのか。「実学」を論じる人たちの経済合理性に対するこの無関心に私は驚愕するのである。</p>
  650.  
  651. <p>そもそも実学というのは平たく言えば、「教育投資が短期的かつ確実に回収されるような知識や技術」のことではなかったのか。学習努力という「コスト」がただちに就職率や年収やポストといった「ベネフィット」として回収されるものを私たちの社会では「実学」と呼んでいるはずである。数学や天文学や古生物学や地質学は間違いなくかなり広い範囲で、また長期にわたって有用な学問でありうると私は思うが、これを誰も「実学」とは呼ばない。「金にならない」と思われているからである。<strong>学の虚実を格付けしているのは、コンテンツの良否ではなく、「教育投資の短期的かつ確実な回収が可能かどうか」だけである</strong>。そして、それは市場における当該知識・技能についての「需給関係」で決まり、学知そのものの価値とは関係がない。<br />
  652. 以前私より二十歳ほど年長のビジネスマンと会食したときに、彼が大学在学中最も人気のあった理系学科は何だか知っているかと聞かれた。わからないと答えると「冶金学科」だと教えてもらった。製鉄業が日本経済を牽引していた時代だったのである。今の学生たちは「冶金」という文字さえもう読めないだろうが、冶金についての知識に市場が最高値をつけたのは今からわずか60年ほど前の話なのである。製鉄や造船や建設が日本経済の花形業界であった時代がしばらく続き、それから流通やサービス業が人気業種になり、金融や広告やマスコミに若者が集まるようになり、それからITと創薬と貧困ビジネスと高齢者ビジネスの時代になった。それぞれ人気のある業界で「即戦力」として使用できる知識や技能が「実学」と呼ばれたけれど、その栄枯盛衰はめまぐるしかった。だから、私たちもあと十年後には何が実学になるのか予測することができない。Apple やGoogleが十年後に存在しているかどうかさえ誰にもわからない時代なのだから、十年後の「実学」が予測できるはずがない。</p>
  653.  
  654. <p>もう少し身近な話をしよう。私が大学に在職していた頃、「女子大に薬学部を作る」ということがトレンドになったことがあった。ご記憶の方も多いだろうが、コンサルタントがあちこちの大学に学部創設のプロジェクトを持ちかけた。そのときに強調されたのは、薬学部なら6年通うから授業料収入が1.5倍になるという「金目の話」と、女子の「実学志向」と言われるものだった。「当今の女子学生の母親たちは娘が手に職をつけることを強く望んでいる。母親たちは娘たちに経済的自立という自分が果たせなかった夢を託す傾向にある。だから、娘たちには医学部・歯学部・薬学部を狙わせるのだ」という説明にはなかなか説得力があった。そして、その三つの中では薬学部が立ち上げコストが一番安かったので、いくつかの大学がその計画に乗った。<br />
  655. その結果、短期間にそれまで46校で安定していた薬学部が74校に急増し、薬科大学・薬学部の総定員は13000人に達した。不幸なことに、これは市場の「ニーズ」に対して供給過剰であった。結果的に多くの学部が定員割れになった。その一方、出口に当たる薬剤師国家試験の合格率は低いままだった。50%を切った年もあるが(2010年)、ここしばらくは60~70%台で推移している。つまり、薬学部に入ったが卒業できなかった学生、卒業したが国試に通らなかった少なからぬ数の学生が存在するということである。そして、彼ら彼女らにとって、この学問は「教育投資が短期的かつ確実に回収」できなかった以上「実学」ではなかった。誰が考えても薬学は有用な学問である。けれども、言葉の精密な定義に従えば「実学」ではない。一般論としては「役に立つ学問」であるけれど、それを学んだけれど国試に通らなかった学生にとっては個人的には「無用の学問」だったことになる。<br />
  656. だから、「〇〇は実学か」という問いを当該学問の内在的な価値に求めても虚しいことだと先ほどから言っているのである。「実学度」は市場の需要と大学の卒業生供給の関数であり、それ以外のファクターは副次的なものに過ぎない。<br />
  657. その意味では実学の度合いは株価とよく似ている。「株取引は美人投票の高得票者を当てるゲームだ」という言い方がしばしばされる。自分の審美的基準はとりあえず棚に上げておいて、「みんなが誰を美人だと思うか」を推測する。自分の主観を封じて、「世の人々が欲望するもの」を正しく言い当てたものが株の売り買いのゲームの勝者になる。「実学」ゲームもたぶんそれと同じである。自分が何を勉強したいのか、何を知りたいのか、どんな技能を身につけたいのかといったことは「棚に上げて」、「市場ではどういう知識や技能に高値がつくか」を読み当てたものがとりあえず「実学ゲーム」の勝者になる。<br />
  658. ただし、勝者が勝者であり続けられる期間はあまり長くない。だんだん短くなっている。それだけの話である。</p>
  659.  
  660. <p>私は「役に立つ学問」というものに興味がない。それを識別することに何か意味があると思っている人にも興味がない。それはたぶん「お前のやっていることは何の役にも立たない」と若い頃から言われ続けてきたせいである。自分でも「そうかもしれない」と思っていたから反論もしなかった。でも、自分にはぜひ研究したいことがあったので、大学の片隅で気配をひそめて「したいこと」をさせてもらってきた。私が30年にわたって「何の役にも立たないこと」を研究するのを放置していてくれた二つの大学(東京都立大学と神戸女学院大学)の雅量に私は今も深く感謝している。私が選んだ学問領域は四十年にわたって私に知的高揚をもたら続けてくれた。私はそれ以上のことを学問に望まなかったし、今も望んでいない。<br />
  661. </p>]]>
  662.      
