Congratulations!

[Valid Atom 1.0] This is a valid Atom 1.0 feed.

Recommendations

This feed is valid, but interoperability with the widest range of feed readers could be improved by implementing the following recommendations.

Source: http://blog.tatsuru.com/atom.xml

  1. <?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
  2. <feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
  3.   <title>内田樹の研究室</title>
  4.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/" />
  5.   <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://blog.tatsuru.com/atom.xml" />
  6.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1</id>
  7.   <updated>2017-03-25T01:15:59Z</updated>
  8.   <subtitle>みんなまとめて、面倒みよう – Je m&apos;occupe de tout en bloc</subtitle>
  9.   <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type 3.35</generator>
  10.  
  11. <entry>
  12.   <title>Libérationの記事から</title>
  13.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/03/25_1008.php" />
  14.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1779</id>
  15.  
  16.   <published>2017-03-25T01:08:20Z</published>
  17.   <updated>2017-03-25T01:15:59Z</updated>
  18.  
  19.   <summary>フランスの左派系メディア『リベラシオン』は森友学園事件について3月23日に次のよ...</summary>
  20.   <author>
  21.      <name></name>
  22.      
  23.   </author>
  24.  
  25.  
  26.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  27.      <![CDATA[<p>フランスの左派系メディア『リベラシオン』は森友学園事件について3月23日に次のように伝えている。事件の全貌と歴史的背景を簡潔かつ正確にまとめている。</p>
  28.  
  29. <p><strong>「安倍晋三はなぜ新たなスキャンダルに巻き込まれたのか?」</strong></p>
  30.  
  31. <p>物語は延々と終わらずに続いている。無敵と思われた安倍晋三の任期5年目をスキャンダルの雲が覆っている。彼の妻、安倍昭恵を衆目にさらし、彼の防衛相を無力化したこのスキャンダルの影響は財務省にも及んでいる。<br />
  32. この長く、気違いじみた一日は首相が2012年の彼の政権復帰以来最大の政治的危機に遭遇したことを示した。そして、人々の疑問は決定的な問いのレベルに達しようとしている。「安倍晋三と彼の妻は嘘をついているのか、それとも彼らは利用されたのか?」<br />
  33. 証人喚問はこの国家的事件の核心部分である。二月以来長く続くスキャンダルに材料を提供してきたのは籠池泰典という興味深い人物の繰り返される言明である。ナショナリストの私立機関である森友学園という学校法人の理事長であるこの人物は木曜に証人宣誓の下2015年9月15日に、首相の妻である安倍昭恵から寄付を受け取ったと証言した。これは彼が問題の多い条件で獲得された国有地に建設していた小学校への財政的支援のためのものであった。<br />
  34. 「彼女は封筒に入った100万円(8260ユーロ)を手渡し、『どうぞ、これは安倍晋三からです』と言った」と籠池泰典は国会の委員会の席上で言明した。この様子は同日複数のチャンネルでテレビ生中継された。<br />
  35. 彼の聴き取りにあたった議員たちは再三議会で偽証した場合には偽証罪に問われ訴追されると念押しをした。籠池はまばたきもせずに「私ははっきりと記憶しております。私たちにとってたいへん名誉なことですから」と語った。安倍晋三とその周辺は籠池の申し立てを必死になって否定している。というのは、首相は二月中旬国会で追いつめられたときに「もし私の妻あるいは私がこの件(何らかの寄付あるいは土地の取得)に関与していたことが明らかになったら、私は総理大臣も国会議員も辞職する」と言明していたからである。<br />
  36. 安倍夫妻はしかし2月9日から始まったこの事件に無関係ではない。その日、朝日新聞は森友学園が国から大阪府内の8770平方メートルの土地を1億3400万円(111万ユーロ)で取得したという調査結果を伝えたが、これは政府が査定した土地価格の10分の1であった。驚くべきこの値引きはこの土地に産業廃棄物が埋められており、除去が必要だからということによって部分的に説明された。しかしこの説明は財務省からの政治的圧力が森友学園への土地払下げを有利に運んだのではないかという疑惑のすべてを解消するには至らなかった。<br />
  37. この取引が関心を引き付けたのは、首相の妻である安倍昭恵がこの学校の名誉校長になる予定だったからである。2015年9月5日、彼女は森友学園が経営する幼稚園に講演に招かれていた。スキャンダルが広がると彼女はこの職を辞した。安倍晋三はこの小学校が彼の名前を冠することを拒否したが、2007年に打ち続くスキャンダルと選挙の惨敗のあと政権を放り出すことになった事件の再演を恐れたのである。安倍夫妻は以後森友学園と籠池泰典と距離をとっている。<br />
  38. しかし、首相は過去に籠池とイデオロギー的意見を共にすると宣言していた。籠池泰典は安倍の周辺に集まる人脈に連なっている。彼は日本会議のメンバーであるが、これは日本における最強のナショナリスト・ロビーの一つである。全国48都道府県に35000人の会員を擁するこの運動は1997年に創設され、国会議員のうち300人、地方議会の1700人の議員がこれに加盟している。安倍も、麻生太郎財務相も、稲田朋美防衛相も日本会議の会員である。<br />
  39. この稲田防衛相もスキャンダルに翻弄されている。彼女は弁護士として2004年に森友学園のために弁護活動をしていたが、この事実を彼女は最近になって記憶の欠如を認めるまでは否定していた。<br />
  40. きわめて強い影響力を持つ日本会議は「祖国と日本文化防衛」のために戦っており、「子どもたちが日本の歴史と伝統に誇りを持つことができるように、教育改革を行うこと」をめざしている。籠池は神道を経由して軍国主義へ向かう、歴史修正主義と伝統主義からなるこのイデオロギー的潮流に与している。「小学校を創設することは神から託されたミッションである」と彼は二月に毎日新聞に向かって語り、彼の学校が子どもたちに洗脳を行っていることを批判する人々につよい懸念を与えた。<br />
  41. 森友学園が経営する幼稚園では、彼はきびしい規律を課し、教科は戦前の愛国主義に基づいている。園児たちは天皇の臣民としてふるまい、市民としてふるまってはならないと厳命されている。園児たちは19世紀に制定され、1945年の敗戦で失効した「教育勅語」を暗誦させられる。この勅語では「危機の時には国家のために勇敢に命を捧げること」と「天皇制の繁栄を維持すること」が推奨されている。親たちの一部は子どもたちが「安倍首相ばんざい」と叫び、2015年の国論を二分した安全保障関連法案の国会通過を奉祝したことにつよい不安を感じていた。それ以外にもこの幼稚園では反中国、反韓国的な発言もなされていた。<br />
  42. 籠池は辞職した。しかし、物語は続いている。</p>]]>
  43.      
  44.   </content>
  45. </entry>
  46. <entry>
  47.   <title>境界線と死者たちと狐のこと</title>
  48.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/03/01_1404.php" />
  49.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1775</id>
  50.  
  51.   <published>2017-03-01T05:04:57Z</published>
  52.   <updated>2017-03-01T05:09:04Z</updated>
  53.  
  54.   <summary>村上春樹の新作『騎士団長殺し』を読んでいるうちに、村上春樹と上田秋成について書い...</summary>
  55.   <author>
  56.      <name></name>
  57.      
  58.   </author>
  59.  
  60.  
  61.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  62.      <![CDATA[<p>村上春樹の新作『騎士団長殺し』を読んでいるうちに、村上春樹と上田秋成について書いた文章があったことを思い出した。<br />
  63. もうだいぶ前に書いたものだ。たしか『文學界』に寄稿したのだと思う(違うかも知れない)。江藤淳が上田秋成について書いていたものをちょうどその直前に読んでいたので、上田秋成~江藤淳~村上春樹という系譜を考えてみた。<br />
  64. 上田秋成と村上春樹の関連については論じた人がいくらもいると思うけれど、江藤淳をまじえた三者を論じたのはたぶん僕の創見ではないかと思う。<br />
  65. 『騎士団長殺し』はまだ上巻が終わったところで、これからどうなるかわからない。<br />
  66. もしかすると、ここに書いたような話になるのかもしれない。そう思うとどきどきする。</p>
  67.  
  68. <p><strong>「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹)について</strong></p>
  69.  
  70. <p>小説を論じるときに「主題は何か?」というような問いから始まるアプローチはずいぶん時代遅れのものだ。私の定かならぬ記憶では、1960年代の批評理論によって「主題」や「作者の意図」を論じる批評にはすべて死刑宣告が下された。テクストは作者から自立しており、それはポリフォニックな間テクスト性の戯れの場なのである云々。そういう言葉を私たちはずいぶん読まされてきた。<br />
  71. それでも相変わらず「作者はこの作品を通じて何が言いたいのか?」という問いは作品を論じるときの最優先の地位をいまだ譲っていない。これはたぶんに著作権というものの現実的効果なのだろう。作品の生み出す経済的価値を専一的に享受する「オーサー」はテクスト理論がいかに否定しても、法律上厳然と存在している。作品がたくさん売れると経済的利益に与る人間がいるのだとすれば、作品はある種の「商品」だということになる。そうであるなら、作者は当然ながらおのれに利益をもたらす商品についての「製造責任」を負わねばならぬ。スペックを公開し、製造過程を明らかにし、賞味期限や「使用上の注意」も開示しなければならない。<br />
  72. 高踏的な批評理論も最終的にはこのビジネスモデルの前に屈服してしまった。今回の村上春樹の新刊発売についても、書評より先にまず発行部数についてのニュースが大きく報じられた。「爆発的に売れている新商品」という扱いである。そうであるなら、「この商品にはどんな価値や有用性があるのか?」という問いが続くのは自明のことである。<br />
  73. だから、どれだけ死刑宣告をされても、製造者に製造責任を問うタイプの批評はエンドレスで続く。今でも書評家たちはまず「村上春樹はこの新刊を通じて何を言いたいのか?」という問いから始める。作家はこの作品の「材料」をどこから集めてきたのか?それを処理する「方法」はどのような技法的伝統に連なるのか?これまでの他の作品とこの「新製品」はどう差別化されるのか?あるいはマーケティングの用語を借りた「この作品のターゲットはどのような層か?」「この作品のどの点が消費者たちの欲望に点火するのか?」などなど。<br />
  74. 村上春樹が大嫌いで、頭から批判的に彼の小説を読む人たちもまたそれとは逆のしかたで定型的な問いに縛り付けられている。「この作品が構造的に見落としているものは何か?」「作者はそれと知らずにどのような臆断やイデオロギーを内面化しているか?」「どのような歴史的制約ゆえに作者はこのようにしか書けなかったのか?」などなど。<br />
  75. いずれの場合も、作品は作者の「所有物」であり、(意識的であるか無意識的であるかにかかわらず)その「自己表現」であり、それゆえに作者には作品に対する「責任」があるという前提は揺るぎない。<br />
  76. 私は今回、懐かしい60年代の批評理論に立ち戻って、もう一度だけ「作者は作品に対して責任がない」という立場からこの作品を読んでみたいと思う。<br />
  77. 作者は作品に先立って「何か書きたいこと」があって書き始めたわけではない。政治的信条であれ、宗教的信念であれ、審美的価値であれ、個人的なトラウマであれ、そういう「核」になるものが作者の中に先行的にあって、それがある技術的な手続きを経て言語表現として「発現」したわけではない。そう考えることにする。これはあくまでひとつの仮説である。たまにはそういう仮説に立って作品を読んでみるのもいいんじゃないかという程度のカジュアルな仮説である。</p>
  78.  
  79. <p>村上春樹は日課的に小説を書いている。これはエッセイやインタビューで、本人が繰り返し証言していることである。鉱夫が穴を掘るように、作家は毎日小説制作の現場に「出勤」し、そこで一定時間、穴を掘る。金脈を探す鉱夫と同じように。日々穴は掘った分だけ深くなるけれど、鉱脈にはめったに堀り当たらない。何十日も掘り続けたが、何も出なかったということもたぶんあるのだろう。でも、いつか鉱脈に当たると信じて、作家は掘り続ける。<br />
  80. 村上はこの態度についてはレイモンド・チャンドラーの執筆姿勢を範としていると述べたことがある。チャンドラーは毎日決まった時間タイプライターに向かった。彼が自分に課したルールはそこでは「書く」以外のことをしてはいけないということである。本を読んだり手紙を書いたりしてはいけない。書くことが思いつかなかったら黙って座っている。決められた時間が来たら、どれほど「乗って」いても、筆を擱いて、その日の仕事は終わりにする。粛々と聖務日課を果たすよう執筆する。<br />
  81. それについて村上自身はこう書いている。</p>
  82.  
  83. <p>「生まれつき才能に恵まれた小説家は、何をしなくても(あるいは何をしても)自由自在に小説を書くことができる。泉から水がこんこんと湧き出すように、文章が自然に湧き出し、作品ができあがっていく。努力する必要なんてない。そういう人がたまにいる。しかし残念ながら僕はそういうタイプではない。自慢するわけではないが、まわりをどれだけ見わたしても、泉なんて見あたらない。鑿(のみ)を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがっていかないと、創作の水源にたどり着くことができない。小説を書くためには、体力を酷使し、時間と手間をかけなくてはならない。作品を書こうとするたびに、いちいち新たに深い穴をあけていかなくてはならない。しかしそのような生活を長い歳月にわたって続けているうちに、新たな水脈を探り当て、固い岩盤に穴をあけていくことが、技術的にも体力的にもけっこう効率よくできるようになっていく。」(『走ることについて語るときに僕の語ること』、文藝春秋、2007年、64-65頁)</p>
  84.  
  85. <p>「穴を掘る」という動詞を村上は創作のメタファーに頻用する。何かを創り出すための動作の比喩的表現なら、「家を建てる」でも「植物を育てる」でも「ご飯をつくる」でもよいはずだが、村上は「穴を掘る」しか使わない。それだけその動詞が小説を書いているときの作家の身体実感に近いのだろう。<br />
  86. 無住の土地を歩いて、だいたい「当たり」をつける。そして「手慣れた工具」を使って、とりあえず足元の岩を砕いてゆく。毎日がりがり掘る。水脈が近づいてくるとちょっと空気が変わる。何か脈動しているものに接近しているのがわかる。鼓動が速くなる。体温が上がる。あるとき岩盤に亀裂が走り、そこから「何か」が湧出してくる。「それ」を掬い上げる。でも、持ち出せる量には限界がある。自分の手持ちの「器」に入るだけしか持ち帰ることはできない。「器」が一杯になったら、すばやく穴を出て地上に戻る。あまり長い時間「水脈」の近くにとどまり続けることはできない。なぜかはわからないが、そこには何か人間的スケールを超えたものがあり、それに身をさらし続けることはときに命にかかわることもあるからだ。<br />
  87. 村上は別のところではこの岩盤の下にあるものを「地下二階」というメタファーも使って説明している。地下室の下の別の地下室。</p>
  88.  
  89. <p>「それは非常に特殊な扉があってわかりにくいので普通はなかなか入れないし、入らないで終わってしまう人もいる。ただ何か拍子にフッと入ってしまうと、そこには暗がりがあるんです。(・・・)その中入っていって、暗闇の中をめぐって、普通の家の中では見られないものを人は体験するんです。それは自分の過去と結びついていたりする、それは自分の魂の中に入っていくことだから。でも、そこからまた帰ってくるわけですね。あっちに行っちゃったままだと現実に復帰できないです。」(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』、文藝春秋、2010年、98頁)</p>
  90.  
  91. <p>その暗闇のことを村上は「前近代の闇」というふうにも言っている。近代人が「なかったこと」にしている闇の部分。そこにアクセスして、戻って来ることができる特殊な技能者が作家である。村上春樹はそういうふうに考えている。そういう点では、現代の作家も中世における巫子祝部や遊行の芸能者とそれほど違うことをしているわけではない。巫女や遊行の「物狂い」に向かって「あなたはそれによってどのような自己表現をなそうとしているのか?」とか「どのような方法論的自覚をもってその芸をなしているのか?」と問う人はいない。同じように作家についても、方法論や前衛性のことはわきに措いて、その物語においてはどのような「闇」が戦慄的に開示されるのか、そのことだけに関心を集中させてもよいのではあるまいか。彼は「地下二階」で何を見てきたのか、それを問うてもよいのではあるまいか。</p>
  92.  
  93. <p>私はそのような立場から村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ。そして、それが上田秋成の『雨月物語』の直系の系譜につらなる怪異譚であり、読者が覗き込むことになる「闇」は『吉備津の釜』や『浅茅が宿』を読んだときに私たちが覗き込むことになる「闇」とほとんど同質のものだという仮説を得た。それについて述べたいと思う。<br />
  94. 村上春樹が上田秋成の直系の後継者であるという仮説は、おそらくすでに指摘している人がいると思うけれど、これは作家自身の選好を知れば誰にでもなしうる推理である。村上春樹はかつて『雨月物語』についてこんな評言を述べた。</p>
  95.  
  96. <p>「現実と非現実がぴたりときびすを接するように存在している。そしてその境界を超えることに人はそれほどの違和感を持たない。これは日本人の一種のメンタリティーの中に元来あったことじゃないかと思うんですよ。」(同書、94頁)</p>
  97.  
  98. <p>この文学的伝統は「自然主義リアリズム」によって途絶させられてしまった。現実と非現実の「通り抜け」という、近世まで日本人にとって自明の心的現象だったものを「近代的自我の独立に向けてむりやり引っぺがし」たことに村上はかなり腹を立てている。<br />
  99. 作家はこの「非現実と現実の境界」を行き来することのできる特権的な技能者であり、同時にその境界線の「守り手」(センチネル)である。センチネルが要請されるのは、「向こう側」から到来するものは、定義上人間的な度量衡によって意味や価値を考量することのできないものであり、そのことが人を深く損ない、傷つけ、ときには殺すことさえあるからである。<br />
  100. 村上春樹は境界線をめぐる物語を繰り返し書いてきた。あるときは「不意に壁の向こうに抜けて、二度と戻ってこなかった人」たちをめぐる物語として(『ノルウェイの森』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『国境の南、太陽の西』、『スプートニクの恋人』など)。あるときは壁の向こうから私たちの世界に浸入してくる「邪悪なもの」を押し戻す仕事を引き受けた「センチネル」の物語として(『羊をめぐる冒険』、『かえるくん、東京を救う』、『ねじまき鳥クロニクル』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『アフターダーク』など)。いずれの場合でも、物語は「境界線を越えるもの」をめぐって展開する。<br />
  101. 「越境して立ち去ったもの」は村上の物語では誰一人戻ってこない。取り残されたものは、なぜ彼/彼女が消え去ったのか、ついにその理由を知らされない。でも、知りたい。だから、境界線の際まで行ってみる。それでも、越境者が立ち去った理由はついに開示されない。そのことが主人公に深い傷を残す。けれども、その代償に、主人公は成熟の階梯を一つだけ上り、この根源的に無意味な世界にかろうじて残された「ささやかだけれどたいせつなもの」を愛することを学ぶ。これは村上文学のほとんど全部の物語に共通している説話構造である。<br />
  102. かつて村上文学を評して「構造しかない」と切り捨てた批評家がいたが、この評言はなかば正しい。たしかに村上文学はこの説話的構造を繰り返し語っており、それによって「人間が住むことができる世界」を基礎づけようとしているからである。</p>
  103.  
  104. <p>私が村上春樹を上田秋成の系譜に位置づけるのは、秋成もまたありありと「地下二階」を感じ、境界線を行き来するものを描き続けた作家だからである。<br />
  105. 上田秋成は彼が濃密な実在感を感じた「非実在」をかつて「狐」と呼んだことがある。狐憑きの狐である。人をたぶらかす妖獣である。そういうものが秋成の時代の人々の日常にはたしかにリアリティをもっていた。だが、当時の朱子学の世界像の中には妖怪狐狸、魑魅魍魎のための場所はなかった。「狐憑き」を学者たちはただの「癇」の病として切り捨てた。だが、秋成はあえて「狐」を擁護する立場をとった。その消息を江藤淳はかつてこう説明した。</p>
  106.  
  107. <p>「儒者の眼に見えるのは、病気という概念であって、『狐』という非現実の現存がもたらす圧力ではない。しかし、いったんアカデミイの門を出てみれば、『うきよ』に顔をのぞかせるのはつねに概念ではなくて、『狐』に憑かれた人間の奇怪な、しかし秩序の拘束のなかにいる『精神(ココロモチ)平常』なときにはたえてみられないほど濃い実在感に満ちた姿態である。あるいはまた、どうしても認めざるを得ない非現実の世界からのさまざまな信号である。」(『近代以前』、文藝春秋、1985年、238頁)</p>
  108.  
  109. <p>上田秋成自身はありありと「狐」の実在を感じた。学者や市井の常識人がどれほど否定しても、彼がそれを感じているという事実は揺るがない。</p>
  110.  