  663.   </content>
  664. </entry>
  665. <entry>
  666.   <title>Libérationの記事から</title>
  667.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/03/25_1008.php" />
  668.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1779</id>
  669.  
  670.   <published>2017-03-25T01:08:20Z</published>
  671.   <updated>2017-03-25T01:15:59Z</updated>
  672.  
  673.   <summary>フランスの左派系メディア『リベラシオン』は森友学園事件について3月23日に次のよ...</summary>
  674.   <author>
  675.      <name></name>
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  678.  
  679.  
  680.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  681.      <![CDATA[<p>フランスの左派系メディア『リベラシオン』は森友学園事件について3月23日に次のように伝えている。事件の全貌と歴史的背景を簡潔かつ正確にまとめている。</p>
  682.  
  683. <p><strong>「安倍晋三はなぜ新たなスキャンダルに巻き込まれたのか?」</strong></p>
  684.  
  685. <p>物語は延々と終わらずに続いている。無敵と思われた安倍晋三の任期5年目をスキャンダルの雲が覆っている。彼の妻、安倍昭恵を衆目にさらし、彼の防衛相を無力化したこのスキャンダルの影響は財務省にも及んでいる。<br />
  686. この長く、気違いじみた一日は首相が2012年の彼の政権復帰以来最大の政治的危機に遭遇したことを示した。そして、人々の疑問は決定的な問いのレベルに達しようとしている。「安倍晋三と彼の妻は嘘をついているのか、それとも彼らは利用されたのか?」<br />
  687. 証人喚問はこの国家的事件の核心部分である。二月以来長く続くスキャンダルに材料を提供してきたのは籠池泰典という興味深い人物の繰り返される言明である。ナショナリストの私立機関である森友学園という学校法人の理事長であるこの人物は木曜に証人宣誓の下2015年9月15日に、首相の妻である安倍昭恵から寄付を受け取ったと証言した。これは彼が問題の多い条件で獲得された国有地に建設していた小学校への財政的支援のためのものであった。<br />
  688. 「彼女は封筒に入った100万円(8260ユーロ)を手渡し、『どうぞ、これは安倍晋三からです』と言った」と籠池泰典は国会の委員会の席上で言明した。この様子は同日複数のチャンネルでテレビ生中継された。<br />
  689. 彼の聴き取りにあたった議員たちは再三議会で偽証した場合には偽証罪に問われ訴追されると念押しをした。籠池はまばたきもせずに「私ははっきりと記憶しております。私たちにとってたいへん名誉なことですから」と語った。安倍晋三とその周辺は籠池の申し立てを必死になって否定している。というのは、首相は二月中旬国会で追いつめられたときに「もし私の妻あるいは私がこの件(何らかの寄付あるいは土地の取得)に関与していたことが明らかになったら、私は総理大臣も国会議員も辞職する」と言明していたからである。<br />
  690. 安倍夫妻はしかし2月9日から始まったこの事件に無関係ではない。その日、朝日新聞は森友学園が国から大阪府内の8770平方メートルの土地を1億3400万円(111万ユーロ)で取得したという調査結果を伝えたが、これは政府が査定した土地価格の10分の1であった。驚くべきこの値引きはこの土地に産業廃棄物が埋められており、除去が必要だからということによって部分的に説明された。しかしこの説明は財務省からの政治的圧力が森友学園への土地払下げを有利に運んだのではないかという疑惑のすべてを解消するには至らなかった。<br />
  691. この取引が関心を引き付けたのは、首相の妻である安倍昭恵がこの学校の名誉校長になる予定だったからである。2015年9月5日、彼女は森友学園が経営する幼稚園に講演に招かれていた。スキャンダルが広がると彼女はこの職を辞した。安倍晋三はこの小学校が彼の名前を冠することを拒否したが、2007年に打ち続くスキャンダルと選挙の惨敗のあと政権を放り出すことになった事件の再演を恐れたのである。安倍夫妻は以後森友学園と籠池泰典と距離をとっている。<br />
  692. しかし、首相は過去に籠池とイデオロギー的意見を共にすると宣言していた。籠池泰典は安倍の周辺に集まる人脈に連なっている。彼は日本会議のメンバーであるが、これは日本における最強のナショナリスト・ロビーの一つである。全国48都道府県に35000人の会員を擁するこの運動は1997年に創設され、国会議員のうち300人、地方議会の1700人の議員がこれに加盟している。安倍も、麻生太郎財務相も、稲田朋美防衛相も日本会議の会員である。<br />
  693. この稲田防衛相もスキャンダルに翻弄されている。彼女は弁護士として2004年に森友学園のために弁護活動をしていたが、この事実を彼女は最近になって記憶の欠如を認めるまでは否定していた。<br />
  694. きわめて強い影響力を持つ日本会議は「祖国と日本文化防衛」のために戦っており、「子どもたちが日本の歴史と伝統に誇りを持つことができるように、教育改革を行うこと」をめざしている。籠池は神道を経由して軍国主義へ向かう、歴史修正主義と伝統主義からなるこのイデオロギー的潮流に与している。「小学校を創設することは神から託されたミッションである」と彼は二月に毎日新聞に向かって語り、彼の学校が子どもたちに洗脳を行っていることを批判する人々につよい懸念を与えた。<br />
  695. 森友学園が経営する幼稚園では、彼はきびしい規律を課し、教科は戦前の愛国主義に基づいている。園児たちは天皇の臣民としてふるまい、市民としてふるまってはならないと厳命されている。園児たちは19世紀に制定され、1945年の敗戦で失効した「教育勅語」を暗誦させられる。この勅語では「危機の時には国家のために勇敢に命を捧げること」と「天皇制の繁栄を維持すること」が推奨されている。親たちの一部は子どもたちが「安倍首相ばんざい」と叫び、2015年の国論を二分した安全保障関連法案の国会通過を奉祝したことにつよい不安を感じていた。それ以外にもこの幼稚園では反中国、反韓国的な発言もなされていた。<br />
  696. 籠池は辞職した。しかし、物語は続いている。</p>]]>
  697.      
  698.   </content>
  699. </entry>
  700. <entry>
  701.   <title>境界線と死者たちと狐のこと</title>
  702.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/03/01_1404.php" />
  703.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1775</id>
  704.  
  705.   <published>2017-03-01T05:04:57Z</published>
  706.   <updated>2017-03-01T05:09:04Z</updated>
  707.  
  708.   <summary>村上春樹の新作『騎士団長殺し』を読んでいるうちに、村上春樹と上田秋成について書い...</summary>
  709.   <author>
  710.      <name></name>
  711.      
  712.   </author>
  713.  
  714.  
  715.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  716.      <![CDATA[<p>村上春樹の新作『騎士団長殺し』を読んでいるうちに、村上春樹と上田秋成について書いた文章があったことを思い出した。<br />
  717. もうだいぶ前に書いたものだ。たしか『文學界』に寄稿したのだと思う(違うかも知れない)。江藤淳が上田秋成について書いていたものをちょうどその直前に読んでいたので、上田秋成~江藤淳~村上春樹という系譜を考えてみた。<br />
  718. 上田秋成と村上春樹の関連については論じた人がいくらもいると思うけれど、江藤淳をまじえた三者を論じたのはたぶん僕の創見ではないかと思う。<br />
  719. 『騎士団長殺し』はまだ上巻が終わったところで、これからどうなるかわからない。<br />
  720. もしかすると、ここに書いたような話になるのかもしれない。そう思うとどきどきする。</p>
  721.  
  722. <p><strong>「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹)について</strong></p>
  723.  
  724. <p>小説を論じるときに「主題は何か?」というような問いから始まるアプローチはずいぶん時代遅れのものだ。私の定かならぬ記憶では、1960年代の批評理論によって「主題」や「作者の意図」を論じる批評にはすべて死刑宣告が下された。テクストは作者から自立しており、それはポリフォニックな間テクスト性の戯れの場なのである云々。そういう言葉を私たちはずいぶん読まされてきた。<br />
  725. それでも相変わらず「作者はこの作品を通じて何が言いたいのか?」という問いは作品を論じるときの最優先の地位をいまだ譲っていない。これはたぶんに著作権というものの現実的効果なのだろう。作品の生み出す経済的価値を専一的に享受する「オーサー」はテクスト理論がいかに否定しても、法律上厳然と存在している。作品がたくさん売れると経済的利益に与る人間がいるのだとすれば、作品はある種の「商品」だということになる。そうであるなら、作者は当然ながらおのれに利益をもたらす商品についての「製造責任」を負わねばならぬ。スペックを公開し、製造過程を明らかにし、賞味期限や「使用上の注意」も開示しなければならない。<br />
  726. 高踏的な批評理論も最終的にはこのビジネスモデルの前に屈服してしまった。今回の村上春樹の新刊発売についても、書評より先にまず発行部数についてのニュースが大きく報じられた。「爆発的に売れている新商品」という扱いである。そうであるなら、「この商品にはどんな価値や有用性があるのか?」という問いが続くのは自明のことである。<br />
  727. だから、どれだけ死刑宣告をされても、製造者に製造責任を問うタイプの批評はエンドレスで続く。今でも書評家たちはまず「村上春樹はこの新刊を通じて何を言いたいのか?」という問いから始める。作家はこの作品の「材料」をどこから集めてきたのか?それを処理する「方法」はどのような技法的伝統に連なるのか?これまでの他の作品とこの「新製品」はどう差別化されるのか?あるいはマーケティングの用語を借りた「この作品のターゲットはどのような層か?」「この作品のどの点が消費者たちの欲望に点火するのか?」などなど。<br />
  728. 村上春樹が大嫌いで、頭から批判的に彼の小説を読む人たちもまたそれとは逆のしかたで定型的な問いに縛り付けられている。「この作品が構造的に見落としているものは何か?」「作者はそれと知らずにどのような臆断やイデオロギーを内面化しているか?」「どのような歴史的制約ゆえに作者はこのようにしか書けなかったのか?」などなど。<br />
  729. いずれの場合も、作品は作者の「所有物」であり、(意識的であるか無意識的であるかにかかわらず)その「自己表現」であり、それゆえに作者には作品に対する「責任」があるという前提は揺るぎない。<br />
  730. 私は今回、懐かしい60年代の批評理論に立ち戻って、もう一度だけ「作者は作品に対して責任がない」という立場からこの作品を読んでみたいと思う。<br />
  731. 作者は作品に先立って「何か書きたいこと」があって書き始めたわけではない。政治的信条であれ、宗教的信念であれ、審美的価値であれ、個人的なトラウマであれ、そういう「核」になるものが作者の中に先行的にあって、それがある技術的な手続きを経て言語表現として「発現」したわけではない。そう考えることにする。これはあくまでひとつの仮説である。たまにはそういう仮説に立って作品を読んでみるのもいいんじゃないかという程度のカジュアルな仮説である。</p>
  732.  
  733. <p>村上春樹は日課的に小説を書いている。これはエッセイやインタビューで、本人が繰り返し証言していることである。鉱夫が穴を掘るように、作家は毎日小説制作の現場に「出勤」し、そこで一定時間、穴を掘る。金脈を探す鉱夫と同じように。日々穴は掘った分だけ深くなるけれど、鉱脈にはめったに堀り当たらない。何十日も掘り続けたが、何も出なかったということもたぶんあるのだろう。でも、いつか鉱脈に当たると信じて、作家は掘り続ける。<br />
  734. 村上はこの態度についてはレイモンド・チャンドラーの執筆姿勢を範としていると述べたことがある。チャンドラーは毎日決まった時間タイプライターに向かった。彼が自分に課したルールはそこでは「書く」以外のことをしてはいけないということである。本を読んだり手紙を書いたりしてはいけない。書くことが思いつかなかったら黙って座っている。決められた時間が来たら、どれほど「乗って」いても、筆を擱いて、その日の仕事は終わりにする。粛々と聖務日課を果たすよう執筆する。<br />
  735. それについて村上自身はこう書いている。</p>
  736.  