  111. <p>「誰の眼にも見えぬこの動物ほど濃い実在感をあたえるものを、秋成は外界の現実のなかにひとつもみとめることができなかった。」(同書、240頁)。</p>
  112.  
  113. <p>そして、アカデミイが一笑に付すこの実感に殉じる決意をしたときに『雨月物語』の作家が誕生した。それは秋成が見出した物語の「水脈」であった。この集団的な文化の古層から『雨月物語』の諸篇が湧き出してきたのである。<br />
  114. 秋成の擁護した「狐」とは「私がそれを通じて現に共生している死者たちの世界-日本語がつくりあげて来た文化の堆積につながる回路」(24頁)のことだと江藤は言う。だから、もし、日本人の作家が文学的創造において余人を以ては代替しえないような達成を果たしたいと願うなら(つまり、「世界文学」をめざすなら)わがうちなる「狐」をみつめ、「狐」をめぐる物語を紡ぐしかない。江藤はそう考えた。江藤淳がこの文章を書いている時点(1960年代はじめ)において、50年後に秋成の系譜を引き継ぐ作家が登場し、世界的な名声を博することになるとはその慧眼をもってしても予見することはできなかっただろう。</p>
  115.  
  116. <p>指定の紙数が尽きたが、まだ新刊そのものの内容について触れていない。申し訳ないが、あとは駆け足で、一読して思いついたことを列挙しておく。<br />
  117. 本作の「本歌」があるとすれば、それは秋成の『吉備津の釜』であろう。『吉備津の釜』は女の嫉妬が実体化して、男を喰い殺す物語である。裏切られた妻磯良の死霊は夫正太郎の背信を憎んで不貞の相手である袖をまず衰弱死させ、ついで夫を襲う。本作では時間の構成が逆になっていて、主人公「多崎つくる」が二十歳のころに死にもっとも近づいた経験から物語は始まる。「つくる」は死の息が顔にかかるところまで行って、生きて戻って来る。彼はその傷から長い時間をかけて回復した。けれども、彼には自分をそこまで追い込んだものが「何か」はついにわからなかい。その経験(というより「経験の欠如」)から組織的に目を背けているせいで人格が形成されるような経験のことを「トラウマ」と呼ぶ。沙羅という新しいガールフレンドは「つくる」に彼自身のトラウマを直視せよと告げる。その忠告に従って、何が自分を死の淵まで追い詰めたのかを探す旅に「つくる」は出かける。その旅はついには遠くフィンランドの郊外にまで彼を連れ出すことになるが、最後に彼が見出したのは、「非現実の現存がもたらす圧力」だった。効果だけがあって実在がないもの、秋成のいう「狐」が「つくる」を殺しかけたものの正体(というより「正体の不在」)だったのである。<br />
  118. そのもとになったのが嫉妬であるにせよ、裏返しになった愛情であるにせよ、限度を超えた所有欲であるにせよ、それは誰であれ、「つくる」に対して向ける必要も、その理由もない、筋目の通らない感情であった。しかし、どれほど「筋違い」であっても、いったん生まれた害意は害意として機能する。能『葵上』では、六条の御息所の妬心は彼女自身がそのような筋目の悪い感情を引き受けることを拒否したために強力な生き霊となった。「つくる」を死の淵まで追い詰めたものも、あるいはその生き霊に類するものだったのかも知れない。人間が一度でも抱いてしまった感情は、本人がそれを引き受けることを拒んだときに、「濃い実在感をもった非実在」に化すのである。<br />
  119. 夢もそうだ。「つくる」は二つの決定的な夢を見る。ひとつは「つくる」が死と隣接した日々から抜け出すきっかけになった「激しい嫉妬に苛まれる夢」である。「つくる」はそれまで嫉妬という感情と無縁に生きてきたし、そもそも嫉妬を感じる相手がいなかった。にもかかわらず、強烈な嫉妬に苛まれる夢を見て、それは物理的に彼をつよく揺り動かした。そして、「夢というかたちをとって彼の内部を通過していった、あの焼けつくような生の感情」(48頁)によって「死への憧憬」はかき消された。夢が死を追い払ったのである。夢はこのときたしかに現実変成の力を帯びたのである。<br />
  120. もうひとつの夢は高校時代の友人たちと繰り返し性的にまじわる「性夢」である。彼がその夢を定期的に見るようになったのは、彼女たちと会う機会が失われ、彼女たちのことを忘れようと決意した後である。だが、夢は時間を遡行して、ガールフレンドのひとりを妊娠させ、彼にその社会的責任を引き受けさせることになり、ついに彼女の死の遠因となる。時間の順逆が狂っている。でも、それがおそらくは夢が現実変成力をもつときの条件の一つなのだ。<br />
  121. 誰も引き受け手のいない夢、つまり夢を見ているものが「そんな夢を見ていること」を拒否し、夢に見られているものが「そんな夢に登場していることを」拒否するような夢、誰も引き受け手のいない夢は現実を変成する力を持つ。夢を見るものも、夢に見られるものも、いずれもがその夢の「引き取り」を拒むとき、行き場を失った夢は境界を超えて現実に浸入してくる。<br />
  122. 秋成の物語世界でも、同じ現象が繰り返し記録されている。『菊花の約』の陰風に乗って千里を旅する宗右衛門の霊魂も、『浅茅が宿』の夫勝四郎の帰りを七年待つうちに窮死した妻宮木の「怪しき鬼の化し」たる姿も、『吉備津の釜』の夫に裏切られた磯良の恨みも、いずれもその「思い」は思っている主体が物理的に消滅したときにはじめて物質化する。欲望は欲望する主体が不在となったときに異形のものとして現実化する。</p>
  123.  
  124. <p>『色彩を持たない多崎つくると、その巡礼の年』の主人公の際だった特徴は「欲望の自制」である。彼は他人に多くを求めないように、自分にも多くを求めない。謙抑的に生きることを「つくる」はモラルとして自らに課した。それは外形的にはディセントで「よい感じ」の人物を作り出すことに成功した。けれども、彼が「私がその欲望の持ち主です」という名乗りを回避するたびに、彼に忌避された欲望は「本籍地」を失って浮遊し始める。「つくる」はそれと意識しないまま、自分の欲望の「親権」を拒否することで、実際には無数の「悪霊」を世に解き放ってきたのである。たぶん。<br />
  125. 「つくる」を癒やすべく登場した沙羅が彼に求めるのはだからたったひとつだけである。それは「ほんとうに欲しいもの」(232頁)を見つけて、それに向かってためらわず手を伸ばせ、ということである。おのれの欲望は、仮にそれが法外なものであったとしても、認めた方がいい。欲望をおのれの統御可能の範囲に収めておこうとするむなしい努力は止めた方がいい。過剰な抑制(というものが存在するのだ)は、ときに何か統御しえないほどに危険なものを解き放つことがあるからだ。<br />
  126. 物語の最後で、「つくる」は自分の欲望にようやくまっすぐに向き合う。彼は求めるものを言葉にして、求めるものを抱き寄せて、自分の欲望の「引き受け手」になることを決意しようとしている。その望みが達せられるかどうか、私たちには知らされない。でも、とりあえずこの欲望は引き受け手を見出した。それは彼自身を傷つけることはあっても、他の誰かを傷つけることはもうないはずである。</p>
  127.  
  128. <p>予定の紙数を大きく過ぎたので、もう筆を擱くことにする。この小説は「濃い実在感をもつ非実在」がどのように嫉妬と欲望と暴力を賦活して、現実を変成することになるのかを描いた点で『雨月物語』の系譜に連なるものであり、そこに横溢する濃密に「日本的なもの」が村上文学世界性をかたちづくることになったというのが私の本作についての個人的解釈である。この解釈にどれほどの一般性があるかどうかわからないけれど、上田秋成-江藤淳-村上春樹というラインに沿って村上文学を論じたことがある人を知らないのでここに備忘のために記すのである。<br />
  129. </p>]]>
  130.      
  131.   </content>
  132. </entry>
  133. <entry>
  134.   <title>ル・モンドの記事から(森友学園問題)</title>
  135.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/02/28_1308.php" />
  136.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1771</id>
  137.  
  138.   <published>2017-02-28T04:08:07Z</published>
  139.   <updated>2017-02-28T04:15:13Z</updated>
  140.  
  141.   <summary>2月27日のLe Monde が森友学園と安倍総理の関係について報じた。 どのよ...</summary>
  142.   <author>
  143.      <name></name>
  144.      
  145.   </author>
  146.  
  147.  
  148.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  149.      <![CDATA[<p>2月27日のLe Monde が森友学園と安倍総理の関係について報じた。<br />
  150. どのような形容詞が用いられているか、注意して読んで欲しい。</p>
  151.  
  152. <p>ナショナリスト的逸脱(dérive nationaliste)と不都合な便宜供与がいりまじった一つの事件が日本の総理大臣安倍晋三の足元を脅かしている。話題になっているのは4月1日開校予定の大阪の私立「瑞穂の国記念」小学校である。<br />
  153. 2月27日、当局はこの施設の建設工事についての調査を行った。この施設は学校法人森友学園が開学する「日本で最初で唯一の神道小学校」である。神道は日本起源の宗教である。<br />
  154. 森友学園は2016年6月に国土省から一区画の土地を1億3400万円で購入したが、これは現地の地価の七分の1である。国土相はこの土地が9億5600万円と価格査定されていたことを認めている。この値引きが行われたのは、廃棄物の除去と、微量のヒ素や鉛を含む土壌の除染が必要だったからである。しかし、野党によると、取り出されたのは廃棄物のごく一部であった。残りは現場に埋め戻され、森友学園は除去工事のために1億円しか支出していない可能性がある。当局はこの交渉についての記録は保存されていないと述べている。<br />
  155. 総理大臣とその妻昭恵はこのプロジェクトに深いかかわりを有している。安倍夫人はこの小学校の名誉校長であるが、彼女の名前と写真は学校のインターネットサイトからはすでに削除されている。また彼女が生徒たちに向けて書いたメッセージ、彼らが「明日の日本の指導者になる」という文言も削除された。学園は「安倍晋三」の名を学校につけることを求めていたが、本人の依頼によって断念したとされている。<br />
  156. 「もし、私の妻や私がこの取引に関与していたことが明らかにされたら、私は総理大臣も国会議員も辞職する」と安倍晋三は2月18日に言明した。だが、それでも事態は沈静しなかった。<br />
  157. 2015年9月4日、安倍夫人は同じ学校法人が経営する大阪の幼稚園を訪れている。子供たちが毎朝日本を称える歌を歌い、教育勅語(1890年に制定され、1945年まですべての学校で毎年何度も朗読されたテクスト)を朗読することを彼女は大いに喜んだ。この勅語は「帝国の偉大さ」を称え、「必要なときには国家のために身命を捧げること」を命じたものである。<br />
  158. 森友学園のプロジェクトは防衛相稲田朋美と日本会議からの支援を得ている。日本会議は影響力を持つ超国家主義的(ultranationaliste)復古主義的(traditionaliste)な組織で、その会員には総理大臣も森友学園の理事長籠池靖憲も含まれている。<br />
  159. この近接性は極端なナショナリスト出自(issu de la frange nationaliste)の安倍氏が現在の学校教育が過剰にリベラルであり、歴史問題について「自虐的」であることをつねにはげしく批判していることと符合する。彼は第二次世界大戦中の日本の権力濫用についての記述を歴史教科書から減らすように主張し続けてきた。<br />
  160. 森友学園のねらいは「世界一純粋な国」日本の子どもたちの「愛国心と誇りを涵養する」ことにあり、そこには排外主義(xénophobie)的傾向が濃厚である。テレビは運動会の開会式での幼稚園児たちの宣誓の場面を収録したビデオ映像を放送したが、その宣誓の言葉には、「日本を迫害する」中国と韓国に対する言及があった。子どもたちはまた総理大臣と彼の安全保障政策に対しても「安倍総理、がんばれ」との声援を送っていた。<br />
  161. </p>]]>
  162.      
  163.   </content>
  164. </entry>
  165. <entry>
  166.   <title>大統領が就任したときの日本人</title>
  167.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/02/04_1231.php" />
  168.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1770</id>
  169.  
  170.   <published>2017-02-04T03:31:13Z</published>
  171.   <updated>2017-02-04T03:35:27Z</updated>
  172.  
  173.   <summary>8年前のオバマ大統領の就任式のあとに書いた文章が『日本辺境論』に含まれている。 ...</summary>
  174.   <author>
  175.      <name></name>
  176.      
  177.   </author>
  178.  
  179.  
  180.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  181.      <![CDATA[<p>8年前のオバマ大統領の就任式のあとに書いた文章が『日本辺境論』に含まれている。<br />
  182. 模試に使われたので、コピーが送られてきた。読んだら、なんだか今になると身につまされる話だったので、その部分を再録しておく。</p>
  183.  
  184. <p>オバマ大統領の就任演説のあと、感想を求められたわが国の総理大臣は「世界一位と二位の経済大国が協力してゆくことが必要だ」というコメントを出しました。これは典型的に「日本人」的な発言だと言ってよいでしょう。「日本は世界の中でどのような国であるか」ということを言おうとしたとき、首相の脳裏にまず浮かんだのが「経済力ランキング表」のイメージであったというのはまことに徴候的です。もし、日本が軍事力でもいい順位にあれば、あるいはODAや国際学力テストの得点でいい順位にあれば、首相はその「ランキング表」をまず頭に浮かべ、それをもって日本の国際社会における役割を言い表そうとしたでしょう。<br />
  185. ある国の国民性格は、そのGDPや軍事予算の額やノーベル賞受賞者の数などとは無関係に本態的に定まっているという発想がここにはありません。私たちにとって、国民性格の問題は「誰それに比べたときに、どの順位にいるか。“トップ”とどれくらい離れているか」というかたちでしか立てられない。<br />
  186. ぼくはこのような<strong>もっぱら他国との劣等比較を通じてしか国民性格を規定することのできない不能</strong>こそが日本人のもっともきわだった国民性格ではないかと思っています。<br />
  187. 日本人の国民性格は実体として存在するのではない。それは宿命的に失敗する仕方として顕在化する。先ほどそのように仮説を立てました。その仮説をもう少し別の言葉で言い換えるとこうなります。<br />
  188. <strong>日本人の国民性格は非日本人との比較を通じてしか自己の性格を特定できないという他者依存のうちに存する</strong>。<br />
  189. 「日本人はイエスとノーをはっきり言わない」とよく言われます。<br />
  190. たぶん、その理由は、日本人は「誰が何と言おうと言いたいこと、言わなければならないこと」を持っていないからだとぼくは思います。「自分が言いたいこと」よりも、「相手が聞きたいこと」「相手が聞きたくないこと」の方が気になる。だから、そちらをまず優先的に配慮する。相手との関係の中で、相手に好かれるか嫌われるか、尊敬されるか軽蔑されるか、そのことが最初に意識される。相手が自分をどう思おうと、「私は言いたいことを言う」ということがない。コンテンツの整合性や論理性よりも、「それを言ったら相手にどう思われるだろうか」という気遣いの方が優先する。<br />
  191. それは巷間にあふれる「アメリカ論」「中国論」「韓国論」などなどすべての国民論に共通しています。<br />
  192. オバマ大統領就任の後、あらゆる新聞の社説は「新大統領は日本に対して、親和的だろうか、それとも威圧的だろうか。日本の要求に耳を貸してくれるだろうか、日本を軽視するだろうか」ということをまず論じました。アメリカの東アジア戦略が「何であるか」よりも、それを物質化する際に「どういう口調で、どういう表情で、どういう物腰で」日本に触れてくるのか優先的に論じられた。<br />
  193. これはまことに徴候的な態度であるとぼくは思います。<strong>これがまことに徴候的な態度であるということにメディアの当事者が誰も気づいていないという点で際だって徴候的であると思います</strong>。<br />
  194. 相手の出方が宥和的であれば、ある程度言いたいことを言える。相手の出方が非妥協的であれば、不本意でも黙るしかない。要は相手の出方次第である。相手はどう出るか。それをどうかわし、どう防ぎ、どう反撃するか。<br />
  195. 相手がまず仕掛けてきたことにどう効果的に反応するかという発想のことを武道の術語では「後手に回る」と言います。日本は外交において、決して「先手を取る」ということがない。進んで「場を主宰する」ということがない。つねに誰かが主宰した場に後から出向いて、相手の出方をまず見て、とりあえずもっともフリクションの少ない対応をする、というのが日本外交の基本姿勢です。<br />
  196. 日米関係でもそうですね。アメリカの外交戦略の「コンテンツ」よりも、それを差し出す「マナー」の方に日本人は関心がある。「何をしたいのか」よりもなそれを日本に対して「どういう態度で要求してくるのか」の方を重視する。<br />
  197. ですから、外交通を任じる人たちは「政策の中身」ではなく「それを差し出す態度」を選択的に論じます。彼らはまず例外なしに口を揃えて「日米同盟が日本外交の基軸である」と言います。でも、彼らが言っているのは、アメリカと日本の国益は一致しているという意味ではありません。アメリカは日本の国益を他国よりも優先的に配慮しているという意味でもありません。当然ながら、アメリカはアメリカの国益のことしか考えていない。<br />
  198. そんなことは実は誰でもわかっている。でも、アメリカが自国の国益を最大化するために日本を相手にあれこれと注文をつけてくるときの「出方」はいろいろと変化があります。<br />
  199. これについては、日本側は長年の蓄積がある。居酒屋でなじみの客がカウンターに座って「おやじ、いつものね」と言うと「はいよ」と「いつもの」を差し出す呼吸と同じです。アメリカが自己利益を追求するときの「出方」はもう経験を積んでいるからよくわかっている。「こういうこと」を言うときは何を言いたいのかという外交的シグナルの「暗号解読表」が整っている。日本に向かって何を要求をしてきても、「それ以上でもそれ以下でもない正味の要求」をぴたりと言い当てることができる。「アメリカとはコミュニケーションが成立している」というその安心感が、アメリカが日本の国益を損なう要求をしてくる場合でさえ、「やはり日米同盟しかない」という確証を「外交通」に与えている。ぼくはそう見ています。<br />
  200. 中国や韓国に対するほとんどヒステリックな「嫌中国」「嫌韓国」言説の理由も同じロジックで説明できます。それは彼らが「そう言うことによって、ほんとうは何を言いたいのか」をうまく言い当てることができないからです。先方が日本の国益にかないそうな提案をしてきても、真意が測れない。「それを言うことによって、あなたは何を言いたいのか」という問いに誰も答えてくれない。でも、日本の国益を損なう提案についてだけは、真意がわかる(と信じている)。だから、中国や韓国と誤解の余地のないコミュニケーションが成立するのは、彼らが日本の国益を損なうような要求をしてくる場合だけです。彼らが国境問題や防衛問題や経済問題で日本に不利な要求をしてくると不思議なことに日本人は「ほっ」とする。「これなら、わかる」と思えるからです。外交交渉で国益が損なわれたことの損失を、コミュニケーションの相手が「何を言いたいのか、わかった」ことのもたらす安心感が上回ることがある。ナショナリストはどこの国でも同様の傾向(病態)を示しますけれど、日本の場合はとくに顕著だとぼくは思っています。<br />
  201. </p>]]>
  202.      
  203.   </content>
  204. </entry>
  205. <entry>
  206.   <title>なぜトランプ政権のスタッフは嘘をつくのか?</title>
  207.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/01/24_1954.php" />
  208.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1766</id>
  209.  
  210.   <published>2017-01-24T10:54:03Z</published>
  211.   <updated>2017-01-24T10:57:18Z</updated>
  212.  
  213.   <summary>というタイトルの記事が眼に止まったので、訳したみた。なかなか面白い。 Why T...</summary>
  214.   <author>
  215.      <name></name>
  216.      
  217.   </author>
  218.  
  219.  
  220.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  221.      <![CDATA[<p>というタイトルの記事が眼に止まったので、訳したみた。なかなか面白い。<br />
  222. <strong>Why Trump's staff is lying?</strong><br />
  223. Bloomberg View 23 Jan 2017<br />
  224. by Taylor Cowen</p>
  225.  