  737. <p>「生まれつき才能に恵まれた小説家は、何をしなくても(あるいは何をしても)自由自在に小説を書くことができる。泉から水がこんこんと湧き出すように、文章が自然に湧き出し、作品ができあがっていく。努力する必要なんてない。そういう人がたまにいる。しかし残念ながら僕はそういうタイプではない。自慢するわけではないが、まわりをどれだけ見わたしても、泉なんて見あたらない。鑿(のみ)を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがっていかないと、創作の水源にたどり着くことができない。小説を書くためには、体力を酷使し、時間と手間をかけなくてはならない。作品を書こうとするたびに、いちいち新たに深い穴をあけていかなくてはならない。しかしそのような生活を長い歳月にわたって続けているうちに、新たな水脈を探り当て、固い岩盤に穴をあけていくことが、技術的にも体力的にもけっこう効率よくできるようになっていく。」(『走ることについて語るときに僕の語ること』、文藝春秋、2007年、64-65頁)</p>
  738.  
  739. <p>「穴を掘る」という動詞を村上は創作のメタファーに頻用する。何かを創り出すための動作の比喩的表現なら、「家を建てる」でも「植物を育てる」でも「ご飯をつくる」でもよいはずだが、村上は「穴を掘る」しか使わない。それだけその動詞が小説を書いているときの作家の身体実感に近いのだろう。<br />
  740. 無住の土地を歩いて、だいたい「当たり」をつける。そして「手慣れた工具」を使って、とりあえず足元の岩を砕いてゆく。毎日がりがり掘る。水脈が近づいてくるとちょっと空気が変わる。何か脈動しているものに接近しているのがわかる。鼓動が速くなる。体温が上がる。あるとき岩盤に亀裂が走り、そこから「何か」が湧出してくる。「それ」を掬い上げる。でも、持ち出せる量には限界がある。自分の手持ちの「器」に入るだけしか持ち帰ることはできない。「器」が一杯になったら、すばやく穴を出て地上に戻る。あまり長い時間「水脈」の近くにとどまり続けることはできない。なぜかはわからないが、そこには何か人間的スケールを超えたものがあり、それに身をさらし続けることはときに命にかかわることもあるからだ。<br />
  741. 村上は別のところではこの岩盤の下にあるものを「地下二階」というメタファーも使って説明している。地下室の下の別の地下室。</p>
  742.  
  743. <p>「それは非常に特殊な扉があってわかりにくいので普通はなかなか入れないし、入らないで終わってしまう人もいる。ただ何か拍子にフッと入ってしまうと、そこには暗がりがあるんです。(・・・)その中入っていって、暗闇の中をめぐって、普通の家の中では見られないものを人は体験するんです。それは自分の過去と結びついていたりする、それは自分の魂の中に入っていくことだから。でも、そこからまた帰ってくるわけですね。あっちに行っちゃったままだと現実に復帰できないです。」(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』、文藝春秋、2010年、98頁)</p>
  744.  
  745. <p>その暗闇のことを村上は「前近代の闇」というふうにも言っている。近代人が「なかったこと」にしている闇の部分。そこにアクセスして、戻って来ることができる特殊な技能者が作家である。村上春樹はそういうふうに考えている。そういう点では、現代の作家も中世における巫子祝部や遊行の芸能者とそれほど違うことをしているわけではない。巫女や遊行の「物狂い」に向かって「あなたはそれによってどのような自己表現をなそうとしているのか?」とか「どのような方法論的自覚をもってその芸をなしているのか?」と問う人はいない。同じように作家についても、方法論や前衛性のことはわきに措いて、その物語においてはどのような「闇」が戦慄的に開示されるのか、そのことだけに関心を集中させてもよいのではあるまいか。彼は「地下二階」で何を見てきたのか、それを問うてもよいのではあるまいか。</p>
  746.  
  747. <p>私はそのような立場から村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ。そして、それが上田秋成の『雨月物語』の直系の系譜につらなる怪異譚であり、読者が覗き込むことになる「闇」は『吉備津の釜』や『浅茅が宿』を読んだときに私たちが覗き込むことになる「闇」とほとんど同質のものだという仮説を得た。それについて述べたいと思う。<br />
  748. 村上春樹が上田秋成の直系の後継者であるという仮説は、おそらくすでに指摘している人がいると思うけれど、これは作家自身の選好を知れば誰にでもなしうる推理である。村上春樹はかつて『雨月物語』についてこんな評言を述べた。</p>
  749.  
  750. <p>「現実と非現実がぴたりときびすを接するように存在している。そしてその境界を超えることに人はそれほどの違和感を持たない。これは日本人の一種のメンタリティーの中に元来あったことじゃないかと思うんですよ。」(同書、94頁)</p>
  751.  
  752. <p>この文学的伝統は「自然主義リアリズム」によって途絶させられてしまった。現実と非現実の「通り抜け」という、近世まで日本人にとって自明の心的現象だったものを「近代的自我の独立に向けてむりやり引っぺがし」たことに村上はかなり腹を立てている。<br />
  753. 作家はこの「非現実と現実の境界」を行き来することのできる特権的な技能者であり、同時にその境界線の「守り手」(センチネル)である。センチネルが要請されるのは、「向こう側」から到来するものは、定義上人間的な度量衡によって意味や価値を考量することのできないものであり、そのことが人を深く損ない、傷つけ、ときには殺すことさえあるからである。<br />
  754. 村上春樹は境界線をめぐる物語を繰り返し書いてきた。あるときは「不意に壁の向こうに抜けて、二度と戻ってこなかった人」たちをめぐる物語として(『ノルウェイの森』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『国境の南、太陽の西』、『スプートニクの恋人』など)。あるときは壁の向こうから私たちの世界に浸入してくる「邪悪なもの」を押し戻す仕事を引き受けた「センチネル」の物語として(『羊をめぐる冒険』、『かえるくん、東京を救う』、『ねじまき鳥クロニクル』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『アフターダーク』など)。いずれの場合でも、物語は「境界線を越えるもの」をめぐって展開する。<br />
  755. 「越境して立ち去ったもの」は村上の物語では誰一人戻ってこない。取り残されたものは、なぜ彼/彼女が消え去ったのか、ついにその理由を知らされない。でも、知りたい。だから、境界線の際まで行ってみる。それでも、越境者が立ち去った理由はついに開示されない。そのことが主人公に深い傷を残す。けれども、その代償に、主人公は成熟の階梯を一つだけ上り、この根源的に無意味な世界にかろうじて残された「ささやかだけれどたいせつなもの」を愛することを学ぶ。これは村上文学のほとんど全部の物語に共通している説話構造である。<br />
  756. かつて村上文学を評して「構造しかない」と切り捨てた批評家がいたが、この評言はなかば正しい。たしかに村上文学はこの説話的構造を繰り返し語っており、それによって「人間が住むことができる世界」を基礎づけようとしているからである。</p>
  757.  
  758. <p>私が村上春樹を上田秋成の系譜に位置づけるのは、秋成もまたありありと「地下二階」を感じ、境界線を行き来するものを描き続けた作家だからである。<br />
  759. 上田秋成は彼が濃密な実在感を感じた「非実在」をかつて「狐」と呼んだことがある。狐憑きの狐である。人をたぶらかす妖獣である。そういうものが秋成の時代の人々の日常にはたしかにリアリティをもっていた。だが、当時の朱子学の世界像の中には妖怪狐狸、魑魅魍魎のための場所はなかった。「狐憑き」を学者たちはただの「癇」の病として切り捨てた。だが、秋成はあえて「狐」を擁護する立場をとった。その消息を江藤淳はかつてこう説明した。</p>
  760.  
  761. <p>「儒者の眼に見えるのは、病気という概念であって、『狐』という非現実の現存がもたらす圧力ではない。しかし、いったんアカデミイの門を出てみれば、『うきよ』に顔をのぞかせるのはつねに概念ではなくて、『狐』に憑かれた人間の奇怪な、しかし秩序の拘束のなかにいる『精神(ココロモチ)平常』なときにはたえてみられないほど濃い実在感に満ちた姿態である。あるいはまた、どうしても認めざるを得ない非現実の世界からのさまざまな信号である。」(『近代以前』、文藝春秋、1985年、238頁)</p>
  762.  
  763. <p>上田秋成自身はありありと「狐」の実在を感じた。学者や市井の常識人がどれほど否定しても、彼がそれを感じているという事実は揺るがない。</p>
  764.  
  765. <p>「誰の眼にも見えぬこの動物ほど濃い実在感をあたえるものを、秋成は外界の現実のなかにひとつもみとめることができなかった。」(同書、240頁)。</p>
  766.  
  767. <p>そして、アカデミイが一笑に付すこの実感に殉じる決意をしたときに『雨月物語』の作家が誕生した。それは秋成が見出した物語の「水脈」であった。この集団的な文化の古層から『雨月物語』の諸篇が湧き出してきたのである。<br />
  768. 秋成の擁護した「狐」とは「私がそれを通じて現に共生している死者たちの世界-日本語がつくりあげて来た文化の堆積につながる回路」(24頁)のことだと江藤は言う。だから、もし、日本人の作家が文学的創造において余人を以ては代替しえないような達成を果たしたいと願うなら(つまり、「世界文学」をめざすなら)わがうちなる「狐」をみつめ、「狐」をめぐる物語を紡ぐしかない。江藤はそう考えた。江藤淳がこの文章を書いている時点(1960年代はじめ)において、50年後に秋成の系譜を引き継ぐ作家が登場し、世界的な名声を博することになるとはその慧眼をもってしても予見することはできなかっただろう。</p>
  769.  