  226. <p>発足したばかりのトランプ政権のもっとも際立った特徴の一つは嘘の政治的利用である。先週話題になったのは、ドナルド・トランプの報道担当官ショーン・スパイサーが「トランプは就任演説でアメリカ史上最多の聴衆を集めた」という明らかな虚偽を申し立てたことであった。この事件をてがかりに、リーダーが自分の部下に嘘を言わせるとき、彼は何をしようとしているのかについて考えてみたい。<br />
  227. 誰の目にも明らかなことは、この指導者が大衆をミスリードしようとしており、彼の部下たちにも同じことをさせようとしているということである。多くの市民は事後にファクト・チェックなどしないので、大衆をミスリードすることは別に難しいことではない。<br />
  228. というのは、表面的な説明であって、裏にはもっと深い事情がひそんでいる。<br />
  229. 自分の部下に虚偽を言わせることによって、指導者は自分の部下たちの自立のための足場を-それは彼らと大衆との関係の足場でもあるし、あるいはメディアや他の政権メンバーとの関係の足場でもある-切り崩すことができる。足場を失った人々はリーダーへの依存を強め、命令機構に対して単身では抵抗できなくなる。<br />
  230. 嘘の連鎖を助長するというのは、指導者が自分の部下を信用しておらず、また将来的にも信用するつもりがない場合に用いる古典的な戦術である。<br />
  231. 嘘をつかせるもう一つの理由は経済学者が「忠誠心テスト」と呼ぶものである。<br />
  232. もしあなたがある人があなたに対して真に忠誠心を抱いているかどうかを知りたいと思ったら、彼らに非常識なこと、愚劣なことを命じるといい。彼らがそれに抵抗したら、それは彼らがあなたに心服していないということであるし、いずれ支配者たちの派閥内部に疑惑を生み出す予兆でもある。トランプが家族を重用するのはそのせいである。<br />
  233. この「忠誠心テスト」は、まだ部下の本性がわかっていない体制発足の初期において、新しい雇用者に対してよく行われる。トランプ大統領は別に複雑怪奇な策略を弄しているわけではない。単にこれまでのビジネスとメディアでのキャリアを通じて有用と知った戦術をここでも繰り返しているに過ぎない。<br />
  234. トランプの支持者たちはこれまでの政権もさんざん嘘をついてきたと指摘しているが、これはその通りである。嘘の種類がちょっと違うだけで、その通りである。ただし、「嘘とは言えないが、本当でもない」ことというのはいろいろな形態をとるものである。<br />
  235. これには上層の形態と下層の形態の二つがある。<br />
  236. 上層のは、大使や外交官が用いるものである。<br />
  237. 大使たちはあとあと面倒を引き起こすのが嫌なので、反論される可能性のある、明白な嘘をつくことはしない。しかし、もし大使が言った言葉をそのまま鵜呑みにしたら、それはあまりに無邪気である。大使はふつう複数の聴衆に向かって同時に話す。彼がほんとうは何を言おうとしているのかを知るためには、その話を複数の文脈に即して聴き分ける必要がある。言葉を愚直に文字通りに解釈したりすると、言葉の意味をまったく取り違えることになる。ほとんどの場合、大使たちは一目で知れるような真実は口にしないものだ。<br />
  238. これらの外交官たちの語る言葉は厳密には嘘ではない。しかし、はっきりとした、生の真実とは間接的な関係しか持っていない。<br />
  239. 大使たちや外交官たちがそのような言葉づかいをするのは、彼らが長期にわたって、さまざまな相手とのデリケートな連携関係を維持できるように最大限の可動域を保とうとするからである。<br />
  240. トランプ政権がこのタイプの「嘘」(と言ってよいなら)を活用することも理屈の上ではありえない話ではない。だが、この外交官的な嘘はトランプのスタイルではない。<br />
  241. それに、彼の支持者たちの多くは(そう考える理由がないわけではないが)、彼を重大な真実を喜んで告げる人物だと見なしている。トランプの敵対者たちはそのことを見落としてはならない。外交官的な嘘と大衆をミスディレクトする多様な方法の間の社会学的な差異を見分けないならば、彼らはトランプの訴求力を過小評価し続けることになるだろうし、またその独善性ゆえに彼ら自身が大衆からどれほど不信の目で見られているかをも過小評価することになるだろう。<br />
  242. トランプの専門は「下層の形態」である。もっと破廉恥な嘘、つまり明らかに「Xでない」場合に「Xだ」と言うタイプの嘘である。<br />
  243. だが、これは実は権力の誇示なのである。メインストリームのメディアや政治的対抗勢力を断固として無視するという意思表示なのである。<br />
  244. 彼の嘘は単なる嘘以上のものとして理解されることを求めている。<br />
  245. 一つには、多くのアメリカ人、とりわけトランプ支持者たちは、エスタブリッシュメントの口から出る「リファインされた」嘘よりも、トランプのがさつな嘘の方をより快適に感じるということがある。<br />
  246. もう一つ理由がある。それは周縁にいる部外者にとっては、今さらトランプ連合に参加するためのハードルは高く、政治的対抗者たちにとってトランプ陣営との結びつきなどは考えられもしない。ということは、トランプ政権はあからさまな嘘をつくことを通じて、支持者たちに向かって、他の陣営と通じる橋を焼き落とせという、忠誠心を試すシグナルを送っているのである。<br />
  247. この下層の嘘もまた短期的な戦略である。これらの嘘の多くはその場の使い捨てのものであり、何が真実であるかがますますわかりにくくなっているという環境の下では、そもそも何一つ長期にわたる信頼性など求められていないのである。<br />
  248. だからと言って、ひとたび私たちがトランプのさまざまな非行を責めることに飽き飽きして、それを止めてしまったら、それこそ彼の思うつぼだということをわきまえておいた方がいい。<br />
  249. 要するに、トランプ政権は自ら指名した閣僚たちも、彼の支持者たちもどちらも信用していないのである。そして、この信頼の欠如がトランプ自身に向けられるような相互不信の状況を作り出しつつある。これは何かを始めるというよりは、何かを終わらせるための戦略である。<br />
  250. だとすると、トランプ政権の最初の100日は破局に向かう日々だということになるだろう。</p>
  251.  
  252. <p></p>
  253.  
  254. <p></p>
  255.  
  256. <p></p>
  257.  
  258. <p></p>
  259.  
  260. <p><br />
  261. </p>]]>
  262.      
  263.   </content>
  264. </entry>
  265. <entry>
  266.   <title>「民の原像」と「死者の国」</title>
  267.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/01/15_1243.php" />
  268.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1765</id>
  269.  
  270.   <published>2017-01-15T03:43:40Z</published>
  271.   <updated>2017-01-16T04:49:37Z</updated>
  272.  
  273.   <summary>高橋源一郎さんと昨日『Sight』のために渋谷陽一さんをまじえて懇談した。 いろ...</summary>
  274.   <author>
  275.      <name></name>
  276.      
  277.   </author>
  278.  
  279.  
  280.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  281.      <![CDATA[<p>高橋源一郎さんと昨日『Sight』のために渋谷陽一さんをまじえて懇談した。<br />
  282. いろいろ話しているうちに、話題は政治と言葉(あるいは広く文学)という主題に収斂していった。<br />
  283. そのときに「政治について語る人」として対比的に論じられたのが「安倍首相」と「天皇陛下」だった。<br />
  284. この二人はある決定的な違いがある。<br />
  285. 政策のことではない。霊的ポジションの違いである。<br />
  286. それについてそのときに話しそこねたことを書いておく。</p>
  287.  
  288. <p>なぜ、日本のリベラルや左翼は決定的な国民的エネルギーを喚起する力を持ち得ないのかというのは、久しく日本の政治思想上の課題だった。<br />
  289. 僕はちょうど昨日渡辺京二の『維新の夢』を読み終えたところだったので、とりわけ問題意識がそういう言葉づかいで意識の前景にあった。<br />
  290. 渡辺は西郷隆盛を論じた「死者の国からの革命家」で国民的規模の「回天」のエネルギーの源泉として「民に頭を垂れること」と「死者をとむらうこと」の二つを挙げている。<br />
  291. すこし長くなるけれど、それについて書かれた部分を再録する。</p>
  292.  
  293. <p>渡辺によれば第二回目の流刑のときまで西郷はスケールは大きいけれど、思想的には卓越したところのない人物だった。</p>
  294.  
  295. <p>「政治的な見識や展望はどうか。そういうことはみな、当時の賢者たちから教えられた。教えられれば、目を丸くして感心し、それを誠心実行に移そうとした。勝海舟、横井小楠、坂本竜馬、アーネスト・サトウ、みな西郷に新生日本の行路を教えた人で、西郷自身から出た維新の政治理念は皆無に等しかった。だから、この維新回天の立役者はハリボテであった。だが、政治能力において思想的構想力において西郷よりまさっていた人物たちは、このハリボテを中心にすえねば回天の仕事ができなかった。これは人格の力である。この場合人格とは、度量の広さをいうのでも、衆心をとる力をいうのでも、徳性をいうのでもない。それは国家の進路、革命の進路を、つねにひとつの理想によって照らし出そうとする情熱であり誠心であった。革命はそういう熱情と誠心によってのみエトスを獲得することができる。エトスなき革命がありえない以上、西郷は衆目の一致するところ最高の指導者であった。」(『維新の夢』、ちくま学芸文庫、2011年、341頁)</p>
  296.  
  297. <p>彼は戊辰のいくさが終わったあと、中央政府にとどまらず、沖永良部島に戻るつもりでいた。「官にいて道心を失う」ことを嫌ったのである。<br />
  298. 島は彼の「回心」であったというのが渡辺京二の仮説である。<br />
  299. 島で西郷は何を経験したのか。<br />
  300. 渡辺は「民」と「死者」とがひとつに絡み合う革命的ヴィジョンを西郷がそこで幻視したからだと推論する。</p>
  301.  
  302. <p>「西郷は同志を殺された人である。第一回流島のさいは月照を殺され、第二回には有馬新七を殺された。この他にも彼は、橋本左内、平野国臣という莫逆の友を喪っている。」(343頁)。</p>
  303.  
  304. <p>この経験は彼に革命家は殺されるものだということを教えた。革命闘争の中では革命家は敵に殺されるだけでなく、味方によっても殺される。「革命を裏切るのは政治である」。<br />
  305. 死者はそれだけでは終わらなかった。<br />
  306. 寺田屋の変で西郷は旧友有馬を殺された。西郷の同志たち、森山新蔵、村田新八、篠原國幹、大山巌、伊集院兼寛も藩主の命で処罰された。渡辺は「これが西郷を真の覚醒に導いた惨劇である」と書く。<br />
  307. 事実、この直後に西郷が知人に書き送った書簡にはこうある。</p>
  308.  
  309. <p>「此の度は徳之島より二度出申さずとあきらめ候処、何の苦もこれなく安心なものに御座候。骨肉同様の人々をさえ、只事の真意も問わずして罪に落とし、また<strong>朋友も悉く殺され、何を頼みに致すべきや。馬鹿らしき忠義立ては取り止め申し候。お見限り下さるべく候</strong>。」</p>
  310.  
  311. <p>西郷は同志朋友を殺され、同志朋友と信じた人々によって罪に落とされた。もう生者たちに忠義立てなどしない。自分が忠義立てをするのは死者たちに対してだけだと西郷は言外に宣言したのである。<br />
  312. 彼が維新回天の中心人物として縦横の活躍をするようになるのは、彼が「お見限り下さるべく候」と書いた「あと」の話なのである。同志朋友を殺した島津藩への忠義を断念し、死者のために生きると決意したときに西郷は政治家としてのブレークスルーを果した。</p>
  313.  
  314. <p>「いまや何を信ずればよいのか。ここで西郷の心は死者の国へととぶ。彼はもう昨日までの薩摩家臣団の一員ではない。忠義の意図は切れた。彼は大久保らの見知らぬ異界の人となったのである。彼の忠誠はただ月照以来の累々たる死者の上にのみ置かれた。」(346頁)</p>
  315.  
  316. <p>みずからを「死者の国の住人」と思い定めた西郷は島で「民」に出遭う。<br />
  317. 西郷はそれまでも気質的には農本主義者であり、護民官的な気質の人であったが、民はあくまで保護し、慰撫し、支配する対象にとどまっていた。それが島で逆転する。</p>
  318.  
  319. <p>「彼が島の老婆から、二度も島に流されるとは何と心掛けの改まらぬことかと叱られ、涙を流してあやまったという話がある。これは従来、彼の正直で恭謙な人柄を示す挿話と受けとられたきたと思う。しかしかほど正直だからといって、事情もわきまえぬ的外れの説教になぜ涙を流さねばならぬのか。老婆の情が嬉しかったというだけでは腑に落ちない。西郷はこの時必ずや、朋友をして死なしめて生き残っている自分のことを思ったに違いない。涙はそれだから流れたのである。しかしここで決定的に重要なのは、彼が老婆におのれを責める十全の資格を認めたことである。<strong>それは彼が老婆を民の原像といったふうに感じたということで、この民に頭を垂れることは、彼にとってそのまま死者を弔う姿勢であった。</strong>」(347頁)</p>
  320.  
  321. <p>「<strong>革命はまさにそのような基底のうえに立ってのみ義であると彼には感じられた。</strong>維新後の悲劇の後半生は、このような彼の覚醒のうちにはらまれたのである。」(348頁)</p>
  322.  
  323. <p>長い論考の一部だけ引いたので、論旨についてゆきずらいと思うけれど、僕はこの「民の原像」と「死者の国」という二つの言葉からつよいインパクトを受けた。<br />
  324. 渡辺京二の仮説はたいへん魅力的である。歴史学者からは「思弁的」とされるかも知れないが、僕は「これで正しい」と直感的に思う。</p>
  325.  
  326. <p>という読後の興奮状態の中で源ちゃんと会ったら、話がいきなり「大衆の欲望」と「死者の鎮魂」から始まったので、その符合に驚いたのである。<br />
  327. 『維新の夢』本で、渡辺京二は日本のリベラル・左翼・知識人たちがなぜ「国家の進路、革命の進路を、つねにひとつの理想によって照らし出そうとする情熱と誠心」を持ち得ないのかについてきびしい言葉を繰り返し連ねている。<br />
  328. それは畢竟するに、「民の原像」をつかみえていないこと、「死者の国」に踏み込みえないことに尽くされるだろう。<br />
  329. 「大衆の原像」という言葉は吉本隆明の鍵概念だから、渡辺もそれは念頭にあるはずである。<br />
  330. だが、「死者の国」に軸足を置くことが革命的エトスにとって死活的に重要だという実感を日本の左翼知識人はこれまでたぶん持ったことがない。<br />
  331. 彼らにとって政治革命はあくまで「よりよき世界を創造する。権力によって不当に奪われた資源を奪還して(少しでも暮し向きをよくする)」という未来志向の実践的・功利的な運動にとどまる。<br />
  332. だから、横死した死者たちの魂を鎮めるための儀礼にはあまり手間暇を割かない。<br />
  333. 日本の(だけでなく、世界どこでもそうだけれど)、リベラル・左翼・知識人がなかなか決定的な政治的エネルギーの結集軸たりえないのは「死者からの負託」ということの意味を重くとらないからである。僕はそう感じる。<br />
  334. 日本でもどこでも、極右の政治家の方がリベラル・左翼・知識人よりも政治的熱狂を掻き立てる能力において優越しているのは、彼らが「死者を呼び出す」ことの効果を直感的に知っているからである。<br />
  335. 靖国神社へ参拝する日本の政治家たちは死者に対して(西郷が同志朋友に抱いたような)誠心を抱いてはいない。そうではなくて、死者を呼び出すと人々が熱狂する(賛意であれ、反感であれ)ことを知っているから、そうするのである。<br />
  336. どんな種類のものであれ、政治的エネルギーは資源として利用可能である。隣国国民の怒りや国際社会からの反発というようなネガティブなかたちのものさえ、当の政治家にとっては「活用可能な資源」にしか見えないのである。かつて「金に色はついていない」という名言を吐いたビジネスマンがいたが、その言い分を借りて言えば、「政治的エネルギーに色はついていない」のである。<br />
  337. どんな手を使っても、エネルギーを喚起し、制御しえたものの「勝ち」なのである。</p>
  338.  
  339. <p>世界中でリベラル・左翼・知識人が敗色濃厚なのは、掲げる政策が合理的で政治的に正しければ人々は必ずや彼らを支持し、信頼するはずだ(支持しないのは、無知だからだ、あるいはプロパガンダによって目を曇らされているからだ)という前提が間違っているからである。<br />
  340. 政策的整合性を基準にして人々の政治的エネルギーは運動しているのではない。<br />
  341. 政治的エネルギーの源泉は「死者たちの国」にある。<br />
  342. リベラル・左翼・知識人は「死者はきちんと葬式を出せばそれで片がつく」と思っている。いつまでも死人に仕事をさせるのはたぶん礼儀にはずれると思っているのだ。<br />
  343. 極右の政治家たちはその点ではブラック企業の経営者のように仮借がない。「死者はいつまでも利用可能である」ということを政治技術として知っている。<br />
  344. それだけの違いである。けれども、その違いが決定的になることもある。</p>
  345.  
  346. <p>安倍晋三は今の日本の現役政治家の中で「死者を背負っている」という点では抜きん出た存在である。<br />
  347. 彼はたしかに岸信介という生々しい死者を肩に担いでいる。祖父のし残した仕事を成し遂げるというような「個人的動機」で政治をするなんてけしからんと言う人がいるが、それは話の筋目が逆である。<br />
  348. 今の日本の政治家の中で「死者に負託された仕事をしている」ことに自覚的なのは安倍晋三くらいである。だから、その政策のほとんどに対して国民は不同意であるにもかかわらず、彼の政治的「力」に対しては高い評価を与えているのである。<br />
  349. ただし、安倍にも限界がある。それは彼が同志でも朋友でもなく、「自分の血縁者だけを選択的に死者として背負っている」点にある。<br />
  350. これに対して「すべての死者を背負う」という霊的スタンスを取っているのが天皇陛下である。<br />
  351. 首相はその点について「天皇に勝てない」ということを知っている。<br />
  352. だから、天皇の政治的影響力を無化することにこれほど懸命なのである。<br />
  353. 現代日本の政治の本質的なバトルは「ある種の死者の負託を背負う首相」と「すべての死者の負託を背負う陛下」の間の「霊的レベル」で展開している。<br />
  354. というふうな話を源ちゃんとした。<br />
  355. もちろん、こんなことは新聞も書かないし、テレビでも誰も言わない。<br />
  356. でも、ほんとうにそうなのだ。<br />
  357. </p>]]>
  358.      
  359.   </content>
  360. </entry>
  361. <entry>
  362.   <title>『難しさ』とは何か?</title>
  363.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/01/15_1029.php" />
  364.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1764</id>
  365.  
  366.   <published>2017-01-15T01:29:02Z</published>
  367.   <updated>2017-01-16T04:56:25Z</updated>
  368.  
  369.   <summary>『転換期を生きるきみたちへ』の読者である都内の公立中学の先生から晶文社の安藤さん...</summary>
  370.   <author>
  371.      <name></name>
  372.      
  373.   </author>
  374.  
  375.  
  376.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  377.      <![CDATA[<p>『転換期を生きるきみたちへ』の読者である都内の公立中学の先生から晶文社の安藤さんのところにこんな手紙が来たそうです。<br />
  378. 考えさせられる内容でしたので、ご紹介します。</p>
  379.  
  380. <p>「安藤さまが担当された『転換期を生きるきみたちへ』を購入して、拝読しました。どの文章も大変素晴らしく、大人にとっても勉強になる内容でした。(・・・)そこで早速、本校の図書館にも購入しました。しかしながら、借りる生徒がいません。これでは宝の持ち腐れだと思ったので、生徒会長、生徒会役員、学級委員の三名の男子生徒(全員二年生)に順番に読んでもらいました。彼ら全員の感想は共通しており、『難しすぎる』というものでした。彼らは決して勉強ができない生徒ではありません。成績は上位の生徒たちです。その生徒たちが『難しすぎる』と言っているのです。内田先生はまえがきの中で『理解できなくても、共感できなくても、別に僕はいいです』と書かれていますが、それでは『中高生に伝えておきたいたいせつなこと』がもったいなさすぎると思いました。」</p>
  381.  