  770. <p>指定の紙数が尽きたが、まだ新刊そのものの内容について触れていない。申し訳ないが、あとは駆け足で、一読して思いついたことを列挙しておく。<br />
  771. 本作の「本歌」があるとすれば、それは秋成の『吉備津の釜』であろう。『吉備津の釜』は女の嫉妬が実体化して、男を喰い殺す物語である。裏切られた妻磯良の死霊は夫正太郎の背信を憎んで不貞の相手である袖をまず衰弱死させ、ついで夫を襲う。本作では時間の構成が逆になっていて、主人公「多崎つくる」が二十歳のころに死にもっとも近づいた経験から物語は始まる。「つくる」は死の息が顔にかかるところまで行って、生きて戻って来る。彼はその傷から長い時間をかけて回復した。けれども、彼には自分をそこまで追い込んだものが「何か」はついにわからなかい。その経験(というより「経験の欠如」)から組織的に目を背けているせいで人格が形成されるような経験のことを「トラウマ」と呼ぶ。沙羅という新しいガールフレンドは「つくる」に彼自身のトラウマを直視せよと告げる。その忠告に従って、何が自分を死の淵まで追い詰めたのかを探す旅に「つくる」は出かける。その旅はついには遠くフィンランドの郊外にまで彼を連れ出すことになるが、最後に彼が見出したのは、「非現実の現存がもたらす圧力」だった。効果だけがあって実在がないもの、秋成のいう「狐」が「つくる」を殺しかけたものの正体(というより「正体の不在」)だったのである。<br />
  772. そのもとになったのが嫉妬であるにせよ、裏返しになった愛情であるにせよ、限度を超えた所有欲であるにせよ、それは誰であれ、「つくる」に対して向ける必要も、その理由もない、筋目の通らない感情であった。しかし、どれほど「筋違い」であっても、いったん生まれた害意は害意として機能する。能『葵上』では、六条の御息所の妬心は彼女自身がそのような筋目の悪い感情を引き受けることを拒否したために強力な生き霊となった。「つくる」を死の淵まで追い詰めたものも、あるいはその生き霊に類するものだったのかも知れない。人間が一度でも抱いてしまった感情は、本人がそれを引き受けることを拒んだときに、「濃い実在感をもった非実在」に化すのである。<br />
  773. 夢もそうだ。「つくる」は二つの決定的な夢を見る。ひとつは「つくる」が死と隣接した日々から抜け出すきっかけになった「激しい嫉妬に苛まれる夢」である。「つくる」はそれまで嫉妬という感情と無縁に生きてきたし、そもそも嫉妬を感じる相手がいなかった。にもかかわらず、強烈な嫉妬に苛まれる夢を見て、それは物理的に彼をつよく揺り動かした。そして、「夢というかたちをとって彼の内部を通過していった、あの焼けつくような生の感情」(48頁)によって「死への憧憬」はかき消された。夢が死を追い払ったのである。夢はこのときたしかに現実変成の力を帯びたのである。<br />
  774. もうひとつの夢は高校時代の友人たちと繰り返し性的にまじわる「性夢」である。彼がその夢を定期的に見るようになったのは、彼女たちと会う機会が失われ、彼女たちのことを忘れようと決意した後である。だが、夢は時間を遡行して、ガールフレンドのひとりを妊娠させ、彼にその社会的責任を引き受けさせることになり、ついに彼女の死の遠因となる。時間の順逆が狂っている。でも、それがおそらくは夢が現実変成力をもつときの条件の一つなのだ。<br />
  775. 誰も引き受け手のいない夢、つまり夢を見ているものが「そんな夢を見ていること」を拒否し、夢に見られているものが「そんな夢に登場していることを」拒否するような夢、誰も引き受け手のいない夢は現実を変成する力を持つ。夢を見るものも、夢に見られるものも、いずれもがその夢の「引き取り」を拒むとき、行き場を失った夢は境界を超えて現実に浸入してくる。<br />
  776. 秋成の物語世界でも、同じ現象が繰り返し記録されている。『菊花の約』の陰風に乗って千里を旅する宗右衛門の霊魂も、『浅茅が宿』の夫勝四郎の帰りを七年待つうちに窮死した妻宮木の「怪しき鬼の化し」たる姿も、『吉備津の釜』の夫に裏切られた磯良の恨みも、いずれもその「思い」は思っている主体が物理的に消滅したときにはじめて物質化する。欲望は欲望する主体が不在となったときに異形のものとして現実化する。</p>
  777.  
  778. <p>『色彩を持たない多崎つくると、その巡礼の年』の主人公の際だった特徴は「欲望の自制」である。彼は他人に多くを求めないように、自分にも多くを求めない。謙抑的に生きることを「つくる」はモラルとして自らに課した。それは外形的にはディセントで「よい感じ」の人物を作り出すことに成功した。けれども、彼が「私がその欲望の持ち主です」という名乗りを回避するたびに、彼に忌避された欲望は「本籍地」を失って浮遊し始める。「つくる」はそれと意識しないまま、自分の欲望の「親権」を拒否することで、実際には無数の「悪霊」を世に解き放ってきたのである。たぶん。<br />
  779. 「つくる」を癒やすべく登場した沙羅が彼に求めるのはだからたったひとつだけである。それは「ほんとうに欲しいもの」(232頁)を見つけて、それに向かってためらわず手を伸ばせ、ということである。おのれの欲望は、仮にそれが法外なものであったとしても、認めた方がいい。欲望をおのれの統御可能の範囲に収めておこうとするむなしい努力は止めた方がいい。過剰な抑制(というものが存在するのだ)は、ときに何か統御しえないほどに危険なものを解き放つことがあるからだ。<br />
  780. 物語の最後で、「つくる」は自分の欲望にようやくまっすぐに向き合う。彼は求めるものを言葉にして、求めるものを抱き寄せて、自分の欲望の「引き受け手」になることを決意しようとしている。その望みが達せられるかどうか、私たちには知らされない。でも、とりあえずこの欲望は引き受け手を見出した。それは彼自身を傷つけることはあっても、他の誰かを傷つけることはもうないはずである。</p>
  781.  
  782. <p>予定の紙数を大きく過ぎたので、もう筆を擱くことにする。この小説は「濃い実在感をもつ非実在」がどのように嫉妬と欲望と暴力を賦活して、現実を変成することになるのかを描いた点で『雨月物語』の系譜に連なるものであり、そこに横溢する濃密に「日本的なもの」が村上文学世界性をかたちづくることになったというのが私の本作についての個人的解釈である。この解釈にどれほどの一般性があるかどうかわからないけれど、上田秋成-江藤淳-村上春樹というラインに沿って村上文学を論じたことがある人を知らないのでここに備忘のために記すのである。<br />
  783. </p>]]>
  784.      
  785.   </content>
  786. </entry>
  787. <entry>
  788.   <title>ル・モンドの記事から(森友学園問題)</title>
  789.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/02/28_1308.php" />
  790.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1771</id>
  791.  