  382. <p>この手紙を安藤さんから転送されて、僕もいろいろ考えてしまいました。<br />
  383. つい先日も若手ジャーナリストの集まりで、視聴者の知的レベルをどの程度に設定すればいいのか、ということについて議論がありました。<br />
  384. 若い作り手たちの作品に対して上司がしばしばつけるクレームは「難しすぎる」というものだそうです。それでは視聴者・読者がついてきてくれない。「ひとりよがりになるんじゃないよ」というのが定型的な叱責の言葉だそうです。<br />
  385. 「じゃあ、僕らはいったいどんなものを作ればいいんですか?」という悩みを伺いながら、この「難しすぎるものは商品としてダメ」という考え方が日本のメディアの現場を萎縮させ、同時にコンテンツの質を劣化させているということを感じたので、そのようにお答えしました。<br />
  386. でも、その直後に「難しいから読めなかった」という中学生からの反応をうかがったわけで、また考え込んでしまいました。<br />
  387. どうすればいいんだろう。<br />
  388. ちなみに僕は新聞や雑誌に寄稿したときに「難しいから書き直せ」と言われた場合には「じゃあ、いいです」と言ってそれきり書かないということにしております。15年前にメディアに書き出したからずっとそうです。<br />
  389. それはメディアの人たちが「難しい」というのがいったい何を基準にしているのか、僕にはよくわからなかったからのです。<br />
  390. もしそれが読者の中で「最低のリテラシーのもの」でもすらすら分かるように書くというのだったら、新聞も雑誌もひたすらレベルを下げるしかありません。それも一つの「サービス」だと言えるかも知れませんが、リテラシーがいくら低くても情報収集に支障がないという情報環境を作り上げることで社会の知的活動が一層活発になるという見通しに僕はまったく同意することができません。<br />
  391. 「標準的なリテラシーを基準にしてくれ、と言っているんだよ」と反論する人もいるでしょう。<br />
  392. でも、何か「標準的」であるかに客観的・汎通的な基準なんかありません。その人の頭の中にある「普通の人」とか「世間の人」とか「大衆」とかいうイメージは主観的なもの、その人の願望に過ぎない。<br />
  393. 僕は難しい言葉を使います。わからない言葉があったら辞書を引けばいい。ネットで検索すれば一瞬で調べがつく時代なんだから、そんなことで手間を惜しまない読者を想定して僕は書いています。<br />
  394. でも、そうい「手間暇」を読者に求める以上、それなりの身銭を切らないといけない。<br />
  395. 辞書を引かせるためには、「辞書を引いても理解したい」という気分になってもらわないといけない。<br />
  396. 目の前にドアがある。ドアノブを回せばドアの向こうの景色が見える。ドアノブを回してほしければ「ドアの向こうが見たい」という気になってもらうしかない。理屈は簡単です。<br />
  397. 辞書を引くのも、少し前から読み返して論脈をたどり直すのも、「ドアノブを回す手間」だと僕は思います。<br />
  398. 「難しい話」を読んでもらうというのは読者に「手間暇をかけてもらう」ということです。そうしてもらうためには、こちらもそれなりの手間暇をかけないといけない。<br />
  399. だから、僕は何より論理的に書くことを心がけます。手に入る限りは論拠をあげる。できるだけ喩え話を駆使して話をカラフルに表象する。何よりも、音読に耐えるようにリズミカルに書く。これはすごく大事なことで、リズムがよいと「勢いで読んじゃう」ということが起きます。<br />
  400. それを総称して「情理を尽くして書く」というふに僕は呼んでいます。<br />
  401. それは「やさしく書く」ということとは違います。<br />
  402. むずかしい話を「それでもわかってもらえるように書く」ということです。<br />
  403. この二つは全然違うことです。<br />
  404. 「わかってもらえるように書く」手間暇をかけることができるのは、読者の知性を対する信頼があるからです。それが読者に伝われば、僕は読者はかなり難しい話でもついてきてくれると信じています。</p>
  405.  
  406. <p>僕は『転換期を生きるきみたちへ』の「まえがき」に「理解されなくても、共感されなくても、別に構わない」と書いているとこの先生は書かれていますけれど、これだけ読むと、「言ってることが違うじゃないか」と言われそうですけれど、これは引用がちょっと言葉足らずです。<br />
  407. 僕は実際にはこう書いたのです。ちょっと長いけれど引用します。「理解されなくても・・」というのは引用の一番最後に出て来ます。<br />
  408. まず最初に寄稿者への「お願い」を掲げておきます。僕が寄稿者のみなさんにお願いしたときの手紙です。</p>
  409.  
  410. <p>「今回のアンソロジーは晶文社の安藤聡さんからご提案頂いたものですが、読者を中高生に特定して、これからこの転換期を生きてゆかなければならない少年少女たちに、彼らが生き延びるために少しでも役に立ちそうな知見を贈ることを編集目的にしています。その趣旨をうかがって私もそれに深く同意しました。<br />
  411. 何より、中高生対象というふうに読者の年齢と知的経験値を限定して書くというアイディアが気に入りました。そういう条件だと、どうしても話が根源的にならざるを得ないからです。「大人」同士であれば通じている(つもりでいる)符牒が若い人たち相手には通じないということがあります。「国家とは何か」、「貨幣とは何か」、「市場とは何か」、「家族とは何か」・・・「大人」たちはそういう根源的な問いを回避したまま、それについて語っていますけれども、それらの術語について、あらためて子どもにでもわかるように解説してくださいと言われると、「大人」たちのおおかたは絶句してしまう。<br />
  412. 例えば、今の日本の政治家たちに向って、「国民国家とは何か、その成立要件は何か、それはどのような歴史的条件の下で成立し、どのような条件下で消滅するのか」を問うても即答できる人はほとんどいないと思います。でも、転換期というのは、まさしくそのようなあって当たり前の制度文物が安定的な基礎を失って、あるいは瓦解し、あるいは状況に適応すべく劇的に変貌する局面のことです。<br />
  413. 転換期には、ものごとを根源的に考えることが要請されます。<br />
  414. そして、いつの時代でも、若い人たちにものごとの成り立ちを誠実に説明しようとしたら、根源的な問いを忌避することは許されない。つまり、転換期において、若い人たちに向って、今起きていることを説明し、生き延びる道筋を示唆するという仕事は、私たちに二重に根源的であることを要請するということです。これはそう考えると、ずいぶんやりがいのある仕事ではないかと私は思います。<br />
  415. 寄稿をお願いしたみなさんは、それぞれのご専門の立場にあって、転換期を若い人が生き延びるための知恵と技術について有用な経験的知見をお持ちだと思います。それをぜひ彼らに贈り物として差し出して頂きたい。それが今回の企画意図です。<br />
  416. どなたもたいへんにご多用であることは私も重々承知しております。しかし、私たちの知っている日本という国が『何か別のもの」』なるリスクが指呼の間に迫っている、今はそういう危機的局面だと私は理解しています。だからこそ、少年少女たちが見晴らしのよい視座から、ひろびろとものを見ることができるように一臂の支援をしたいと願うのです。拝して寄稿のご協力をお願いする次第です。」</p>
  417.  
  418. <p>この手紙を紹介した後に、僕から読者である「中高生」への「まえがき」が始まります。</p>
  419.  
  420. <p>「以上が、僕から寄稿者の方々への手紙の全文です。<br />
  421. 物書き同士でのやりとりなので、中高生の語彙にはなさそうな漢字や熟語が使ってありますけれど、そこはご容赦ください。この手紙を今年(2106年)の1月に出しました。ほとんどの方が「書きます」とすぐにご返事下さいました。<br />
  422. 寄稿者の方々にどういう主題について書いて頂くのか、事前には何も決めませんでした。「あなたにはこれについて書いて欲しい」というようにあらかじめ決めておけば、編集の仕事は効率的に運びますし、同じ主題が重複することもないでしょうが、僕がお願いしたのは、「今中高生に言いたいこと」が何か頭に浮かんだら、それをそのまま書いてくださいということだけでした。<br />
  423. 選んで頂く主題は、政治の話でも構わないし、市場や貨幣の話でも、文学や音楽や映画の話でも構わない。家族や性の問題でも構わない。あるいは、「どうして君たちは姿勢が悪いのか」とか「どうして君たちはまわりの友人の学習意欲を殺ぐことについては異常に熱心なのか」とか(これは僕「書こうかな」と一瞬思った主題です)、どんなことについて書いてもらっても構わない。できるだけ、主題の選択が水平方向にも、垂直方向にも「ばらけている」論集になったらいいな、と思っていました。<br />
  424. 幸い、集まった論考を読んだら、憲法について、国家について、科学について、人口について、中年の危機について、空気について、消費者マインドについて、弱さや不便さに基づいた生き方について、言葉について・・・などなど、実に多様な主題が選択されていました。<br />
  425. 寄稿者の方々から送られてきた原稿を通読して僕が個人的に興味を持ったのは、書き手が「読者の理解度」をどのレベルに設定しているのかが微妙に違っているということでした。「中高生というのは、どの程度までの難度のものなら理解できるのか?」についての判断にはひとりひとりかなりの差があります。そう言われてみれば当たり前のことですけれども、それでも、そのばらつきに僕は軽い衝撃を受けました。そして、ちょっとうれしくなりました。<br />
  426. とにかく分かりやすさを心がけて、語彙や事例も「中高生になじみ深いもの」を選ぼうと努めている書き手もいるし、「中高生ならこれくらいのことは理解できていいはずだから、ふだん通りにやらせてもらうよ」というちょっと突き放したスタイルの書き手もいる。ですから、このアンソロジーは多様性ということについてはかなりよい点を与えられる出来になったと編者としては思っています。こちらには朗々と演説している人がいて、こちらでは小声で語り聴かせている人がいて、こちらでは独り言を言っている人がいて・・・というような「ばらつき」は僕の偏愛するところなのですが、それは長く学校の先生をやってきて、しみじみと身にしみたことです。「まえがき」の場を借りて、「ばらつきの効用」について一言だけ思うところを書き記しておきたいと思います。<br />
  427. この世に「最低の学校」というのがあるとすれば、それは教員全員が同じ教育理念を信じ、同じ教育方法で、同じ教育目標のために授業をしている学校だと思います(独裁者が支配している国の学校はたぶんそういうものになるでしょう)。でも、そういう学校からは「よきもの」は何も生まれません。これは断言できます。とりあえず、僕は、そんな学校に入れられたら、すぐに病気になってしまうでしょう(病気になる前に、窓を破っても、床に穴を掘っても、脱走するとは思いますが)。僕はそういう「閉所的」な空間に耐えることができません。どんな場所であれ、そこで公式に信じられていることに対して「それ、違うような気がするんですけど」という意思表示ができる権利が確保されていること、それが僕にとっては、呼吸して、生きていけるぎりぎり唯一の条件です。<br />
  428. 勘違いしないで欲しいのですが、「僕の言うことが正しい」と認めて欲しいわけではないのです。僕が間違っている可能性だってある(だってあるどころかたいていの場合、僕は間違っています)。それでも、みんなが信じている公式見解に対して、「あの、それ、違うような気がするんですけど」と言う権利だけは保証して欲しい。「僕が正しい」とみんなに認めて欲しいのと違うのです。ただ、正しい意見に対して、「それは違うと思う」と言っても処罰されない保証を求めている、それだけです。<br />
  429. 教師も生徒も、全員が同じ正しさを信じていて(信じることを強いられていて)、異論の余地が許されていない学校は、知的な生産性という点から言うと、最低の場所になるでしょう。そういう学校から、多様な個性や可能性を備えた若者たちが次々と輩出してくるということは決してないと僕は思います。というのは、知的な生産性というのは「正しい/間違っている」という二項対立とは別のレベルの出来事だからです。<br />
  430. ほんとうに新しいもの、ブレークスルーをもたらすものは、いつだって「思いがけないもの」です。そんなものが存在するとは誰も思っていなかったものです。それが、そんなところから何かが生まれなんて誰も思ってもいなかった場所から生まれ出てくる。そういうものなんです。いつだって、そうなんです。ほんとうに新しいものは、思いもかけないところから生まれてくる。<br />
  431. ですから、知的生産性という点からすると(もう三回目ですけれど、実は僕はこの言葉があまり好きじゃないんです・・・)、学校が多産であるためには、「そんなところから何か価値あるものが生まれて来るとは誰も予測していなかった場所」がたくさんあることが必要だということです。薄暗がりとか、用途のわからない隙間とか、A地点からB地点にゆく場合の最短ルートとは別の迂回ルートとか、坐り込んだら気分よくて立てなくなってしまうソファーとか、意味もなく美しい中庭とか・・・そういう「何の役に立つのかよくわからないもの」たちが群生しているのが知的空間としては極上だと僕は思います。これは僕が長く生きてきて得た経験的確信です。<br />
  432. ですから、この本もまた一つの学校のようなものだと思って読んで頂ければ僕としては、とてもうれしいです。この本には「公式に共有された正しいこと」はありません。書き手たちの唯一の共通了解点は「中高生たちに今すぐ伝えたいことがある」という現状認識だけです。それだけは共通しています(それが共有されなければ、そもそも寄稿してくれません)。でも、「伝えたいこと」は全員ばらばらです。僕はそれでいいと思います。というか、「それがいい」と思います。<br />
  433. この学校では、いろんな先生が、いろんな教科を、いろんな口調で教えています。教育方法も、教育目標も、全員が違います。共通するのは、全員がみなさんの知的な成熟を願っているということです。<br />
  434. タイトルにある「転換期」というのは、世の中の枠組みが大きく変化する時代のことです。みなさんの事情に即して言えば、転換期とは「短期間に成熟することを求められている時代」のことです。すぐ大人にならないと生き延びることが難しい時代のことです。そういう状況にみなさんは投じられています(気の毒ですけど)。<br />
  435. もっと安定的な時代でしたら、大人たちの言うことを、わからないなりに黙って聞いて従っていれば、それほど大きなリスクを背負うことはないのですけれど、転換期は違います。転換期というのは、大人たちの大半が今何が起きているのかを実は理解できていない状況のことです。だから、大人たちが「こうしなさい」「こうすれば大丈夫」と言うことについても、とりあえず全部疑ってかかる必要がある。今は「マジョリティについて行けばとりあえず安心」という時代ではないからです。社会成員の過半数がまっすぐに崖に向かって行進しているということだっておおいにありうるのです。<br />
  436. ですから、この本に書かれていることだって(今僕が書いているこの言葉を含めて)、みなさんは基本的には「全部疑ってかかる」必要があります。「大人の言うことだから信じる」という態度も「大人の言うことだから信じない」という態度も、どちらも単純すぎて、知的成熟にとっては何の役にも立ちません。だから、まず疑ってかかる。でも、疑うというのは「排除する」とか「無視する」ということとは違います。「頭から信じる」でもなく、「頭から信じない」でもなく、信憑性をとりあえず「かっこに入れて」、ひとつひとつの言葉を吟味するということです。そうすればおそらくみなさんは「なんとなく、身にしみ入る言葉」と「なんとなく、違和感がする言葉」を識別できるはずです。それくらいの判断力は生物である限りは備わっています。原生動物だって、「自分を食べに来る捕食者」と「自分が食べる餌」の区別くらいはできます。原生動物に出来ることが人間に出来ないはずはない。まずはそこから始めて欲しいと思います。<br />
  437. 本の内容については、とりあえずどうでもいいです。理解できなくても、共感できなくても、別に僕はいいです。それよりも、世の人たちは「中高生に向かって言いたいことがあれば言って下さい」というリクエストにずいぶんいろいろな文体で、いろいろな回答をしてくるものだな、という事実をまずそのまま受け止めて欲しいと思います。そして、この多声的な環境こそが僕たちからみなさんへの「贈り物」なのだということを(いつか、でいいですから)分かってくれたらうれしいです。</p>
  438.  
  439. <p>以上です。どうですか。「わかりにくい」ですか。そんなにはわかりにくくないと僕は思います。でも、かなり難しいことを書いているという自覚はありました。だって、「こういうこと」を言う大人はたぶん今の中高生の周りにはいないからです。「初めて聞く話」ではある。でも、決して「聞いてもわからない話」じゃない。<br />
  440. 僕はこの「まえがき」を書くときに、とにかく読者の知性を信じるという構えを貫きました。もしかするとすこし「高め」に設定したかも知れませんが、再三言うように、僕はそれで構わないと思っています。<br />
  441. 僕たちは母語を習得するときに、自分が知らない語が、自分が知らない文法規則に基ついて、自分が再生できない音韻で語られるのを聞いて育ちます。人間というのは「そういうこと」ができる生き物です。知らない言葉を浴びるように聞いているうちに、知らない言葉の意味がわかってくる。<br />
  442. そういう力動的な過程に読者をどうやって巻き込んで行くのか。それが書き手に問われているんじゃないかと僕は思いました。<br />
  443. この手紙を書いてくれた先生によると、「難しい」と言っていた三人の中学生たちが「それでも最後まで読めた」書き手が何人かいたそうです。それが救いです。</p>]]>
  444.      
  445.   </content>
  446. </entry>
  447. <entry>
  448.   <title>能楽と武道</title>
  449.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/01/12_0917.php" />
  450.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1763</id>
  451.  
  452.   <published>2017-01-12T00:17:46Z</published>
  453.   <updated>2017-01-12T00:21:21Z</updated>
  454.  
  455.   <summary>鎌田東二先生の肝いりで上智大学で行われた国際シンポジウム「世阿弥とスタニスラフス...</summary>
  456.   <author>
  457.      <name></name>
  458.      
  459.   </author>
  460.  
  461.  
  462.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  463.      <![CDATA[<p>鎌田東二先生の肝いりで上智大学で行われた国際シンポジウム「世阿弥とスタニスラフスキー」で、「世阿弥の心身変容技法と武道のかかわりについて」という演題での発表を求められた。<br />
  464. そのときのテープ起こしが届いたので、若干加筆して採録しておく。「いつもの話」なので新味はないけれど、「こういう話」をする人が私の他にいないので、しつこく語るのである。</p>
  465.  
  466. <p>アカデミックな発表が続きましたけれども、僕の発表は全然アカデミックなものではありません。自分自身の経験に基づいて、中世日本人の身体観とコスモロジーに関してお話をしたいと思います。<br />
  467. 私は合気道という武道を今年で41年続けております。大学を退職した後、神戸に1階が道場、2階が自宅という凱風館という建物をつくりまして、そこで自分も稽古し、門人にも教授もしています。能楽は今から20年前に稽古を始めました。なぜ能楽の稽古を始めたのかというところからお話ししたいと思います。<br />
  468. それまで、長く合気道の他、杖道や居合などの武術を稽古してきて、どうしても越えられない技術上の壁に突き当たりました。それは、武道というのは、鎌倉時代から室町時代にかけて成立した日本固有の身体技法体系なわけです。ですから、その時代の日本人がどういう身体を持っていたのか、どういうふうに自分の身体を感じ、操作していたのか、その身体を通じて世界をどう見ていたのか、それがわからないと、武道の本質には理解が届かないのではないかと考えました。<br />
  469. 身体運用というのはひとつの歴史的形成物です。地域が変われば、身体の使い方は変わりますし、同じ土地でも時代が変われば身体の使い方は変わる。ですから、僕が現代日本人の日常的な身体の使い方をしている限り、中世日本人の身体運用をベースにして体系化された武道の身体感覚や身体操作には理解が及ばない。<br />
  470. 武道はさまざまな型があります。その中には現代日本人がふだん絶対にしないような動きがいくつも含まれています。その型がどういう技術を要求しているのか、どの身体部位をどう操作することを要求しているのか、それはどのような能力開発のためのものなのか、それは自分自身が中世の日本人の身体に想像的に入り込んでみないと分からないのではないか、そう思いました。<br />
  471. 中世日本人の身体運用について学びたいと思ったときに、思いついた候補が三つあります。一つが能、一つが禅、もう一つが茶道です。この三つはいずれも鎌倉時代・室町時代に発生し、体系化されました。これを修業すれば、中世日本人が、どんなふうに身体を使っていたのか、あるいはどんな体感を持っていたのかが少しはわかるだろうと考えました。</p>
  472.  
  473. <p>僕は、90年に神戸に赴任してきました。それまで東京に40年暮しておりましたが、一度も能楽堂というところに足を運んだことがありませんでした。引っ越してきたら、阪神間というのは能楽が盛んなところでした。震災前の阪神間はそこここに能楽の舞台があり、頻繁に公演が行われていました。たまたま僕のゼミの学生に2代続けて能楽部の部長がおり、彼女たちが僕にときどき能のチケットをくれました。最初に見たのは能楽部の自演会でしたが、そのうちに玄人の公演も「チケットが余っていますから先生どうぞ」とよく誘われるようになりました。暇だったせいもあって、週末ごとに能楽堂に通うような人間になりました。<br />
  474. ですから、何か中世日本人の身体技法を学ぼうかと思うようになった時にも、せっかくご縁が出来たのだから、能を習おうということに決めました。そして、1997年に観世流の下川宜長先生のところに弟子入りし、以後、20年間稽古をしております。<br />
  475. 僕は、何ごとも始めたことはやめないたちなので、能の稽古もずいぶん一生懸命やりました。能はこれまで三番やっております。最初が『土蜘蛛』、次が『羽衣』、今年の6月は、観世のお家元に後見をしていただいて『敦盛』を舞いました。<br />
  476. 能の舞台に出るというのは素人にとってはたいへん苛酷な試練です。曲が決まると、まる1年間、それだけ稽古をします。シテとして舞台に出るのはせいぜい1時間ほどですが、その1時間の舞台のために1年間稽古をするわけです。一挙手一投足を注意され、謡を直され、家でも暇さえあれば謡と舞の稽古をしました。そのストレスフルな1年間を過ごして、当日を迎えるわけですが、舞台に出ると、あっという間に終わる。でも、そのわずか1時間の舞台で、詞章を忘れたり、道順を間違えるたりしたら、1年間の努力が水泡に帰してしまう。まして今回の『敦盛』は、後ろにお家元が座っていらっしゃる。その緊張感は生半可なものではありませんでした。<br />
  477. でも、やっぱり、そういうところに追い詰められないとお稽古はする甲斐がない。ふだん先生の家に通ってお稽古をつけてもらっているのと、一人で舞台に上がり、周りは全員玄人、見所の方たちがじっと見つめている状況では経験の質が違います。本番前は胃が痛むほど緊張するわけですけれども、それでも終わるとやってよかったと思いました。<br />
  478. 能舞台で能を舞うというところに行く過程で、素人がどのような技術的な困難に遭遇するか、そして、実際に能舞台に立ったときに何を経験するか。そういうことからお話ししたいと思います。</p>
  479.  
  480. <p>先ほど、松岡先生がご指摘されましたように、素人はまず「歩く」ということができません。ふだん現代人が歩いているような歩き方では、どうやっても型にならない。何とか能舞台で歩けるようになるまで10年間ぐらいかかりました。歩いても、歩いても、先生から、「それでいい」と言われることはありません。「歩けていない」と言われ続けて、10年目ぐらいに少し薄目が開いてきた。そのきっかけは舞囃子を舞うようになったことでした。<br />
  481. 能では仕舞という地謡だけで舞うものの他に、舞囃子というものがあります。これは地謡の他にお囃子がつきます。その分だけ技術的難度は高いのですが、やってみると、実は舞囃子の方がむしろ舞い易いということがわかりました。それは囃子が入ることで、能舞台の上に厚み、奥行きのある音響空間ができあがるからです。<br />
  482. 先ほど、「我見」と「離見」というお話をされましたけれども、たしかに、我見がある限り能は舞えない。これはその通りなんです。自我とか主体性とかが出しゃばって、「うまく舞ってやろう」、「見所にいいところを見せよう」と思って舞台を踏むと、ぎくしゃくして、ただ道順通り歩くという動作さえできなくなる。<br />
  483. どうすれば「我見を去る」ことができるのか。それは別に哲学的な話ではなく、能の稽古では純粋に技術的な身体運用上の課題であるわけです。<br />
  484. 稽古というのはありがたいもので、ひたすら稽古しているうちにだんだんわかってくる。それは三間四方の能舞台には、強度も厚みも手触りも違う無数のシグナルが行き交っているということです。<br />
  485. 例えば、目付柱というものがある。能舞台のいわば中心です。目付柱が能舞台空間に一つの秩序を与えている。非常に強い吸引力を持っているので、能舞台に立つと、自然に目付柱の方にこちらの身体が吸い寄せられてゆく。<br />
  486. その対極に切戸口があります。陽極に対する陰極です。小さく、暗い穴が目付柱の対角線上に穿たれている。目付柱がファロスであるとすれば、切戸口は子宮口です。この二つの舞台装置が、陰と陽、天と地、男と女、あるいは生と死、そういう二項対立的な仕方で能舞台を構造化している。<br />
  487. 目付柱は陽のエネルギーを発散して、舞台空間を活性化する強い磁力を発揮しています。切戸口もやはり陰のエネルギーの極として働いて、水が低い方に流れるように、人はそこに引き込まれてゆく。その陰陽の拮抗が舞台に一つの緊張をもたらし、秩序を与え、舞台をコスモロジカルに調えているわけです。そこにさらに地謡と囃子方が加わり、ワキがいて、ツレがいて、作り物があり、それらがすべて能舞台空間にそれぞれの仕方で関与してくる。<br />
  488. そういういくつものファクターによって形成されている能舞台空間へ踏み出すと、物理的な手触りのあるシグナルが、そこを行き交っているということが身体実感としてわかります。身体がある方向へ引きつけられたり、ある方向へ押し戻されたり、回転力を与えられたり、ある型をするように誘われたり、そういうことが起きるわけです。<br />
  489. 地謡の地鳴りをするような謡が始まってくると、その波動がシテの身体にたしかに触れてくる。囃子方が囃子で激しく煽ってくると、そのリズムにこちらの身体が反応する。ワキ方が謡い出すと今度はワキ方に吸い寄せられる。そういう無数のシグナルが舞台上にひしめいています。三間四方の舞台であるにもかかわらず、立ち位置によって気圧が変わり、空気の密度が変わり、粘り気が変わり、風向きが変わる。<br />
  490. ですから、舞台上でシテがすることは、その無数シグナルが行き交う空間に立って、自分がいるべきところに、いるべき時に立ち、なすべきことをなすということに尽くされるわけです。自分の意思で動くのではありません。もちろん、決められた道順を歩んで、決められた位置で、決められた動作をするのですけれども、それは中立的な、何もない空間で決められた振り付け通りに動いているのではなく、その時、そこにいて、その動作をする以外に選択肢がありえないという必然的な動きでなければならない。刻一刻と変容していく能舞台の環境の中で、シテに要求されている動線、要求されている所作、要求されている謡の節が何であるかを適切に感知できれば、極端な話、シテは何も考えなくても能が成立する。そういうつくりになっているんじゃないかなということが始めて10年くらいの時にぼんやりわかってきました。<br />
  491. それまでは、どうしても近代演劇からの連想で、能も一種の「自己表現」だと思っていました。まず頭の中で道順を考える。角へ行って、角取りをして、左に回って、足かけて・・・・と頭の中で次の自分の動きの下絵を描きながら、それをトレースしていった。でも、そういうふうに動きを「先取り」するのを止めました。ある場所に行ったら、「決められた動作」ではなく、そこで「したい」動作をする。そこで「したい」動作が何であるかは、文脈によって決まっているはずなんです。この位置で、こちらを向いて、こう足をかけたら、これ以外の動作はないという必然性のある動作があるはずなんです。だから、それをする。謡にしても、これからこうなって・・・というふうにあらかじめ次の謡の詞章を頭の中に思い浮かべて、それを読み上げるような謡い方をしない。こう謡ったら,次はどうしてもこう続かないと謡にならない。そういう音の流れがあるはずなんです。<br />
  492. そのように身体が自動的に動き、謡が自然に出るようにするためには、とにかくひたすら稽古するしかありません。ですから、舞台に出たら、もう何も考えないで済むように、何十回も何百回も稽古しました。舞台に立ったら、自分が何をすればいいのかを自分で考えるのではなく、舞台から送られてくるシグナルに従って動く。身体感度を上げて、できるだけ受動的になる。すると、何かが後ろから肩を押して、こっちへ曲がれ、ここで止まれ、と指示してくれる。空気感自体が変化して、自分の動きを指示してくれる。<br />
  493. そのことは本当に、仕舞や舞囃子のときにはよくわかりませんでした。装束を着け、面をつけて、その重みと不自由さで、身体が主体的に統御できない状態に身を置くことでわかったことがあります。能が要求しているのは、身体運用の技術を高めて舞台上で審美的なパフォーマンスを達成することではない。そうではなくて、能が要求しているのは、周りから送られる幽かな、ごく曖昧なシグナルを感知できるような高い身体感受性を作ることである、と。能舞台「の上で」何か技巧的に見事なことをして見せるのではなく、能舞台「と共に」舞い、謡う。その所作に必然性があれば、たとえシテが指一本わずかに動かすだけのことであっても、それによって能舞台全体がたわんだり、色調を変えたり、異界に変じたりすることがありうる。<br />
  494. 幽玄という言葉はふつうは美学的な意味で理解されていますけれど、「幽玄」というのは、文字通り「幽(かす)か」でかつ「暗い」ということではないかと思います。微細で、輪郭のはっきりしない、アモルファスなシグナルが能舞台の上には渦巻いている。それを、自分の身体感受性のアンテナの感度を最大化することで感知し、それらのシグナルがシテに求めていることを行う。能舞台という宇宙において、「自分が何をしたいか」ではなく、「何をするためにここにいるのか」を問う。他ならぬここで、他ならぬこの時に、他ならぬ私が余人を以ては代え難い唯一無二の行為をする。だとしたら、それはどのような行為でなければならないのか。それを問うわけです。<br />
  495. これがたぶん中世の日本人が能楽を通じて習得しようとしていたことではないかと思います。どう座る、どう立つ、どう歩くといった個々の技術ではなくて、能楽の稽古を通じて僕は中世日本人たちのそのような身体観、世界の片鱗に触れたように思います。</p>
  496.  
  497. <p>稽古を始めて10年目くらいの時に、ワキ方の安田登さんと対談することがありました。そのときに、舞囃子の稽古を始めるようになってから、どうも空間が「粘る」んですよね、という話をしました。ヒラキをするときに、扇や袖にものが引っ掛かる感じがしてきた。何だかゼリーの中を動いているような感じがする。能舞台にびっしりとゼリー状のものが詰まっていて、そのゼリーの中を歩いていくような感じがする。何もない空間で手が動かすときは、どんな方向に、どう曲げても、空気抵抗なんかないにわけですけれど、舞の中だと、かすかではあるんですが、空気に物質性がある。粘り気が感じられる。だから、「それ」がまとわりつかないような手の動かし方を工夫するようになる。一番空気抵抗のない、体幹の筋肉とつながった強い動きをするようになる。腰の回転も使うし、重心の移動も使う。<br />
  498. 「なんかゼリーの中で動いているみたいな、かすかな粘り気を感じるんです」と申し上げたら、安田さんは「うちの流儀では『寒天』と申します」とおっしゃいました。それを聞いて、僕の感覚は間違っていなかったんだと安心しました。その10年目の「ゼリー・寒天問答」のときに、僕の中でいろいろなものがかちっとつながって、この方向で稽古していいんだなということが得心できました。</p>
  499.  
  500. <p>その頃、鈴木大拙の『日本的霊性』という本を読んで、平安仏教から鎌倉仏教に、日本仏教が大きく変容して行く時に何が起きたのかということを知りました。大拙によれば、平安時代までの仏教というのは外来のもので、また都市固有のものであった。鎌倉仏教になって初めて、仏教は日本化し、土着化する。<br />
  501. 鎌倉期というのは、時代の主人公が都市に暮らす貴族から田園に暮らす武士たちに変わった時代です。坂東武者たちというのは、地面に近い暮らしをしている。野山を歩き、田畑を耕し、馬や牛を飼う。その地面に近い生活者の身体感覚に基づいた新しい宗教が鎌倉仏教である、と。大拙はそう言うわけです。その時代に禅宗や浄土真宗や日蓮宗などが一斉に登場してきます。<br />
  502. 鎌倉仏教の基本的な態度は「大地を踏みしめて立つ」ことだと大拙は言います。これは平安時代の殿上人がついに経験したことのないことです。田畑の泥濘を踏みしめる。その足裏から大地の霊が立ち上ってくるのが感じられる。その大地の霊で全身を満たす。そのときに初めて日本的霊性が発動する。大拙は、日本的霊性とは鎌倉武士が泥濘に足を膝まで浸からせて、足裏からこの「大地の霊」を吸い上げた時に生まれたという非常に感動的なフレーズを書き残しています。その実感は能楽の稽古を通じて僕が感じたことに非常に近い。<br />
  503. 能のすり足の稽古をしていると、たしかに足裏と舞台の檜の板目の間に、ある種の親密さが生まれます。足と床板の間で、やり取りがある。実際に、きちんと着物を着付けて、足袋を履いて、能舞台をすり足で一巡すれば分かりますが、すごく気持ちがいい。足裏の感度を上げて、板の木目を味わうように進んで行く。板目から送られるメッセージに耳を傾ける。<br />
  504. すり足という動作も発生的には宗教的なものだと思います。足拍子を踏むという動作は中国にもありますけれども、これは天神地祇に対する「挨拶」です。強く足を踏むことで地祇に挨拶を送る。呼び起こした神に対して祈りを捧げ、お酒を注ぎ、大地の恵みに感謝し、豊穣を祈り、災厄を祓う。あるいは再び足を踏んで、目覚めた神を鎮める。<br />
  505. 足を強く踏むと神気が発動する。だとすると、すり足というのは「地面の下にいる神様を起こさないようにする」という気遣いの現われだということになる。神気をむやみに発動させてはならないから、人間たちはそっと動く。そして、地面から人間が受け止めることができる程度の制御可能なエネルギーをありがたく受け取る。<br />
  506. すり足というのは、大地に対する感謝と畏怖の念を表現したものではないかと僕は思います。足裏で大地と交感するという所作は、巨大な力を持つものが大地の下に潜んでいるという信憑があってはじめて生まれるものです。すり足という能の基本動作が鎌倉仏教における「大地の霊」の発見と同根のものです。</p>
  507.  
  508. <p>能楽と鎌倉仏教と武道はほぼ同時期に、同一のパラダイムの中で発祥したというのが僕の仮説です。これは、たぶん日本では僕しか言っていないことだと思います。何の学術的根拠もない、誇大妄想的な思弁ですけれど、僕自身は、これはかなりいけるんじゃないかと思っています。<br />
  509. 武道の発生はどこまで遡れるか。僕の仮説では、武道の起源は、日本においては「海部(あまべ)」と「飼部(うまかいべ)」という職能集団に求めらると僕は考えています。海部は操船技術という特殊な職能を以て、飼部は野生獣を制御するという職能によって、それぞれ天皇に仕えました。風と水のエネルギーと野生獣のエネルギーという二種類の野生のエネルギーを人間にとって有用な力に変換する高度な技術をもった集団です。<br />
  510. この二つの職能集団はどちらも天皇に直接仕えていたせいで、宮廷政治とは距離を置いていましたが、それぞれに列島をつなぐ広大なネットワークを形成していた。やがて、平安貴族政治が終わる頃になると、この二つの職能民たちが侮れない巨大な政治勢力として表舞台に登場してくる。<br />
  511. もう分かりますね。海部の末裔が平家、飼部の末裔が源氏です。平家というのはもともと海民なんです。平家は伊勢の出ですが、伊勢は海民の中心地の一つです。清盛が福原遷都をしたのは大輪田泊を拠点に日宋貿易を展開し、東シナ海、南シナ海に広がる一大海上王国を建設するというスケールの大きな構想があったからですが、これは典型的な海民の発想です。<br />
  512. その後、源平合戦で、平家は京都を逐われ、瀬戸内海を船で西へ向かいます。別に、行くとこがなく、難民化して船に乗ったわけではありません。船に乗るのが平家の本来の姿なんです。都に入ってからは「平家の公達」とか言われてすっかり都会化されてしまいましたが、もともとは荒々しい海民の一族ですから、水と風のエネルギーを操作する操船技術こそが彼らの本領なのです。<br />
  513. だから源平合戦のストーリーというのは、「沖には平家の船、陸には源氏の騎馬武者」という非常に分かりやすい図像的な構造になっています。源氏は船を仕立てて追尾するということをしない。つねに船を馬で追います。鵯(ひよどり)越(ごえ)では崖を駆け下り、屋島の戦いでは浅瀬を渡り、騎馬での戦闘能力を限界まで試みる。これには職能民としての維持があるわけですね。それぞれが自分たちの得意分野で戦う。だから、源氏が船を操り、平家が騎馬で戦うということについては微妙に抑制がかかっている。<br />
  514. 「逆櫓(さかろ)」というエピソードがあります。義経が、梶原景時の進言した船を巧妙に操って平家を倒すという作戦を退ける話です。それがきっかけとなって義経は頼朝の不興を買って逐われる身となる重大なエピソードですけれども、よく考えると意味がわからない。戦術的には梶原の提案が正しいわけです。でも、義経はあくまで「騎馬で勝つ」という形式にこだわって、操船の利を拒む。これは義経が「飼部」の職能に忠実であることを局地戦での勝利より重く見たということだと僕は思います。職能民には職能民にしかわからない不可視の境界線があり、それを侵すことは許されない。これは単なるヘゲモニー闘争ではなく、技術と技術の戦いであるわけだから、相手の技術を借りて勝つのでは、意味がない。義経はそう考えたのだと思います。ですから、「那須与一の扇の的」も「弓流し」も「八艘(はっそう)飛び」も、義経の戦いの「見せ場」はどれも海上であるにもかかわらず、あえて騎射技術に固執する職能者のこだわりを描いたものです。<br />
  515. そういう象徴的な戦闘であるというふうに考えると、「野生獣のエネルギーを制御する技術に長けた職能民」が「海民」に勝利して、それから幕末まで武家政治体制を維持し続けたという文明史的な流れが見えてくる。そして、武道はこの「海部」から「飼部」へのヘゲモニーの移動と同時期に体系化されています。</p>
  516.  
  517. <p>野生のエネルギーを、調(ととの)えられた身体と精妙な技術をもって制御する技法ということであれば、操船技術も本来武術に算入してよいはずなんです。でも、源平合戦で源氏が勝ったことによって、日本の武道史では、操船技術は武術のカテゴリーから排除されました。だから武道のことを「弓馬の道」と言う。現代武道では、もう弓も馬も主流ではありませんけれども、それでも「刀槍の道」とは言いません。武道はあくまで「騎射」の技術を祖とするものだからです。<br />
  518. 騎射というのは、野生獣と一体化し、そのエネルギーを人間の身体に取り込み、それによって人間単体では引くことができない強弓を引き、人間単体では果たせないほどの命中精度を達成する。そういう技術です。僕たちが現在稽古している武道はもう野生獣のエネルギーの制御技術からは遠く離れてしまっていますけれど、「野生のエネルギーを調えられた身体を通じて解放し、人間単体では達成できないような巨大な力を発動する」という基本的なアイディアにおいては、今も弓馬の道の伝統に従っています。</p>
  519.  
  520. <p>海民の伝統も源平合戦の敗戦で絶えたわけではありません。間歇的によみがえってくる。戦国時代の末期がそうでした。西国にキリシタン大名が出てきて南蛮貿易を行ったり、呂宋助左衛門、山田長政、高山右近といった人々が東アジアに雄飛した。豊臣秀頼の朝鮮出兵も構想的には海民的なものです。秀吉は明朝を攻め滅ぼして、後陽成帝を招いて新しい王朝を興すつもりでした。秀吉自身は寧波(ニンポー)に拠点を置いて、東シナ海、南シナ海を睥睨するという構想を持っていました。誇大妄想的ではありますけれども、これはあきらかに海民の流れを汲むものだと思います。でも、江戸時代になって、鎖国禁教という政策が採用されると、戦国末期以来の「海上王国」構想は萎んでしまいます。<br />
  521. 幕末になると、その海民的な構想がもう一回蘇生してきます。清盛が開港したのと同じところに幕府の海軍操練所ができます。そこに赴任してくるのが勝海舟で、弟子で入ってくるのが坂本龍馬です。彼らが考えたのは海運貿易をさかんにすることによって日本を海上王国とするという千年前に清盛が考えたアイディアに近いものでした。明治維新以後の植民地主義的、膨張主義的な政策も、歪んだかたちではありますけれど、部分的にはこの流れを引き継いでいます。それが1945年の敗戦まで続きます。そして、とりあえず終わる。<br />
  522. 海民的なアイディアはそのようにして間歇的に、そのつどかたちを変えて甦ってくる。「弓馬の道」によって日本列島を統御している政治勢力が衰弱してくると、オルタナティブとして海民たちが登場して新しい国のかたちを提案してゆく。海部・飼部の時代から現代に至るまで、この二つの力の拮抗と葛藤が日本の政治史に伏流していて、日本の政治過程を賦活しているというのが僕の仮説です。<br />
  523.  <br />
  524. 武道的な考え方が西洋近代とうまく噛み合わないのは、武道では人間の身体は「力の通り道」だと考えるからです。巨大な自然のエネルギーが、調えられた身体を通って発動する。エネルギーは自分から出るわけではありません。源は外部にある。それが自分の中を通過する。水道管と同じです。巨大な水流を通そうとしたら、その水圧に耐えられるだけの、分厚い、抵抗の少ない水道管を用意しなければならない。薄手の管では、水圧に耐えられずに壊れてしまう。また管の表面が滑かでなければ、水流が滞留してしまう。ですから、野生の巨大なエネルギーを身体に通そうと思うなら、それを通しても傷つかないように身体を調えることが必要になります。武道修行の要諦はそこにあります。それは必ずしも自分の運動能力を高めるという表現では尽くせない。筋力を強めるとか、動体視力を高めるとか、反射速度を上げるとか、闘争心を持つとか、そういうことでは尽くせない。本来の武道修行とは、野生の巨大なエネルギーが通過しても傷つかないように心身を調えることにあります。人間の外部にある力を、人間の身体を通して発動し、それを制御する。その技術のことだと思います。<br />
  525. 海部と飼部の戦いでは、結果としては、野生獣のエネルギー、陸のエネルギーを制御する技術を持った職能民が勝利しました。だから、武道として「弓馬の道」が残された。でも、本来は、心身を調えて野生のエネルギーを制御する技術は、すべて「武道」と呼ぶことができるだろうと僕は思っています。</p>
  526.  