  792.   <published>2017-02-28T04:08:07Z</published>
  793.   <updated>2017-02-28T04:15:13Z</updated>
  794.  
  795.   <summary>2月27日のLe Monde が森友学園と安倍総理の関係について報じた。 どのよ...</summary>
  796.   <author>
  797.      <name></name>
  798.      
  799.   </author>
  800.  
  801.  
  802.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  803.      <![CDATA[<p>2月27日のLe Monde が森友学園と安倍総理の関係について報じた。<br />
  804. どのような形容詞が用いられているか、注意して読んで欲しい。</p>
  805.  
  806. <p>ナショナリスト的逸脱(dérive nationaliste)と不都合な便宜供与がいりまじった一つの事件が日本の総理大臣安倍晋三の足元を脅かしている。話題になっているのは4月1日開校予定の大阪の私立「瑞穂の国記念」小学校である。<br />
  807. 2月27日、当局はこの施設の建設工事についての調査を行った。この施設は学校法人森友学園が開学する「日本で最初で唯一の神道小学校」である。神道は日本起源の宗教である。<br />
  808. 森友学園は2016年6月に国土省から一区画の土地を1億3400万円で購入したが、これは現地の地価の七分の1である。国土相はこの土地が9億5600万円と価格査定されていたことを認めている。この値引きが行われたのは、廃棄物の除去と、微量のヒ素や鉛を含む土壌の除染が必要だったからである。しかし、野党によると、取り出されたのは廃棄物のごく一部であった。残りは現場に埋め戻され、森友学園は除去工事のために1億円しか支出していない可能性がある。当局はこの交渉についての記録は保存されていないと述べている。<br />
  809. 総理大臣とその妻昭恵はこのプロジェクトに深いかかわりを有している。安倍夫人はこの小学校の名誉校長であるが、彼女の名前と写真は学校のインターネットサイトからはすでに削除されている。また彼女が生徒たちに向けて書いたメッセージ、彼らが「明日の日本の指導者になる」という文言も削除された。学園は「安倍晋三」の名を学校につけることを求めていたが、本人の依頼によって断念したとされている。<br />
  810. 「もし、私の妻や私がこの取引に関与していたことが明らかにされたら、私は総理大臣も国会議員も辞職する」と安倍晋三は2月18日に言明した。だが、それでも事態は沈静しなかった。<br />
  811. 2015年9月4日、安倍夫人は同じ学校法人が経営する大阪の幼稚園を訪れている。子供たちが毎朝日本を称える歌を歌い、教育勅語(1890年に制定され、1945年まですべての学校で毎年何度も朗読されたテクスト)を朗読することを彼女は大いに喜んだ。この勅語は「帝国の偉大さ」を称え、「必要なときには国家のために身命を捧げること」を命じたものである。<br />
  812. 森友学園のプロジェクトは防衛相稲田朋美と日本会議からの支援を得ている。日本会議は影響力を持つ超国家主義的(ultranationaliste)復古主義的(traditionaliste)な組織で、その会員には総理大臣も森友学園の理事長籠池靖憲も含まれている。<br />
  813. この近接性は極端なナショナリスト出自(issu de la frange nationaliste)の安倍氏が現在の学校教育が過剰にリベラルであり、歴史問題について「自虐的」であることをつねにはげしく批判していることと符合する。彼は第二次世界大戦中の日本の権力濫用についての記述を歴史教科書から減らすように主張し続けてきた。<br />
  814. 森友学園のねらいは「世界一純粋な国」日本の子どもたちの「愛国心と誇りを涵養する」ことにあり、そこには排外主義(xénophobie)的傾向が濃厚である。テレビは運動会の開会式での幼稚園児たちの宣誓の場面を収録したビデオ映像を放送したが、その宣誓の言葉には、「日本を迫害する」中国と韓国に対する言及があった。子どもたちはまた総理大臣と彼の安全保障政策に対しても「安倍総理、がんばれ」との声援を送っていた。<br />
  815. </p>]]>
  816.      
  817.   </content>
  818. </entry>
  819. <entry>
  820.   <title>大統領が就任したときの日本人</title>
  821.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/02/04_1231.php" />
  822.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1770</id>
  823.  
  824.   <published>2017-02-04T03:31:13Z</published>
  825.   <updated>2017-02-04T03:35:27Z</updated>
  826.  
  827.   <summary>8年前のオバマ大統領の就任式のあとに書いた文章が『日本辺境論』に含まれている。 ...</summary>
  828.   <author>
  829.      <name></name>
  830.      
  831.   </author>
  832.  
  833.  
  834.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  835.      <![CDATA[<p>8年前のオバマ大統領の就任式のあとに書いた文章が『日本辺境論』に含まれている。<br />
  836. 模試に使われたので、コピーが送られてきた。読んだら、なんだか今になると身につまされる話だったので、その部分を再録しておく。</p>
  837.  