  527. <p>鎌倉仏教は「大地の霊」を身体に受け入れ、それを発動するというアイディアによって日本固有の宗教となった。それが武道と発想において同一であることは今の話でご理解頂けると思います。<br />
  528. 発生的に言うと室町時代の能楽が一番後に来るわけですけれども、能楽の場合は神霊を源とするエネルギーを、シテがその調えられた身体を通じて、美的なものとして能舞台上に発現する。ですから、シテにおいて「我」というのはあるだけ邪魔だということになります。シテはエネルギーの通り道です。大きな力を通せるだけの厚みがあり、滑らかさがあること、それがシテには求められます。世阿弥はシテの個性とかわざとらしさということを非常に批判したという話をさきほど松岡先生がされましたけれども、それは当然のことだと思います。そんなものがあればあるほど、シテを通じて舞台上に顕現するものは衰え、汚れるからです。<br />
  529. 昔は、もう少し能役者の構えが自由だったのが、だんだん型が制約的になってきたというご指摘もその通りだろうと僕も思います。能におけるさまざまな約束事は、シテに自由なことをさせないための仕掛けだからです。かつてはシテが自由に動いても、日常動作自体そのものが規矩にかなっていたので、自然に型になった。でも、時代が下ると、能が要求する「調えられた身体」と、日常的に能楽師が自然に動くときの身体運用の間の「ずれ」が生じてきた。ですから、シテに自然な動きを禁じなければならないようになった。</p>
  530.  
  531. <p>最後に、能の呪術性ということを知るために、具体的な例を挙げたいと思います。<br />
  532. 僕が能楽を稽古し始めてから聞いた話で一番驚いたのは、能の本番中にシテが失神したり、絶命したりした場合は、シテを切戸口から外に連れ出した後は、後見がその続きを舞わなければいけないということでした。重い装束をつけて、面もかけていますから、身体的には負荷が大きい。ですから、ぐっと力んだときに脳内出血とか起こすことがあるんだそうです。ふつうの演劇や舞踊でしたら、主演の役者やダンサーが倒れたら、すぐカーテンを降ろして、「すみません、主演者が倒れてしまったので、本日の公演はこれでおしまいです」となるはずなんです。けれども、能ではそうならない。神霊が舞台上に降りてきているわけですから、曲が終わったら、神霊を再び上げなければならない。だから、シテが倒れても、後見が最後まで舞い切って、最後まで舞台を勤める。<br />
  533. 僕が実際に経験したことにこんなことがありました。能を舞い終えると、シテは橋掛かりを歩いて、幕の中に入ります。あの時、シテは自分で足を止めてはいけないんです。後見が先回りして、幕の中でシテの入りを待っている。そのときにシテに向かってお辞儀をします。僕がシテを勤めている時、後見は下川先生です。その先生が舞い終えた僕に「おつかれさん」と言ってお辞儀をしているわけではありません。先生は「僕が背負っているもの」に対してお辞儀をしているのです。そして、両手を差し出して、僕の腰のあたりを押さえて、歩みを止める。後見がそうやって止めるまで、僕の方から足を止めてはいけない。シテは止められるまで歩き続けなければならない。そうすると、どういう感じがするか想像できますね。シテが「背負っているもの」は後見が身体を止めたことによって、そのまま惰性でシテの身体を通り抜けて、外で飛び出す。それがおそらく「上げる」ということの儀礼なんだろうと思います。<br />
  534. 自分で足を止めるなという点について、先生は非常に厳しかった。ふだんの稽古の時も、橋掛かりを通って、幕の中に入るところを稽古している時に、僕がついうっかり自分で止まってしまうと、きつく怒られました。これは楽屋内の決まりごとというよりはむしろ宗教的禁忌なんだなと感じました。神霊をそのまま生身の人間の身体の中にとどめ置いてはならない。「それ」は能が終わったら外に出さなければならない。それが実感としてわかったのだと思います。<br />
  535. それから、能楽では装束を着けて、面をかけてのリハーサルということをあまりやりません。玄人の場合、大抵は申し合わせと本番の二回だけです。あれだけ難しいことをやるのですから、同じメンバーで何回も繰り返し稽古して、間違えないように息を合わせるかと思いきや、基本的に二回しかしない。たぶん「慣れ」ということを嫌うのではないかと思います。あれはやはり「人の世ならざるもの」が降りてきて、シテに憑依して、最後に舞い納めて、天に上げるという呪術性の強い芸能ですから、あまり何度も練習するものではない。<br />
  536. 実際に生涯に演じることの能の曲数は二千が上限だという話も聞いたことがあります。二千を超えると能楽師の命に関わるという話を玄人の先生から聞いたことがあります。<br />
  537. そういう点でも、能楽は今なお太古的な呪術性を残している芸能です。ですから、修行するものは、能楽のその霊的な意味をきちんと理解する必要があると思います。</p>
  538.  
  539. <p>最初にお話しされたアニシモフ先生は、自然のエネルギーと人間の関わりを制御する技術が存在する、その自然のエネルギーと人間の関わりの中に芸術的創造があるというお話をされました。それを伺って、基本的な原理は能と同じだなと思いました。スタニスラフスキー・システムについては、『俳優修業』をぱらぱらと読んだだけで、武道や能楽とは何の関係もないと思っていましたが、今日のお話を聞いて、実は非常に深いところではつながっていると実感しました。<br />
  540. </p>]]>
  541.      
  542.   </content>
  543. </entry>
  544. <entry>
  545.   <title>ル・モンドの記事から</title>
  546.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2017/01/08_1049.php" />
  547.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2017://1.1761</id>
  548.  
  549.   <published>2017-01-08T01:49:18Z</published>
  550.   <updated>2017-01-08T01:51:26Z</updated>
  551.  
  552.   <summary>「ルモンド」1月6日は慰安婦問題について短いニュースを報じた。 海外ではこの問題...</summary>
  553.   <author>
  554.      <name></name>
  555.      
  556.   </author>
  557.  
  558.  
  559.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  560.      <![CDATA[<p>「ルモンド」1月6日は慰安婦問題について短いニュースを報じた。<br />
  561. 海外ではこの問題は通常はこういう語り口で報じられているのである。</p>
  562.  
  563. <p><strong>「慰安婦」で日本政府はソウルの駐韓大使を召還。</strong></p>
  564.  
  565. <p>日本は釜山領事館前への帝国軍の性奴隷(des esclaves sexuelles de l’armée impériale)を記憶する像の設置に抗議する意向である。<br />
  566. 日本は1月6日金曜日に釜山の領事館前に12月に日本帝国軍の性奴隷(いわゆる「慰安婦」)を記憶する像が設置されたことに抗議して大使を一時的に召還すると発表した。<br />
  567. この問題は日韓関係に長年にわたって毒してきた。韓国人たちの多数はこれを1910年から45年にかけての植民地支配時代に日本によって犯された権力濫用と暴力のシンボルと見なしているからである。<br />
  568. 歴史家たちの多くは最大で20万人の女性たち(多くは韓国人、その他に中国人、インドネシア人,その他のアジア諸国民を含む)が帝国軍の売春宿に強制的に徴募された(ont été enrôlées de force dans les bordels de l’armée impériale)とみている。<br />
  569. 「日本と韓国は2015年に締結された協定が慰安婦問題について決定的かつ不可逆的に解決したと認めている。これにもかかわらず像が設置されたことは両国関係にとって遺憾な結果である」と日本政府のスポークスマンである菅義偉は述べた。<br />
  570. 長嶺安政大使の召還に加えて、菅氏は釜山総領事も一時的に召還し、経済についてのハイレベルの会議も延期し、二国間為替についての新協定についての折衝も中止することとした。日本側は像の撤去を求めている。<br />
  571. ソウルは外務省スポークスマンCho June-Hyuckを通じて、日本政府の決定を「きわめて遺憾」なものとした上で、韓国政府は引続き「韓国と日本の相互の信頼関係を追求してゆく」と述べた。<br />
  572. 両国は「決定的かつ不可逆的な」協定に合意し、それに則って、日本は「誠実な遺憾の意」を表紙、10億円の損害賠償を生存者の支援のための基金に供与した。<br />
  573. 像は12月28日に釜山の南港市街に韓国の活動家によって設置されたが、これはソウルの日本大使館前に建てられた像のコピーである。いったんは撤去されたが、釜山の地方自治体が決定を撤回したために、活動家たちは再びこれを設置した。<br />
  574. この決定撤回は12月29日の日本の稲田朋美防衛相の靖国神社参拝を承けてなされた。靖国神社は日本の戦争犯罪者を祀った神社である。このふるまいは韓国、中国からは挑発とみなされた。<br />
  575. ソウルの像は肩に小鳥がとまったブロンズの少女の座像であり、韓国内ではよく知られたものである。日本は2015年の協定調印後にこれが撤去されるべきものだと考えているが、ソウルはその可能性を検討すると言うに止めている。以来一年活動家たちはその撤去を阻止するために24時間体制で監視している。<br />
  576. 韓国内には同じ像が20以上あり、米国やカナダなど他の国にも10ほどの像が設置されている。<br />
  577. </p>]]>
  578.      
  579.   </content>
  580. </entry>
  581. <entry>
  582.   <title>2016年の十大ニュース</title>
  583.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2016/12/31_1510.php" />
  584.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2016://1.1758</id>
  585.  
  586.   <published>2016-12-31T06:10:06Z</published>
  587.   <updated>2016-12-31T06:59:46Z</updated>
  588.  
  589.   <summary>今年の10大ニュース。 大晦日になったので、恒例の今年の10大ニュースを思い出し...</summary>
  590.   <author>
  591.      <name></name>
  592.      
  593.   </author>
  594.  
  595.  
  596.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  597.      <![CDATA[<p><strong>今年の10大ニュース。</strong><br />
  598. 大晦日になったので、恒例の今年の10大ニュースを思い出しつつ書き出す。</p>
  599.  
  600. <p>(1) 二歳年上の兄・内田徹が8月11日に癌で死んだ。去年の暮れ12月1日に母が逝き、これで近親者が二年続けていなくなった。父も母も兄も亡くなって、かつての「内田家」の構成メンバーで生き残っているのは私一人になった。下丸子のあの小さな家でのさまざまなささやかな出来事を記憶しているのがもう自分ひとりしかおらず、「こんなことがあったよね」という記憶の確認を求めることができる相手がこの世にもういない。<br />
  601. 私が死んだら、あの家にかかわる記憶は全部消えてしまう。家族が死ぬというのは、そういうことなのだということが骨身にしみた。<br />
  602. 兄は5月に鶴岡の宗傳寺で母の納骨を済ませるときまでは気を張っていたけれど、納骨が終わって肩の荷がおりたのか、病勢が一気に進んだ。7月末パリでの多田先生の講習会に出発する前に関空から電話して容態を尋ねたときは予想外に元気そうな声だったのでとりあえず安心して出かけたが、二週間後、凱風館海の家からの帰路に甥から電話があって、危篤だと知らされた。そのまま東京に向かったが、もう息をするのも苦しそうだった。宿に引き上げた朝方臨終を伝える電話があった。<br />
  603. とても仲の良い兄弟だった。私は最初の頃からずっと「兄と平川君」の二人を想定読者にして書いてきた。ある程度キャリアを積んだ後は「こういう想定読者で書いてください」という条件で書くこともあったけれど、ほとんどの書き物はこの二人の想定読者の批判に耐えられるかどうかを基準にして書かれた。音楽についても文学についても映画についてもビジネスについても政治についても、兄から多くのものを学んだ。兄が「これはいい」というものは素直に信じた。信じてあとで「間違った」と思ったことがない。<br />
  604. 「温泉麻雀」はその創立メンバーを失ってしまった(兄と私と平川克美くんと石川茂樹くんで始めた)。「四人で打ち続けるのは、体力的につらい」というので、数年前に僕の高校時代からの旧友植木正一郎くんが加わり、さらに1年前からは大学時代からの旧友阿部安治くんが加わった。兄が体がきつくてもう打てないという7月の温泉麻雀には兄の代わりとして小田嶋隆さんに新メンバーに加わってもらった。<br />
  605. これからも集まって卓を囲む限り、みんなでずっと兄の話をし続けことになると思う。陽気で豪放な楽しい打ち手だった。いつもみんなが愉しんでいることを愉しんでいた。ほんとうによい人だった。<br />
  606. 兄の魂の天上での平安を祈って、兄が好きだった一曲をかける。Tal Farlow のIsn’t it romantic? <br />
  607. 兄ちゃんのご冥福を祈ります。合掌。</p>
  608.  
  609. <p>(2)一九会初学修行成就。2月25日から28日まで3泊4日で一九会の初学修行に参加し、無事成就を果した。<br />
  610. 初学修行はたいへんつらいものだと経験者たちからは繰り返し教えられていた。東京にいた頃にも機会がなかったわけではなかったが、話を聴くだけで怖気をふるって、とても手を挙げる気になれなかった。神戸に来た後は、世事にとりまぎれて、とても「命がけの行」に行くような心理的・体力的な余裕がなかった。<br />
  611. 去年の多田塾合宿のときに坪井先輩からお声がけ頂いて、「一九会の初学参加者が減っている。内田さんが行けば、あとについてくる人もあるだろう」と励まされて、「では、参ります」とご返事をした。それを聴いた諸先輩がた(窪田先生や山田先生までが)やってきて「よく決意した。つらいだろうが、得るものが多い」と励ましてくれた。もしかしたら調子にのって大失敗を犯したのかも・・・と思ったが、もう後の祭り。年齢的にも今しかないし、自分のこれまでの40年の合気道修業でどの程度肚ができたかを知る上でもよい機会と思い切って一九会へ参じた。<br />
  612. 行の中身については「自分で経験してくれ」と言う他ない。<br />
  613. 私自身は3日目が終わった時に「これは実によく練られたすばらしい教育的プログラムだ」だと思った。3泊4日という短期間でふつうの修業であればうっかりすると5年10年かかるところを一気に踏破させようというのである。無理があって当たり前である。<br />
  614. ふつう、私たちはどんな身体的心理的につらい負荷を課された場合でも、プログラムの全体について「たぶん、こんな構成だろう」という予測を立てる。そして、それに合わせて「エネルギーの配分」ということをしてしまう。これは避けられない。<br />
  615. 「手を抜く」というのではないが無意識のうちに「全力を出し惜しむ」という対応をしてしまう。この先まだ続く厳しい修業を乗り切らなければならないと思えば思うほど、つまり「行を達成しなければならない」と真面目になればなるほど、今この瞬間に全力を出すことに歯止めがかかるのである。<br />
  616. この「3日にわたる行への身体資源の配分を考えて、今ここで全力を出すことを抑制する」という無意識の防衛機制を打ち砕くのが「鞭撻」である。これは今ここで全力で対応しなければ、明日どころか次の座のわが身も保てないというほど厳しいものである。<br />
  617. 「自分が発揮できる体力・精神力の最大値は『これくらい』」ということについて私たちはだいたいの推量をしている。そして、それはほんとうに発揮できる体力精神力よりもかなり低めに設定されている。生物としては当然である。限界を実力より高めに設定していたら、すぐにあちこちが故障し、破壊され、悪くすると死んでしまう。<br />
  618. しかし、そのリミッターを解除しないと、自分にどれくらいの「未使用の資源」があるのかは知ることができない。<br />
  619. リミッターを解除するが、それによって心身にダメージを残さず、自分の潜在能力に気づいたせいで自己評価が劇的に向上するという効果だけを取り出す、というのが一九会の教育プログラムのめざすところではないかと私は思う。<br />
  620. もちろん、初学のあと一万度祓いを一度、集いを一度経験しただけの浅学のものの考えであるから、その分は割り引いて聞いてもらわないといけない。<br />
  621. けれども、初学修行は「我慢会」ではない。心身の苦痛にどれくらい耐えられるかを競うものではない。自分の能力の限界の内側で生きようとする生物としての<strong>自己保存本能</strong>と、生き延びるために自分の限界を超えようとする、これもまた生物としての<strong>自己超克本能</strong>の葛藤を深く経験するためのものである。<br />
  622. <strong>初学修行者が経験するのは「葛藤」である</strong>。「忍耐」ではない。<br />
  623. 「忍耐」は心身を鈍感にすれば切り抜けられる。思考を停止し、感覚を遮断すれば、時間は経つ。でも、それは修業ではない。<strong>忍耐で人は成長することができない。人は葛藤を通じてしか成長しない</strong>。</p>
  624.  
  625. <p>(3)能楽「敦盛」を舞った。5月の下川正謡会。一年間稽古し、後見には観世のお家元にお出で頂いた。あまりに緊張していたので、ほとんど舞台の記憶がない。一年間稽古したあげくに本番の舞台で失敗したら何のために一年間稽古したのかわからない。その緊張感と終わったあとの解放感の落差が激し過ぎた。とにかくこれでしばらくは能は出さなくて済むと思う。能に比べたら舞囃子や仕舞はほんとうに楽である(面をかけていないんだから)。お家元には舞台に上がる前には激励の言葉を頂き、舞台を下りたあとには「まじめな舞台でしたね」というご感想を頂いた。一年間稽古した甲斐があった。</p>
  626.  
  627. <p>(4)以上が三大ニュースで、あとは「ほんわか」した話である。順不同。<br />
  628. まず今年もたくさん本を出した。出し過ぎた。<br />
  629. amazonに出ている順に書き出しておく。編著、一部寄稿、翻訳、復刻、文庫化・新書化も含む。<br />
  630. 『街場の共同体論』(新書版)潮出版社<br />
  631. 『困難な結婚』(アルテス・パブリッシング)<br />
  632. 『転換期を生きるきみたちへ』(編著。鷲田清一、平川克美ほかとの共著)晶文社。<br />
  633. 『日本の身体』(文庫版、編著。身体技法の専門家たちとの対談集。インタビュイーは多田宏先生、安田登さん、平尾剛さん他。ライターは橋本麻里ちゃん)新潮社<br />
  634. 『内田樹の生存戦略』(『GQ』に連載していた人生相談の単行本化)。自由国民社。<br />
  635. 『聖地巡礼リターンズ』(釈先生と巡礼部のみなさんとの長崎キリシタンの旅の記録)東京書籍。<br />
  636. 『街場の文体論』(文春文庫)ミシマ社刊の単行本の文庫化。<br />
  637. 『世界「最終」戦争論』(姜尚中さんとの対談本)集英社新書<br />
  638. 『21世紀の暫定名著』(アンケートのコンピ本)講談社<br />
  639. 『池澤夏樹個人編集日本文学全集 枕草子/方丈記/徒然草』(「徒然草」の現代語訳に挑戦。「枕草子」は酒井順子さん、「方丈記」は高橋源一郎さんが訳者でした)河出書房新社<br />
  640. 『街場の五輪論』(平川克美、小田嶋隆ご両人との五輪鼎談。前に出したものにボーバストラックをつけて文庫化)朝日文庫<br />
  641. 『僕たちの居場所論』(平川克美、名越康文ご両人との鼎談。教訓もオチもない無駄話が延々と続きます。)KADOKAWA<br />
  642. 『属国民主主義論』(白井聡さんと『日本戦後史論』に続いて対談)東洋経済社<br />
  643. 『生存教室』(光岡英稔先生との武術をめぐる対談)集英社新書<br />
  644. 『嘘みたいな本当の話 みどり』(高橋源一郎さんと編著した投稿集の文庫化)文春文庫<br />
  645. 『マルクスの心を聴く旅』(石川康宏さんと一緒にドイツ~イギリスを回ったマルクスツアーの記録)かもがわ出版<br />
  646. 『才色兼備が育つ神戸女学院の教え』(中高部長林真理子先生の本に女学院教育論二篇を寄稿)中公新書ラクレ<br />
  647. 『安倍晋三が〈日本〉を壊す』(山口二郎編の対談集)青灯社<br />
  648. 『戦後80年はあるのか』(一色清・姜尚中編の「本と新聞の大学」講義録)集英社新書<br />
  649. 『やっぱりあきらめられない民主主義』(大田区議奈須りえさんのイベントで講演してから、平川君奈須さんと鼎談)水声社<br />
  650. 『タルムード四講話』(エマニュエル・レヴィナス先生のタルムード講話の翻訳。30年ぶりくらいの新装版)人文書院<br />
  651. 『タルムード新五講話』(同上)<br />
  652. よく仕事したなあ・・・これだけの数のゲラを読んだ。来年はほんとに休ませて欲しい。</p>
  653.  
  654. <p>(5)史上最悪の「若マルツアー」。3月末にドイツ~イギリスと回った8泊9日の「若マルツアー」。<br />
  655. 2日目のトリーア観光中に寒気がしてきて、そのまま風邪。ずっと微熱と寒気と鼻水が旅の終わりまで続き、最後に飛行機に乗ったときには「救急車で病院に運ばれている」夢を見続けていた。これほどつらい旅行ははじめて。それでも本一冊分しゃべった。</p>
  656.  
  657. <p>(6) 新車を買った。8年乗っていたBMWを光嶋君に譲って、ベンツCLA250を購入。どんな車だかよく知らない。『GQ』の鈴木正文編集長に「次買うなら何がいいですかね?」と訊いたら「そりゃ、ベンツでしょ」と即答された。これが生涯最後の車となるやも知れず、冥土の土産話に買うことになった。鈴木さんは「アヴァンギャルド」がよいですとお薦めくださったのだが、ヤナセに行ってじろじろ見てたらCLAという「ベンツにしてはずいぶん野卑な顔付き」のがあったので即決。でも、車載機能が多すぎて、ボタンやスイッチの用途がわからない。今のところ車を走らせる、ライトをつける、エアコンをつける、オーディオを聴くという四機能しか使っていない。たぶん全機能の5%くらいしか使えないままにベンツ人生を終えるような気がする。</p>
  658.  
  659. <p>(7) 多田先生講習会でパリに行った。今年も講習会の合間にパリで在留日本人の集まりに呼ばれて、時局講談を一席。一年ぶりに京大の野洲くんに会った。</p>
  660.  
  661. <p>(8) 新しい部活が誕生。夏山ハイキングに山楽莊に行って、山の道具をいろいろ揃えたので、勢い余って「極楽ハイキング部」を設立することにした。部長は井上英作さん。神吉くんとエグッチ、清恵さん、谷尾さん、のびー、が設立メンバー。第一回のハイキングは六甲山。東おたふく山までバスで行って、たらたら登って、有馬温泉でビールのんで、バスで帰って、またご飯を食べてビールを飲むというお気楽スケジュールであったが、頂上がものすごい寒さで、全員歯の根があわず、とにかく「風呂風呂」と叫びつつ下山。第二回はさらに楽ちんなコースを検討中。</p>
  662.  
  663. <p>(9) 韓国講演旅行に行った。2012年から始まった旅行なので、今年で5年目。いつものように朴東燮先生とEdunity の金社長とドライブしながら、今年は北の方に行った。最初がセジョン(世宗)で教育長招聘の講演会。それから江原道のウォンジュシ(原州市)で講演。そこで不登校や問題行動を起こした生徒たちを集めて実に自由な教育をしている全寮制の公立高校の見学をした。それについてはあちこちで書いたけれど、ほんとうに感動的な経験だった。</p>
  664.  
  665. <p>(10)たくさん新幹線に乗った。今年の新幹線乗車回数は91回(4日に1回新幹線に乗っている)。学士会館には29泊した。たぶん今年の学士会館宿泊部のthe heaviest user of the year ではないかと思う。表彰されても嬉しくないが。<br />
  666. 講演もたくさんした。算えたらこれも29回だった。12.5日に一回講演している勘定である。これも減らしたい。せめて2週間に1回。できれば1月に1回くらいに。</p>
  667.  
  668. <p>以上、兄が死んだ年、初学修行を成就した年ということで、2016年は忘れがたい年になった。</p>
  669.  
  670. <p>最後にみなさまのご多幸を祈念いたします。よいお年をお迎え下さい。<br />
  671. </p>]]>
  672.      
  673.   </content>
  674. </entry>
  675. <entry>
  676.   <title>司馬遼太郎についての連載最終回</title>
  677.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2016/12/26_1338.php" />
  678.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2016://1.1756</id>
  679.  
  680.   <published>2016-12-26T04:38:40Z</published>
  681.   <updated>2016-12-26T04:41:47Z</updated>
  682.  
  683.   <summary>産経新聞に1年間に4回寄稿した「司馬遼太郎」についてのエッセイ。最終回は「司馬遼...</summary>
  684.   <author>
  685.      <name></name>
  686.      
  687.   </author>
  688.  
  689.  
  690.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  691.      <![CDATA[<p>産経新聞に1年間に4回寄稿した「司馬遼太郎」についてのエッセイ。最終回は「司馬遼太郎と国民国家」</p>
  692.  
  693. <p>日本はいつから「こんな国」になってしまったのか。<br />
  694. 誰もがこの定型的な慨嘆句を口にする。リベラルも極右も、グローバリストもレイシストも、その政治的立場の違いにもかかわらず、「日本の劣化」という現実評価については同じ言葉づかいをする。<br />
  695. この吐き捨てるような現実嫌悪の言を制して、「少し前にもっとひどい時代もあったじゃないか。あれに比べたら今の方がまだずっとましだよ」と言ってくれる人は周りにもう見当たらない。司馬遼太郎がいなくなったというのは「そういうこと」なのだと思う。<br />
  696. 司馬遼太郎は「国民作家」だった。<br />
  697. 国民作家とは、国民国家を終の棲家と思い定めて、そこを動かぬ人のことである。<br />
  698. 国民国家は石や滝のような自然物ではない。歴史の流れの中で形成された暫定的な制度である。歴史的条件が変われば変容し、時には消失する。司馬もそのことは骨身にしみて知っていたはずである。国民国家は脆い。だからこそ人々は日々の営みを通じてそれを支えなければならない。<br />
  699. 『坂の上の雲』は次のような一節から始まる。</p>
  700.  
  701. <p>「小さな。<br />
  702. といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが、日露戦争である。<br />
  703. その対決に、辛うじて勝った。その勝った収穫を後世の日本人は食いちらしたことになるが、とにかくこの当時の日本人たちは精一杯の智恵と勇気と、そして幸運をすかさずつかんで操作する外交能力の限りをつくしてそこまで漕ぎつけた。いまからおもえば、ひやりとするほどの奇蹟といっていい。」</p>
  704.  
  705. <p>わずか数行のうちにちりばめられた「小さな」「辛うじて」「精一杯」「幸運」「力の限り」といった徴候的な言葉を見落としてはならない。近代史をすみずみまで渉猟した司馬のもっとも率直な実感は、私たちの国がいまここにこうしてあるのは「ひやりとするほどの奇蹟」の賜だということであった。<br />
  706. 司馬遼太郎が描いた国は小さな町内に似ている。それはたかだか暫定的な制度に過ぎない。集団のあるべき理想ではないし、他の「町内」に際立って卓越する必要もない。けれども、そこに生活しているものにとっては、そここそが命がけの現場である。天災に襲われ、建物が壊れ、田畑が流れ、死者が出れば、災禍が去った後、人々はとりあえず生き延びたことを言祝ぎ、失われたもののために涙し、暮らしの場を再建しようとするだろう。生活者というのはそういうものである。<br />
  707. 司馬遼太郎は国民国家を「生活者がそこを離れては生きてゆけない必死の場」としてとらえた。<br />
  708. 左翼でも右翼でも、政治思想を語る人々にとって国家はもっと「ファンタスティック」なものである。それを一過的な政治的擬制とみなそうとも、天壌無窮のものとみなそうとも、彼らにとって「生活者の必死」などは副次的な問題に過ぎない。<br />
  709. 司馬遼太郎はそうではなかった。日本という国は、五体と同じく、私たちに与えられた生得的環境、初期条件である。私たちはそれを選び直すことができない。それを受け容れ、それを害するものを避け、益するものを求め、欠点を正し、長所を伸ばすしかない。<br />
  710. 司馬遼太郎にとって国とはそのように「可憐なもの」だった。儚く、脆く、傷は容易には癒えず、一度滅したらもう蘇生することはない。だからこそ、心を鎮めて、ていねいに扱わなければならない。国家を政治的幻想の道具として手荒に扱う人は、自分の身体を観念や欲望の道具とする人と変わらない。だが、思い通りに動かないからと言って、自分の手足を罵倒したり、斬り落とす人がいるだろうか。国も同じだ。司馬遼太郎はそのように考えていたと思う。</p>
  711.  
  712. <p>私は司馬のその国家観を支持する。それもまた一つの「物語」に過ぎないことを私は否定しない。それでも私はそれを支持する。<br />
  713. </p>]]>
  714.      
  715.   </content>
  716. </entry>
  717. <entry>
  718.   <title>世阿弥の身体論</title>
  719.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2016/12/24_1132.php" />
  720.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2016://1.1755</id>
  721.  
  722.   <published>2016-12-24T02:32:40Z</published>
  723.   <updated>2016-12-24T02:41:16Z</updated>
  724.  
  725.   <summary>先週の日曜に上智大学で「世阿弥とスタニスラフスキー」というテーマのシンポジウムが...</summary>
  726.   <author>
  727.      <name></name>
  728.      
  729.   </author>
  730.  
  731.  
  732.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  733.      <![CDATA[<p>先週の日曜に上智大学で「世阿弥とスタニスラフスキー」というテーマのシンポジウムがあった。そこで「能楽と武道」というお題を頂いて短い発表をした。中身は2年前にある能楽専門誌に寄稿した「世阿弥の身体論」とだいたい同じ。<br />
  734. シンポジウムに来られなかった方のためにオリジナルを公開しておく。<br />
  735. 文献的根拠のぜんぜんないまったくの私のスペキュレーションであるので、これを「定説」と勘違いして、人前で話したりすると大恥をかくことになるのでご注意されたい。</p>
  736.  
  737. <p><strong>世阿弥の身体論</strong></p>
  738.  
  739. <p>平安末期から室町時代にかけて能楽と武芸と鎌倉仏教が完成した。<br />
  740. それらは日本列島でその時期に起きたパラダイムシフトの相異なる三つ相であるという仮説を私にはしばらく前から取り憑かれている。そういうときには「同じ話」をあちこちで角度を変え、切り口を変えながら繰り返すことになる。今回は能楽の専門誌から「世阿弥の身体論」というお題を頂いたことを奇貨として、「同じ話」を能楽に引き寄せて論じてみたい。<br />
  741. 武道と能楽と鎌倉仏教を同列に論ずる人が私の他にいるかどうか知らない。たぶんいないと思う。<br />
  742. 私の鎌倉仏教についての理解はほとんどが鈴木大拙の『日本的霊性』からの請け売りだが、武道と能楽については自分の身体実感に基づいている。身体は脳よりも自由である。だから、ふつうはあまり結びつけられないものについても、「これって『あれ』じゃない?」という気づき方をすることがある。武道と能楽と鎌倉仏教が「同一のパラダイムシフトの三つの相」だという直感も、頭で考えたものではなくて、身体が勝手に気づいたことである。居合の稽古中に、門人に剣の操作について説明しているときに、能楽の「すり足」の術理に思い至り、それが鈴木大拙の『日本的霊性』の中の鎌倉仏教についての説明につながって、「ああ、そういうことなのか」と腑に落ちたのである。などという説明ではどなたにも意味がわからないはずなので、順を追って話すことにする。<br />
  743. 薩摩示現流の流祖に東郷重位(しげかた)という人がいた。城下に野犬が出て人々が困っているという話を聞きつけて、重位の息子が友人と野犬を斬りに行った。何十匹か斬り殺してから家に戻り、刀の手入れをしながら、「あれだけ野犬を斬ったが、一度も切先が地面に触れなかった」と剣をたくみに制御できたおのれの腕前を友に誇った。隣室で息子たちの会話を聞いていた東郷重位はそれを聞き咎めて、「切先が地面に触れなかったことなど誇ってはならない」と言って、「斬るとはこういうことだ」と脇差で目の前にあった碁盤を両断し、畳を両断し、根太まで切り下ろしてみせた。<br />
  744. 私の合気道の師である多田宏先生は稽古で剣を使うときには必ずまずこの話をされる。剣技の本質をまっすぐに衝いた逸話だからである。重位が息子に教えたのは剣技とは「自分の持つ力を発揮する」技術ではなく、むしろ「外部から到来する、制御できない力に自分の身体を捧げる」技術だということである。<br />
  745. 剣というのは、扱ってみるとわかるが、手の延長として便利に使える刃物のことではない。そうではなくて、剣を手にすると自分の身体が整うのである。私が剣を扱うのではなく、剣が私を「あるべきかたち」へ導くのである。<br />
  746. 「身体が整う」「身体がまとまる」というのが剣を擬したときの体感である。ひとりではできないことが剣を手にしたことでできるようになる。構えが決まると足裏から大きな力が身体の中に流れ込んで来て、それが刀身を通って、剣尖からほとばしり出るような感じがすることがある。そのとき人間は剣を制御する「主体」ではもはやなく、ある野生の力の通り道になっている。<br />
  747. 東郷重位は「斬るとはこういうことだ」と言って、地面に深々と斬り込むほどの剣勢を示してみせたが、人間の筋力を以てしては木製の碁盤を斬ることはできない。むろん鉄製の甲冑を斬ることもできない。できないはずである。でも、それができる人がいる。それらの剣聖たちの逸話が教えるのは、彼らは「人間の力」を使っていなかったということである。<br />
  748. 解剖学的にも生理学的にも人間には出せるはずのない力を発動する技術がある。良導体となって野生の力を人間の世界に発現する技術がある。それが武芸である。今のところ私はそのように理解している。<br />
  749. それが能楽とどう繋がるのか。<br />
  750. 古代に「海部(あまべ)」「飼部(うまかひべ)」という職能民がいた。「海部」は操船の技術、飼部は騎乗の技術を以て天皇に仕えた。それぞれ「風と水の力」「野生獣の力」という自然エネルギーを人間にとって有用なものに変換する技術に熟達していた人々である。この二つの職能民がヘゲモニーを争って、最終的に「騎馬武者」が「海民」に勝利したのが源平合戦である。<br />
  751. この戦いで、騎馬武者たちは馬の野生の力をただ高速移動のために利用しただけでなく、「人馬一体」となることで人間単独では引くことのできぬほどの強弓を引き、人間単独では操作することのできないほど重く長い槍を振り回してみせた。<br />
  752. 那須与一が屋島の戦いで船に掲げられた扇を射抜いた話は広く知られているが、与一はこのとき騎射をしている。的は揺れる船の上にある。砂浜に立って静止して射る方が精度が高いのではないかと私は思っていたが、たぶんそうではないのだ。騎射するとき、乗り手は馬の筋肉をおのれのそれと連結させて、人間単体にはできないことをし遂げる。だから騎射の方が強度も精度も高いのである。そのような技術の到達点を那須与一は示したのである。<br />
  753. 他にも、源氏の側の軍功にはその卓越した「野生獣の制御技術」にかかわるものが多い(義経は難所鵯越(ひよどりごえ)を騎馬で下り、木曾義仲は倶利伽羅(くりから)峠の戦いで数百頭の牛を平家の陣に放った)。<br />
  754. それも源平の戦いが、海民と騎手が「自然力の制御技術」の強さと巧みさを競ったのだと考えると筋が通る。<br />
  755. 戦いは「野生獣のエネルギーを御する一族」が「風と水のエネルギーを御する一族」を滅ぼして終わった。けれども、能楽にはにこのとき敗れ去った海民の文化を惜しむ心情がゆたかに伏流している。<br />
  756. 古代に演芸を伝えた職能民たちは「獣の力」よりもむしろ「風と水の力」に親しみを感じる海民の系譜に連なっていたのではあるまいか。<br />
  757. 海幸彦・山幸彦の神話でも、戦いに敗れ、おのれの敗北のさまを繰り返し演じてみせる「俳優(わざおぎ)」の祖となったのは漁りを業とする海幸彦の方である。<br />
  758. 今さら言うまでもなく、能楽には『敦盛』『清経』『船弁慶』をはじめ『平家物語』の平家方に取材した曲の方が多い。そればかりか龍神・水神が水しぶきを上げて舞い(『竹生島』『岩船』)、船が海を勇壮に進む情景を叙し(『高砂』)、海浜の風景や松籟の音を好む(『松風』『弱法師』)。ここにかつて「風と水のエネルギー」を御して列島に覇を唱えた一族への挽歌を読むのはそれほど無稽な想像ではないのではないか。<br />
  759. 「飼部」が体系化した「弓馬の道」はわれわれの修業している武芸のおおもとのかたちである。それは野生の力と親しみ、身を整えてその力を受け入れ、わが身をいわば「供物」として捧げることでその強大な力を発動させる技法である。能楽に通じた人なら、この定義がシテに求められている資質ときわめて近いことに気づくはずである。<br />
  760. 能楽は起源においては呪術的な儀礼であった。その断片は今日でも『翁』や『三番叟』に残っている。シャーマンがトランス状態に入って、神霊・死霊を呼び寄せ、彼らにその恨みや悲しみや口惜しさを語らせ、その物語を観衆たちともども歌い、舞い、集団的なカタルシスとして経験することで「災いをなすもの、祟りをなすもの」を鎮める。おそらくはそのようなものであったはずである。起源的に言えば、シテは巫覡(ふげき)であり、祭司である。おのれの「自我」を一時的に停止させ、その身を神霊に委ねる。ただ、その巨大なエネルギーは能舞台という定型化された空間に封じ込められ、美的表象として限定的に発露することしか許されない。それが舞台からはみ出して、人間の世界に入り込まないように、人間の世界と神霊の世界を切り分ける境界線については、いくつもの約束事が能楽には定められている。<br />
  761. 例えば、シテは舞い納めて橋懸かりから鏡の間に入るとき、自分で足を止めてはならない。後見に止められるまで歩き続ける。それはあたかもシテに取り憑いた神霊が、後見が身体を止めた瞬間に、そのまま惰性で身体から抜け出すのを支援するかのような動作である。あるいは演能中にシテが意識を失ったり、急な発作で倒れたりした場合も舞台は止めてはならない。後見はシテを切り戸口から引き出した後、シテに代わって最後まで舞い納めて、舞台におろした霊をふたたび「上げる」責任がある。<br />
  762. 私がなにより能楽のきわだった特徴だとみなすのは「すり足」である。「すり足」の起源については諸説あるが、温帯モンスーン地帯で泥濘の中を歩むという自然条件が要求したごく合理的な歩行法であるという武智鉄二説には十分な説得力がある。膝をゆるめ、股関節の可動域をひろく取り、足裏全体に荷重を散し、そっと滑るように泥濘の上を歩む。たしかにヨーロッパ人が石畳を踵から打ち下ろすような仕方で泥濘を歩めば、脚を泥にとられ、身動きならなくなるだろう。しかし、「すり足」を要求したのは、そのような物理的理由だけにはとどまらない。<br />
  763. 温帯モンスーンの湿潤な気候と生い茂る照葉樹林という豊穣で、宥和的な生態学的環境は、そこに住む人々にある種の身体運用の「傾向」を作り出しはしなかったであろうか。<br />
  764. 「すり足」は言い方を換えれば、足裏の感度を最大化して、地面とのゆるやかな、親しみ深い交流を享受する歩行法である。そうやって触れる大地は、そこに種を撒くと、収穫の時には豊かな収穫をもたらす「贈与者」である。列島における私たちの祖先たちは、その泥濘の上を一歩進むごとに、「おのれを養うもの」と触れ合っていた。贈与者との直接的な触れ合いを足裏から伝わる湿気や粘り気から感じ取っていたはずである。おのれを養う、贈与者たる大地との一歩ごとの接触という宗教的な感覚が身体運用に影響しないはずがない。<br />
  765. 能楽には「拍子を踏む」という動作がある。強く踏みならす場合もあるし、かたちだけで音を立てない場合もあるが、いずれにせよ「地の神霊への挨拶」であることに違いはない。土地の神を安んじ鎮めるために盃にたたえた酒を地面に振り注ぐ儀礼は古代中国では「興」と呼ばれたと白川静は書いているが、それは「地鎮」の儀礼として現代日本にも残っている。酒を注ぐと地霊は目覚める。そして、儀礼を行った人間の思いに応えて、祝福をなす。この信憑は稲作文化圏には広くゆきわたっているものであろう。<br />
  766. 足拍子もまた、神社の拝殿で鈴を鳴らすのと同じく、地霊を呼び起こすための合図であったのだと思う。それは逆から言えば、足拍子を踏むとき以外、人間は地霊が目覚めぬように、静かに、音を立てず、振動を起こさぬように、滑るように地面を歩まねばならぬという身体運用上の「しばり」をも意味している。「すり足」とはこの地霊・地祇の住まいする大地との慎み深い交流を、かたちとして示したものではあるまいか。一歩進むごとに大地との親しみを味わい、自然の恵みへの感謝を告げ、ときには大地からの祝福を促すような歩き方を、日本列島の住民たちはその自然との固有なかかわり方の中で選択したのではあるまいか。<br />
  767. 私が「すり足」に特にこだわるのは、この「すり足」的メンタリティから鎌倉仏教が生まれたというのが鈴木大拙の「日本的霊性」仮説の核心的な命題だからである。<br />
  768. 大拙はその『日本的霊性論』において、古代においても、平安時代においても、日本人にはまだ宗教を自前で作り出すほどの霊的成熟には達していなかったと書いている。日本において本格的に宗教が成立するのは鎌倉時代、親鸞を以て嚆矢(こうし)とする。というのが大拙の説である。その親鸞も京都で教理を学問として学んでいたときには宗教の本質にいまだ触れ得ていない。親鸞が日本的霊性の覚醒を経験するのは大地との触れ合いを通じてである。</p>
  769.  