  838. <p>オバマ大統領の就任演説のあと、感想を求められたわが国の総理大臣は「世界一位と二位の経済大国が協力してゆくことが必要だ」というコメントを出しました。これは典型的に「日本人」的な発言だと言ってよいでしょう。「日本は世界の中でどのような国であるか」ということを言おうとしたとき、首相の脳裏にまず浮かんだのが「経済力ランキング表」のイメージであったというのはまことに徴候的です。もし、日本が軍事力でもいい順位にあれば、あるいはODAや国際学力テストの得点でいい順位にあれば、首相はその「ランキング表」をまず頭に浮かべ、それをもって日本の国際社会における役割を言い表そうとしたでしょう。<br />
  839. ある国の国民性格は、そのGDPや軍事予算の額やノーベル賞受賞者の数などとは無関係に本態的に定まっているという発想がここにはありません。私たちにとって、国民性格の問題は「誰それに比べたときに、どの順位にいるか。“トップ”とどれくらい離れているか」というかたちでしか立てられない。<br />
  840. ぼくはこのような<strong>もっぱら他国との劣等比較を通じてしか国民性格を規定することのできない不能</strong>こそが日本人のもっともきわだった国民性格ではないかと思っています。<br />
  841. 日本人の国民性格は実体として存在するのではない。それは宿命的に失敗する仕方として顕在化する。先ほどそのように仮説を立てました。その仮説をもう少し別の言葉で言い換えるとこうなります。<br />
  842. <strong>日本人の国民性格は非日本人との比較を通じてしか自己の性格を特定できないという他者依存のうちに存する</strong>。<br />
  843. 「日本人はイエスとノーをはっきり言わない」とよく言われます。<br />
  844. たぶん、その理由は、日本人は「誰が何と言おうと言いたいこと、言わなければならないこと」を持っていないからだとぼくは思います。「自分が言いたいこと」よりも、「相手が聞きたいこと」「相手が聞きたくないこと」の方が気になる。だから、そちらをまず優先的に配慮する。相手との関係の中で、相手に好かれるか嫌われるか、尊敬されるか軽蔑されるか、そのことが最初に意識される。相手が自分をどう思おうと、「私は言いたいことを言う」ということがない。コンテンツの整合性や論理性よりも、「それを言ったら相手にどう思われるだろうか」という気遣いの方が優先する。<br />
  845. それは巷間にあふれる「アメリカ論」「中国論」「韓国論」などなどすべての国民論に共通しています。<br />
  846. オバマ大統領就任の後、あらゆる新聞の社説は「新大統領は日本に対して、親和的だろうか、それとも威圧的だろうか。日本の要求に耳を貸してくれるだろうか、日本を軽視するだろうか」ということをまず論じました。アメリカの東アジア戦略が「何であるか」よりも、それを物質化する際に「どういう口調で、どういう表情で、どういう物腰で」日本に触れてくるのか優先的に論じられた。<br />
  847. これはまことに徴候的な態度であるとぼくは思います。<strong>これがまことに徴候的な態度であるということにメディアの当事者が誰も気づいていないという点で際だって徴候的であると思います</strong>。<br />
  848. 相手の出方が宥和的であれば、ある程度言いたいことを言える。相手の出方が非妥協的であれば、不本意でも黙るしかない。要は相手の出方次第である。相手はどう出るか。それをどうかわし、どう防ぎ、どう反撃するか。<br />
  849. 相手がまず仕掛けてきたことにどう効果的に反応するかという発想のことを武道の術語では「後手に回る」と言います。日本は外交において、決して「先手を取る」ということがない。進んで「場を主宰する」ということがない。つねに誰かが主宰した場に後から出向いて、相手の出方をまず見て、とりあえずもっともフリクションの少ない対応をする、というのが日本外交の基本姿勢です。<br />
  850. 日米関係でもそうですね。アメリカの外交戦略の「コンテンツ」よりも、それを差し出す「マナー」の方に日本人は関心がある。「何をしたいのか」よりもなそれを日本に対して「どういう態度で要求してくるのか」の方を重視する。<br />
  851. ですから、外交通を任じる人たちは「政策の中身」ではなく「それを差し出す態度」を選択的に論じます。彼らはまず例外なしに口を揃えて「日米同盟が日本外交の基軸である」と言います。でも、彼らが言っているのは、アメリカと日本の国益は一致しているという意味ではありません。アメリカは日本の国益を他国よりも優先的に配慮しているという意味でもありません。当然ながら、アメリカはアメリカの国益のことしか考えていない。<br />
  852. そんなことは実は誰でもわかっている。でも、アメリカが自国の国益を最大化するために日本を相手にあれこれと注文をつけてくるときの「出方」はいろいろと変化があります。<br />
  853. これについては、日本側は長年の蓄積がある。居酒屋でなじみの客がカウンターに座って「おやじ、いつものね」と言うと「はいよ」と「いつもの」を差し出す呼吸と同じです。アメリカが自己利益を追求するときの「出方」はもう経験を積んでいるからよくわかっている。「こういうこと」を言うときは何を言いたいのかという外交的シグナルの「暗号解読表」が整っている。日本に向かって何を要求をしてきても、「それ以上でもそれ以下でもない正味の要求」をぴたりと言い当てることができる。「アメリカとはコミュニケーションが成立している」というその安心感が、アメリカが日本の国益を損なう要求をしてくる場合でさえ、「やはり日米同盟しかない」という確証を「外交通」に与えている。ぼくはそう見ています。<br />
  854. 中国や韓国に対するほとんどヒステリックな「嫌中国」「嫌韓国」言説の理由も同じロジックで説明できます。それは彼らが「そう言うことによって、ほんとうは何を言いたいのか」をうまく言い当てることができないからです。先方が日本の国益にかないそうな提案をしてきても、真意が測れない。「それを言うことによって、あなたは何を言いたいのか」という問いに誰も答えてくれない。でも、日本の国益を損なう提案についてだけは、真意がわかる(と信じている)。だから、中国や韓国と誤解の余地のないコミュニケーションが成立するのは、彼らが日本の国益を損なうような要求をしてくる場合だけです。彼らが国境問題や防衛問題や経済問題で日本に不利な要求をしてくると不思議なことに日本人は「ほっ」とする。「これなら、わかる」と思えるからです。外交交渉で国益が損なわれたことの損失を、コミュニケーションの相手が「何を言いたいのか、わかった」ことのもたらす安心感が上回ることがある。ナショナリストはどこの国でも同様の傾向(病態)を示しますけれど、日本の場合はとくに顕著だとぼくは思っています。<br />
  855. </p>]]>
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