  770. <p>「人間は大地において自然と人間との交錯を経験する。人間はその力を大地に加えて農産物の収穫に努める。大地は人間の力に応じてこれを助ける。人間の力に誠がなければ大地は協力せぬ。誠が深ければ深いだけ大地はこれを助ける。(・・・)大地は詐らぬ、欺かぬ、また<strong>ごまかされぬ</strong>。」(鈴木大拙、『日本的霊性』、岩波文庫、1972年、44頁、強調は鈴木)<br />
  771. 「それゆえ宗教は、親しく大地の上に起臥する人間-即ち農民の中から出るときに、最も真実性をもつ。」(45頁)<br />
  772.  <br />
  773. 大宮人たちの都会文化は洗練されてはいたが、「自然との交錯」がなかった。『方丈記』に記すように、「京のならひ なにわざにつけても みなもとは田舎をこそたのめる」のが都会文化の実相である。都会には「なまもの」がない。加工され、人為の手垢のついた商品しかない。そして、大拙によれば、自然との交流のないところに宗教は生まれない。</p>
  774.  
  775. <p>「大地を通さねばならぬ。大地を通すというのは、大地と人間の感応道交の在るところを通すとの義である。」(45頁)</p>
  776.  
  777. <p>だから、都市貴族は没落し、農村を拠点とする武士が勃興する必然性があったと大拙は説く。<br />
  778.  <br />
  779. 「平安文化はどうしても大地からの文化に置き換えられねばならなかった。その大地を代表したものは、地方に地盤をもつ、直接農民と交渉していた武士である。それゆえ大宮人は、どうしても武家の門前に屈伏すべきであった。武家に武力という物理的・勢力的なものがあったがためでない。<strong>彼らの脚跟(きゃっこん)が、深く地中に食い込んでいたからである</strong>。歴史家は、これを経済力と物質力(または腕力)と言うかも知れぬ。<strong>しかし自分は、大地の霊と言う</strong>。」(49頁、強調は内田)<br />
  780.  <br />
  781. 流刑以後、関東でひとりの田夫として生きた親鸞は「大地の霊」との出会いを通じて一種の回心を経験した。「深く地中に食い込む脚跟」の、その素足の足裏から、大地から送られる巨大な野生の力、無尽蔵の生成と贈与の力が流れ込んでくるのを経験した。そのような力動的・生成的なしかた超越者が切迫してくるのを感知したとき、日本的霊性は誕生した。大拙はそう仮説している。<br />
  782. そして、「大地の霊」との霊的交流は、能楽の誕生、武芸の体系化とほぼ同時期の出来事であった。この三つの出来事の間に深いつながりがある。列島住民が経験したある地殻変動的な文化的土壌の変化がこの三つの領域ではっきりしたかたちを取った。他にもこのパラダイムシフトが別のかたちで露頭した文化現象があるのかも知れないが、私の思弁がたどりついたのは、はとりあえずここまでである。<br />
  783. 世阿弥の能楽は海民文化をどのように受け継いでいるのか、世阿弥の技術論において「大地の霊」との交錯はどのように表象されているのか、興味深い論件はまだいくつ手つかずのまま残されている。いずれそれらについても語る機会があるだろう。<br />
  784. </p>]]>
  785.      
  786.   </content>
  787. </entry>
  788. <entry>
  789.   <title>天皇の「おことば」について</title>
  790.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2016/12/23_1029.php" />
  791.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2016://1.1752</id>
  792.  
  793.   <published>2016-12-23T01:29:18Z</published>
  794.   <updated>2016-12-23T01:30:55Z</updated>
  795.  
  796.   <summary>ある通信社から天皇陛下の「おことば」についてのコメントを求められた。一般紙面には...</summary>
  797.   <author>
  798.      <name></name>
  799.      
  800.   </author>
  801.  
  802.  
  803.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  804.      <![CDATA[<p>ある通信社から天皇陛下の「おことば」についてのコメントを求められた。一般紙面には「おことば」の要旨だけしか公開されないので、紙面と整合しないところはカットされた。<br />
  805. そこを戻して、すこし加筆したものをここに掲げておく。</p>
  806.  
  807. <p>今回の陛下のお言葉はかなり「読みで」のあるものだったと思います。<br />
  808. 表面的には、ただこの一年間の出来事を羅列したように見えますが、一つ一つの扱いかたや措辞に細やかな気遣いが感じられました。<br />
  809. 経時的な理由から最初に置かれた「フィリピン訪問」には分量的には最も多くの字数が割かれていました。<br />
  810. フィリピンでの戦闘については、かつて大岡昇平は『レイテ戦記』で「あの戦争でいちばん苦んだのは日本人でもアメリカ人でもなく、現地のフィリピン人だ」と書いたことがありましたが、「先の大戦で命を落とした多くのフィリピン人、日本人の犠牲の上に」とあえて「フィリピン人」を先に置いた陛下の気遣いには大岡の思いに通じるものが感じられます。<br />
  811. 8月の「おことば」において陛下は「象徴的行為」といういささかこなれない言葉を用いて、天皇の責務は何かということを示されました。それは具体的には、戦争や天変地異で横死した人々を鎮魂し、被災者の傍に寄り添う「旅」のことです。そして、今回の「おことば」で、その「人々」とは決して日本人だけに限定されないことを示されました。<br />
  812. 今回の「おことば」では、オリンピック・パラリンピックとノーベル賞のほかは、すべて死んだ人、傷ついた人の悲しみ・痛みに言及したものでした。<br />
  813. この「共苦(compassion)」という営みが現代の天皇の引き受けるべき霊的な責務、「象徴的行為」の実体であるということを一歩踏み込んで明らかにしたという点に今回の「おことば」に歴史的意義はあるのだろうと思います。<br />
  814. </p>]]>
  815.      
  816.   </content>
  817. </entry>
  818. <entry>
  819.   <title>『困難な成熟』韓国語版序文</title>
  820.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2016/12/14_1800.php" />
  821.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2016://1.1750</id>
  822.  
  823.   <published>2016-12-14T09:00:44Z</published>
  824.   <updated>2016-12-14T09:08:24Z</updated>
  825.  
  826.   <summary>「困難な成熟」韓国語版序文 みなさん、こんにちは。内田樹です。 『困難な成熟』韓...</summary>
  827.   <author>
  828.      <name></name>
  829.      
  830.   </author>
  831.  
  832.  
  833.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  834.      <![CDATA[<p><strong>「困難な成熟」韓国語版序文</strong></p>
  835.  
  836. <p>みなさん、こんにちは。内田樹です。<br />
  837. 『困難な成熟』韓国語版お買い上げありがとうございます。これで韓国語に翻訳された僕の本は何冊になるのでしょうか。10冊以上にはなっていると思います。多くの韓国の方々が僕の本を読んで下さっていることに改めて感謝致します。<br />
  838. いつも申し上げていることですけれど、日韓の密接な連携と相互理解はこれからの東アジアで、最重要の外交的課題だと僕は思っています。でも、残念ながら、日本国内では、僕のような考えは少数意見にとどまっています。政治家たちも官僚もジャーナリストたちも、日韓連携が死活的に緊急であるという考え方には特段の興味を示しれくれません。韓国でも、事情はそれほど変わらないのではないかと思います。<br />
  839. でも、僕はあまり悲観的ではありません。政治の水準での日韓連携が進んでいなくても、日韓両国の市民たちの間の草の根の繋がりは確実に深化していることがはっきりと実感できるからです。<br />
  840. 僕が最初に講演のために韓国を訪れたのは2012年の8月です(その前には短い観光旅行で一度ソウルを訪れたことがあるだけです)。<br />
  841. 『街場の教育論』や『先生はえらい』を出してくれたタンポポの金敬玉さんの企画で韓国を訪れ、ソウルでギルダム書院を主宰されていた朴聖焌先生や新羅大学の朴東燮さんや本書の翻訳者である金京媛さんをはじめとする韓国の読者たちにお会いすることができました。<br />
  842. 僕が「自分の本の外国語訳の読者」という人たちに出会ったのはそのときが最初です。それはとても不思議な経験でした。<br />
  843. 僕は日本の読者たちだけを想定してそれまでずっと書いてきました。海外の雑誌に短文が翻訳されて掲載されたことはありましたが、それはよくニュースで特派員が「現地の人の話を聞いてみました」とマイクを向けて街の声を拾うというような感じの紹介の仕方でした。「ちょっと変わったことを言う、日本の知識人のひとり」という程度の扱いでした。それらの雑誌でたまたま僕のエッセイを読んだ人たちも僕の名前なんかすぐに忘れてしまったでしょう。<br />
  844. でも、韓国語の訳書の場合はそうではありませんでした。<br />
  845. 僕の日本語の著作を原文で熱心に読んでくれた人たちがいて、その人たちが「ぜひ、この人の本を韓国に紹介したい」と思って、翻訳出版の労を取ってくれたのです。これは僕にとってはじめての経験でした。<br />
  846. 隣国の人たちがそういう関心を持って日本の書き手のものを吟味しているということを僕は考えたことがなかったのです。もちろん、村上春樹のような世界的な作家の場合は別ですけれど、僕はとくに読んで面白いものを書いているわけではありません。<br />
  847. 大学の教師を長くしておりましたから、教育についてはいろいろ言いたいことがある。また武道を長く修業してきましたので、その経験に基づいて言えることはある。フランスの現代思想を専門的に研究していましたから、その分野については多少の知識がある。それだけです。<br />
  848. 教育に興味がある人や、武道に興味がある人や、哲学に興味がある人は僕の書いたものをたまたま手に取ることがあるかも知れないけれど、広いポピュラリティを得られるようなタイプの書き手ではありません。それがなぜか隣国に読者を得た。それもずいぶん熱心な読者です。これはいったいどういうことなんだろうと考えました。<br />
  849. とりあえず一つだけわかったのは、韓国社会でも、僕が取り組んでいるのと同じ問題に強い関心をもって取り組んでいて、それを解決すべく「手当たり次第」に参考になりそうなものを読んでいる人たちがいるということでした。<br />
  850. ただ、僕たちが共有しているのは「問題」でした。「答え」ではありません。<br />
  851. 「こうすれば問題は解決します」という具体的な解を共有したのではなく、「こんな題の前で必死に答えを探しています」という答えの欠如を共有していたのです。<br />
  852. 僕の本で最初に翻訳されたものはどれも教育論でしたけれど、それは韓国の教育現場の人たちが欲しがっている「答え」を僕が知っていたからではありません。僕がしたことがあるとすれば、それは「教育現場に何が欠けているのか」をかなりはっきり描き出したことです。そして、日本の学校に欠けているものと、韓国の学校に欠けているものがたぶん非常に似ていたのです。<br />
  853. 人々は必ずしも「存在するもの」を共有することで相互理解に至るわけではありません。僕が経験したことがあり、他の人も経験したことがあるものを「あ、あれなら知っている」「ああ、あれね」と言って、うれしそうに手を取り合うというのが相互理解だと思っている人がいるかも知れませんけれど、そうでもありません。むしろ、「僕も持っていないし、あなたも持っていないもの」の欠如を切実に感じるということの方が人と人を近づけるということがある。僕はそう思います。<br />
  854. この本で僕が「その欠落」について書いたのは「市民的成熟」です。それが「ない」せいで、僕たちの社会がうまく機能しないもの。それは「はい、これだよ」と言って取り出してお見せすることができません。だって、ないんだから。でも、この本を訳者の金さんが選んで訳してくれたのは、「それがないせいで日本社会がうまく機能していないもの」は、「それがないせいで韓国社会がうまく機能していないもの」と非常に似ていると直感したからではないかと思います。<br />
  855. 僕はこれからの日韓の市民的なレベルでの連携は「現に共有しているもの」を基盤にするだけでなく、「欠落感を共有しているもの(だから「まだない」もの)」を基盤にしてしだいにかたちを取ることになるのではないかと思います。<br />
  856. なんだかわかりにくい話になってしまってすみません。<br />
  857. また次の本でお目にかかれるのを楽しみにしています。次に出る訳書はたぶん『困難な結婚』になるのではないかと思います。「市民的成熟」も難しいけれど、「結婚」も難しいです。それについてはご同意頂けると思います。そして、結婚生活においても僕たちは配偶者と共有している「まだないもの」のリストを長くすることで少しずつ幸せになってゆくのだと思います。<br />
  858. 訳者の金さんはじめ、この本の出版にご尽力くださったみなさんに感謝します。いつもありがとうございます。<br />
  859. </p>]]>
  860.      
  861.   </content>
  862. </entry>
  863. <entry>
  864.   <title>『赤旗』インタビューロングヴァージョン</title>
  865.   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.tatsuru.com/2016/12/07_1133.php" />
  866.   <id>tag:blog.tatsuru.com,2016://1.1739</id>
  867.  
  868.   <published>2016-12-07T02:33:36Z</published>
  869.   <updated>2016-12-07T02:44:40Z</updated>
  870.  
  871.   <summary>『赤旗』の12月4日号にインタビューが載った。 記事には書き切れなかったこともあ...</summary>
  872.   <author>
  873.      <name></name>
  874.      
  875.   </author>
  876.  
  877.  
  878.   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://blog.tatsuru.com/">
  879.      <![CDATA[<p>『赤旗』の12月4日号にインタビューが載った。<br />
  880. 記事には書き切れなかったこともあったので、以下にロング・ヴァージョンを掲げておく。</p>
  881.  
  882. <p><strong>―トランプが勝つと予想していましたか。</strong><br />
  883. まさか。けっこういいところまでゆくだろうと思っていましたけれど、僅差でヒラリーが勝つと思っていました。実際、200万もヒラリーの得票の方が多かったわけですから「アメリカ人はヒラリーを選ぶ」という予測は間違ってはいなかったわけです。選挙制度のせいで、得票数の少ない方が大統領になってしまった。僕はヒラリーが別に好きじゃないけど、トランプは何をしでかすかわからないから怖いです。現段階ではアメリカの国際的な威信が地に落ちるだろうということしかわからない。<br />
  884. <strong>―トランプ勝利の背景に何があったのか。日本共産党は、第回大会決議案で、アメリカ社会はグローバル資本主義のもとで格差と貧困が広がり、深刻な行き詰まりと矛盾に直面しており、トランプ勝利はそのひとつの反映にほかならないと指摘しました。</strong><br />
  885. 中西部の製造業で働く人たちが雪崩を打ってトランプに投票した。中産階級の没落と格差の拡大が、今回の投票行動に関与した最大の要因だったと思います。一握りの巨大多国籍企業や最富裕層に富が集中し、階層分化が極限化していくグローバル資本主義がついに限界に達した。トランプ登場はその断末魔の痙攣みたいなものじゃないですかね。<br />
  886. もちろん、グローバル資本主義の欠陥を補正できる手立てをトランプが持っているわけじゃない。たぶんトランプ政権下で、格差はさらに拡大し、トランプを支持したブルーカラーの生活はさらに苦しくなると思います。<br />
  887. でも、トランプはその「諸悪の根源」を資本主義システムではなく、ヒスパニックやイスラム教徒に転嫁することで本質的な問題を隠蔽した。排外主義的なイデオロギーを煽り立て、国内外に「アメリカをダメにした」元凶を見つけるように仕向ければ、失政が続いても、支持層の不満をしばらくの間はそらすことができるでしょう。<br />
  888. <strong>―日本でいえば、橋下・維新の手法や期待に似ていますね。</strong><br />
  889. そっくりです。やることは洋の東西を問いません。体制の「不当な受益者なるもの」を特定して、これが「諸悪の根源」なので、これを排除すればすべての問題は解決するというデマゴギーです。攻撃する対象がユダヤ人なら反ユダヤ主義になり、対象が移民なら排外主義になる。大阪の場合は、公務員・教員・生活保護受給者などを「受益者」に仕立てて、それを攻撃して市民たちの不満をそらした。<br />
  890. <strong>―ヨーロッパでも同じような動きが生まれています</strong>。<br />
  891. ヨーロッパ諸国でも、次々と極右政治家が登場してきています。その前提になっている歴史的条件は「グローバル資本主義の終わり」ということです。<br />
  892. グローバル資本主義によって、世界はフラット化し、資本・商品・情報・人間が国境を越えて高速移動するようになった。グローバル化に適応できない人たち、高速移動できるような社会的機動性を持っていない人たちは下層に脱落した。製造業の工場労働者が典型的ですけれど、特定の業種に特化した技術や知識で生計を立て、生まれ故郷の地域社会で暮してきた人は、グローバル化した世界では、それだけの理由で下層に振り分けられる。両親や祖父母の代までだったら「まっとうな生き方」をしてきたのに、まさに「まっとうな生き方』をしてきたという当の理由で下層に格付けされることになった。不条理な話です。ですから、彼らが「アンチ・グローバル化」に振れるのは当然なんです。<br />
  893. でも、彼らが選択した「アンチ・グローバル化」はさまざまな人種や宗教や価値観が相互に敬意をもって距離を置き、穏やかに共生するという方向には向かわなかった。そうではなくて、「自分たちさえよければ外の世界なんかどうなっても構わない」という偏狭な自国第一主義に向かっている。<br />
  894. <strong>―アメリカではサンダース現象が起き、世界中で格差と貧困をなくす運動が広がり、日本では市民革命的な動きが起きています。</strong><br />
  895. あまり語られることがありませんが、19世紀までのアメリカは社会主義運動の先進国の一つでした。東欧ロシアからの社会主義者が19世紀末からアメリカに群れをなして移民していったんですから当然です。カール・マルクスでさえ青年期にはテキサスへの移住を夢見ていた。それくらいに当時のアメリカはヨーロッパに比べると自由で開放的な社会に見えた。けれども、ジョン・エドガー・フーヴァーのFBIの偏執的な反共活動と、1950年から54年まで猛威をふるったマッカーシズムによって、アメリカ国内の左翼運動はほぼ根絶されてしまった。<br />
  896. その「左翼アレルギー」もソ連崩壊、中国の「資本主義化」による「国際共産主義運動の終焉」によって「敵」を失った。サンダースの登場はアメリカ社会が70年に及ぶ「反共」のファンタジーから覚醒して、現実を見るようになった兆候だろうと思います。<br />
  897. いずれにせよ、トランプの登場によって、私たちがどのような歴史的転換点にいるのかはっきり可視化されました。グローバル資本主義の終りが始まったということです。<br />
  898. 脱グローバル化は政治過程でも、経済活動の過程でもこれから必然的な流れとなるでしょう。この流れは市場の飽和と人口減という一国の政策レベルではどうにもならない人類史的条件の所産ですから、抵抗することができない。私たちにできるのは、「グローバル資本主義の終わり」をソフトランディングさせるための具体的な手立てを考えるだけです。世界中の人々が衆知を集めて知恵を絞るしかない。<br />
  899. そのような歴史的局面にあって、日本の反=歴史的な暴走だけが異常に際立っています。世界は脱グローバル化局面にどう対処するか考え始めたときに、今ごろになってグローバル化に最適化すべくすべての社会制度を変えようとしている。自分たちがどういう世界史的文脈の中にいるのか、日本の指導層はまったくわかっていない。何が起きているのか理解しないままに「アクセルをふかして」突っ込んでゆく。安保法制、改憲、原発再稼働、TPP、南スーダン派兵、カジノ合法化、どれをとっても「なぜ今そんなことを慌ててやらなければいけないのか」理由がわからないことばかりです。<br />
  900. 安倍首相自身は主観的には「最高速でグローバル化に最適化している」つもりなのでしょう。たぶん「慌てる」ということが「グローバル化」だと思っている。TPPがよい例ですけれど、先行きの見通せない国際情勢の中で「慌ててみせた」ことでいかなる国益を確保できたのか。<br />
  901. これから先の政治的な対立軸はそこに置かれるべきだと思います。<br />
  902. 暴走する政治を止めて、とにかくいったん立ち止まる。今世界では何が起きているか、世界はどこに向かっているかを見つめる。先行きが見通せない時に、アクセルをふかして暴走すれば事故を起こすに決まっています。こんな政治をいつまでも続ければ取り返しのつかないことになる。「暴走」か「スローダウン」か。政治の対抗軸はそこだと私は思います。<br />
  903. 国際情勢の変化と「脱グローバル化」に振れている市民感情を適切にとらえられれば、野党共闘が次の選挙で安倍政権を追い落とす可能性は十分にあると思います。<br />
  904. </p>]]>
  905.      
  906.   </content>
  907. </entry>
  908.  
  909. </feed>
  910.  

If you would like to create a banner that links to this page (i.e. this validation result), do the following:

  1. Download the "valid Atom 1.0" banner.

  2. Upload the image to your own server. (This step is important. Please do not link directly to the image on this server.)

  3. Add this HTML to your page (change the image src attribute if necessary):

If you would like to create a text link instead, here is the URL you can use:

http://www.feedvalidator.org/check.cgi?url=http%3A//blog.tatsuru.com/atom.xml

Copyright © 2002-9 Sam Ruby, Mark Pilgrim, Joseph Walton, and Phil Ringnalda